【連載】『令和元年度卒業記念特集』第10回 牧山千莉/弓道

弓道

背中で引っ張る

 弓道部は早大体育会部活の中でも最も長い歴史を持つ部活のうちの一つだ。4年前、高校時代での華々しい実績を引き下げて牧山千莉(スポ=千葉)は名門弓道部に入部した。弓道部での牧山の4年間、またどのように主将としての役割を果たしたのか、その軌跡を追う。

  4年前牧山は早大弓道部の環境に憧れて入部を決めた。入る前は早大の弓道部は伝統のある名門で、とても硬派なイメージを持っていたという牧山。しかし実際に入部すると確かに厳しい面もあったが、それ以上に楽しいことも多く、素晴らしい仲間に恵まれたという。入学してからは下級生としてがむしゃらに練習を積み、日々技術を向上させていった。そんな中、4年間でいちばんの挫折を下級生のころに味わったと牧山は語る。「大きな大会で自分の弓を引くことができなくなった」。高校時代は大きな大会でもあまり緊張することはなかったという牧山。それでも名門弓道部の重圧は凄まじいものであった。今までに味わったことのなかった緊張感だったという。また自分が結果を残すことができなかったせいで、チームが予選敗退に終わるという屈辱も味わった。しかしそのときの経験は自分の実力不足を見直すきっかけを牧山に与えた。このことは間違いなく選手として、また人間として大きく牧山を成長させた。

試合前に射の確認をする牧山

  4年生になり、周りからの推薦もあって弓道部主将に就任した牧山。下級生の頃に見た主将は背中が大きく、偉大な存在で、行動でチームを引っ張っていたと語る。そのような姿は牧山の思い描く主将像に大きな影響を与えた。人よりも多く練習し、言葉で言うことなく弓道部全体を引っ張る。自分が先頭に立ち、すべきことを背中で示す。これらのことを意識していたと話す。また主将に就任してからは部全体のコミュニケーションを円滑にしていくことを意識していた。何か悩みを抱えている様子の部員には積極的に声をかけ、意見を言いやすい環境づくりに努めた。さらに部全体をまとめるために、同期の和を重視したと話す。まず同期の中で自分の意見を言い、それを同期全体で共有し、さらに部全体にも共有することで上級生と下級生の風通しも良くしていったという。主将として、このような過程を踏み、弓道部の結束をより強固なものにした。

 

  牧山は4年間でいちばん印象に残った大会を3年時の全国大学選抜大会(選抜)だと振り返る。この大会で早大弓道部は2位という結果を残した。それまでの大会では予選で敗退することも多かった早大弓道部。しかしその年の選抜では予選を通過して決勝トーナメントに出場。多くの強豪校を倒しての結果だった。この大会で自分たちの実力は全国で通用すると証明することができたと牧山は話す。選抜2位という結果でも印象に残った大会であったが、実力を証明できたという意味でも印象に残る大会だった。

  大学卒業後、時間があれば早大弓道部と関わりを持ちたいと牧山は話す。次に主将に就任する矢内健(人3=東京・広尾学園)には「自分たちの代と比べて、一つ下の代は人数が少ないので自分たちとは違う色を出して欲しい」とエールを送る。春からは新しいステージに進む牧山だが、早大弓道部でやってきたことを生かして活躍を続けるであろう。

(記事 荻原亮、写真 菊元洋佑)