【連載】『令和3年度卒業記念特集』第9回 本野凜太郎/弓道

弓道

自分を『信じ』、仲間を『信じ』た4年間

 日本一という目標を掲げて奮闘した本野凜太郎(人4=東京・國學院久我山)。未経験から弓道を始め、主将としてチームを鼓舞してきた。弓道とは『信じること』と語る本野の4年間はどのようなものだったのだろうか。

 中高時代はラグビーをやっていた。大学入学時、真逆のスポーツをやってみたいとの思いから見学に訪れたのが弓道部であった。単純な動作を極める姿勢、弓を引いたときや的にあたったときの音に惹かれ、入部を決意。しかし、弓道は的中率を数値化するため、実力が目に見える競技であり、試合に出られないと明確にわかることが辛かったと言う。それでも辞めたいと思ったことはなかった。調子が上がったときには先輩が見てくれていて、試合に出してくれた。先輩への恩返しの気持ちから、活躍している自分の姿を常にイメージし、自分を信じて地道な努力を重ねた。

スローガンの『戴天』を掲げる本野

 4年生になるとき、早稲田の強みである人数の多さを生かすために、どのようなチームであるべきかを考えた本野。そして、部員がまとまり、切磋琢磨し合える環境をつくりたいという思いから主将に立候補した。さらに同期からの推薦も重なって、主将としての1年がスタートする。日本一という目標を掲げ、練習の質も量もシビアにすることから始めた。スポーツ推薦がいない中、特に精神面を重点的に鍛えた。自分と仲間を信じて続けたことは、今秋1部リーグ昇格という成果として現れた。

 「主将をやっていたときが1番しんどかった」。そう語る本野を支えたのは同期の存在だった。チームとしては、同期が後輩の面倒をよく見てくれた。競技の面では、経験者も未経験者も関係なく試合に出ようとする意志を強く持ってくれた。趣味も性格も全く異なり、弓道がなかったら出会わなかったはずの同期。信じられる同期がいたことで、主将としての1年間を乗り越えることができた。本野は「感謝の気持ちしかない」と語る。

 今後、競技としての弓道からは距離をおくことになる。4年間の弓道生活は『信じて継続する力』に変え、これからに生かしていく。ただ、弓道は「50、60(歳)になってもできる競技。できるときがあればやりたい」と語る。一生付き合える競技と出会った本野は、弓道の精神、そして主将としての経験を糧に次のステージへと進んでいく。

(記事 中村日菜美、写真 早稲田大学弓道部提供)