チームのために「個」を高める
弓道は究極の個人競技だ。しかし、学生弓道は個人競技でありながらも、団体種目の色が強く出る。弓を引く間は全て個人で行うが、その一人一人が出した結果から評価されるのはチーム全体だからだ。昨季早大弓道部の男子主将を務めた大澤暢(創理4=東京・早実)は中学1年生から10年もの間、弓と共に歩んできた。「弓道がというより、学生弓道が好きなんですよね」と語る大澤が、チームのために模索し続けた「個」の姿とは何だったのか。
ハンドボールで全国大会に出場した兄を見て、全国大会に行けるようなレベルで競技をやってみたいと、進学した中学校で強豪だった弓道部に入った大澤。中学校では全国大会に出ることができたが、高校では思うように結果を残すことができなかった。大学進学直後はサークル見学なども行ったが、どこかで「弓道を切り捨てられない自分がいた」。同じ高校の先輩に声を掛けられて弓道部を見学し、部の雰囲気や環境を見てここで弓道をやりたいと入部を決めた。
1年生の時は全関東(全関東学生選手権)やリーグ戦にも交代で出場。出場機会が特別多かったというわけではなかったが「先輩方にも買っていただいていたし、自分の実力以上の大会にも出させてもらっていた」と振り返った。しかし、リーグ戦初スタメンとなったこの年の入れ替え戦を、「4年間で一番悔しかった」と語る。この試合で早大は、慶大に敗戦し2部に降格となったのだが、大澤はこの日4立目まで好調だったのが一転。最終立で4射1中を出し、そのままチームは逆転負けを喫したのだ。その後の話し合いの場で、その日20射19中の千葉智広氏(令3先理卒)が涙を流していた横で、20射15中の大澤は泣けなかった。早大の一員として力になれると感じ始めていたが、いまだチームメイトと一心となって試合に臨めてはいなかったのだということを実感し、悔しさは一層強くなった。
大澤の大学弓道2年目は、コロナによって思い描いていたものとは様変わりした。前のシーズンの悔しさを胸に、主力として活躍できるようにとオフシーズンでは様々に試行錯誤を続けていた。そうしてシーズンインには絶好調だったと言い切るほど調子を上げていたにもかかわらず、部の練習はストップし、大会も軒並み中止。磨いてきた自分の力を発揮できる場所が得られない歯がゆさ、大会という目標を失っていく虚無感は募る一方だった。やがてシーズンも終わりに差し掛かり、オンラインで試合が行われ始めるようになると、今度は結果を残したいという強い気持ちに調子がついてこない。スタメンで出場できても、途中から交代で下げられることも少なくなかった。それでも使ってくれるチームの期待に応えたいとさらに前のめりになって空回りし、自分がこれまでやってきたこと、練習通りのことが試合でできない。この悪循環からどうにか抜け出そうともがく、苦しい時間を過ごした。続く3年生のシーズンは、ほとんど全ての試合がオンライン開催となった。対面での緊張感、互いの射を見合いながら試合が展開されていく感覚に親しんでいた大澤にとっては、少し物足りなく感じることもあったという。それでもシーズンの終わりには、リーグ入れ替え戦で前々年に負けて2部落ちとなった慶大と対戦。1年生の時にチームの力になれなかった悔しさを晴らすように、20射18中の活躍で1部昇格に貢献した。
全国大学選抜で、一手競射の最後の1本を引いた
主将として臨んだ大学弓道の最後のシーズン。チームをまとめる立場として自身の射への意識も変え、部に少しでも良い影響をと、調子の波を安定させるよう心がけた。主将として手本にしたのは、大澤が1年生の時の主将の牧山千莉氏(平31スポ卒)。プレーや行動でチームを引っ張る主将像を理想として描いていた。また一選手として目標にしたのは千葉氏だった。大澤は特にこの1年、2立目の落を多く任されてきた。そこはチームとしての最後の矢を放つ、「早稲田の象徴」のような場所だと大澤は言う。その理想像として大澤は千葉氏を常に目標としていた。1本に懸ける集中力、精度、思い。少しでも千葉氏に近づけるよう、練習を続けた。その練習が結実した場面があった。全国大学選抜の予選一手競射と、リーグ戦3戦目の明大戦である。全国大学選抜で早大は、トーナメントに進出するための競射で、10射9中と勝負強さを発揮し、トーナメント残り二枠に入った。その最後の9中目を射止めたのが落を務めていた大澤だ。既に1校が9中を出している状況で、8中を出した大学は複数あった。なんとしても9中を出したい場面、会場中の視線が集まる中での的中だった。リーグ戦の対明大戦は勝利こそ決まっていたものの、140中という大台に乗せられるかどうかの最後の1本が大澤に託され、それをしっかりと決め切る。張り詰めるような緊張感の中で、落としての役割を果たすことができた喜びは大きかった。大澤は主将として、選手起用も行った。自分を切るかどうか、誰を選ぶのか。試合に向けて自身の調整も行いながら選手の選定も行うのは、少なからず負担に感じてはいた。しかしそれ以上に「誰よりも部員の射を知っているという自信と自覚」、そして選手が納得して試合に臨める判断基準を提供しなければという思いがあった。選手たちも、自分たちの射や練習してきたことを近くで見てきた大澤の判断を尊重してくれたという。また自身が1年生だった時の経験から、少しでも経験を積ませたいと1年生の起用も積極的に行った。「経験が次につながる」という大澤の言葉は、この1年間の取材の中で何度も何度も耳にしたものだ。そして選手を送り出して終わるのではなく、試合中に何度も声を掛けに行き、「試合に出たからには、活躍してほしい」とサポートを惜しまない。行動で見せるだけではなく、言葉でもチームを鼓舞し続けた。そんな大澤には心強い支えがいくつもあった。特に後輩たちについて語る様子は印象に残っている。選手として苦しんでいた時に支えとなってもらい、自分一人だけで苦しまなくて済んだと語った。主将としても、「前に進む方向だけを考えていればよかった」という。後輩たちが既にまとまって自分についてきてくれたからこそ、部の方針を決めることに集中できたと振り返る声には、深い感謝がにじんでいた。
立の前に選手たちに声を掛ける大澤(写真左)
弓道というよりは学生弓道の方が好きだという大澤。弓道はあくまでも個人技であって、動作を始めたら誰も介入することはできず、複数人で連携をしていくようなチームプレーもない。それでも学生弓道の評価対象は、個人よりもチームに重きが置かれる。つまり、自分の的中がどんなに良くても勝てない時が当然ある。そのことを大澤はどう感じているのか。大澤は少し思案した後、「毎日一緒に弓を引く仲間と戦っていくことが好き」と話した。互いに、その射も目標とするところも重ねてきた努力も知っている仲間だからこそ、ともに上を目指していきたいと努力することができた。大澤は弓道とのかかわりが完全に切れることはたぶんないと語ったが、それでもいったんのところは、この競技から離れることになる。「10年弓道をやってきたので、一度外から見てみるのが実はちょっと楽しみです」と茶目っ気のある笑顔を見せた。
(記事、写真 新井沙奈)