【連載】『令和3年度卒業記念特集』第54回 平野義大/ラクロス

男子ラクロス

『成長』の実感

 「人としてもラクロスプレイヤーとしてもかなり成長してくれた」。最終戦となった関東学生リーグ戦の立大戦を終えた後、奥崚ヘッドコーチ(平30卒)は平野組についてこう語った。そんな平野組の中心にいたのが、平野義大(社=東京・早大学院)だ。自身の4年間を「情熱をもってラクロスに打ち込めた」と振り返った平野の思いに迫った。

 主将として、ATとして最前線で戦い続けた平野

高校の先輩に誘われ興味をもったラクロス部。「自分の力を試したい」。元々そういった思いを持っていた平野は、全員が大学から競技を始めるためスタートラインが一緒であるというところにも惹かれ入部を決めた。下級生ころから試合に出場していた平野であったが、その当時は『積極的なミスは責めない』という部の雰囲気のもと「のびのびプレーすることができた」という。4年生が引退し新チームのキャプテンを決める時、当時の学年キャプテンが負傷。プレーをすることが困難になり別のものがキャプテンになった方がよいという状況に。そこから同期との話し合いを経て、最終的には自身が立候補する形で主将に就任した。しかし、就任当初は元々学年キャプテンではなかったことに加え、前主将の偉大さと自身を比較してしまい不安が大きかった。それでも、前主将から伝えてもらった「言いたいことははっきりいう」ということを心に留めて主将を務めた。加えて、平野は「辛い時に力を発揮できるチームを作る」ということを意識。厳しいランメニューの時に誰よりも声を出し、試合中の劣勢の時でも自身のプレーでチームを引っ張った。

 「思い描いていた主将像になることができた」と語った平野であったが、大学最後の1年間は「悔しい」ものだった。日本一を目指し、日々の練習に励み、早慶戦でも宿敵・慶大に勝利を飾り、新型コロナウイルスの影響で活動が制限される中でもチームとしての仕上がりは悪くないものだった。平野自身も「日本一になれるという手応えを感じていた」という。しかし、チームは伏兵・武蔵大にまさかの初戦敗退となり日本一の目標には届かなかった。それでも、平野は「全力で日本一を目指したからこそ送れた実りのある一年だった」と少し微笑みながら語った。

 最終戦後の表情はどこか晴れ晴れをしたものだった

 ラクロス部の4年間で常に学ぶことを、そして常に考えることを意識するようになったという平野。下級生のころはけがの影響で自身の成長が止まっているのではないかと思い不安になった時期もあった。しかし、それもどうしてミスを起こしたのか、どうすればミスをしないようになるのかを考え乗り切ることができた。この成長の方法は大学を卒業し、社会人になっても変わらない。競技継続についてはまだ迷っていると語った平野であったが、競技を続けようが、続けまいが常に考えることで平野は今後も、さらなる成長を続けていく。

(記事、写真 山本泰新)