【連載】『令和4年度卒業記念特集』第49回 大串快晴/剣道男子

剣道

日本一への礎

 日本一を目指す早大剣道部。そんな剣道部男子主将を務めた大串快晴(スポ=愛知・星城)は、1年時から団体戦のメンバーに選ばれ活躍を続けていたものの、3年時にはスランプに陥り、チームとしても日本一の遠い状況が続いていた。しかし大串は大学4年間を「全く悔いのない4年間でした」と振り返る。加えて「チームに勢いがついた」と語る大串が、部に残したものとは――。

 引きメンを放つ大串

 小学校入学前、大串は高校まで剣道をやっていた父親が競技を再開するタイミングで一緒に剣道を始めた。中学では初心者も多い中、部活動で剣道に取り組み、高校は強豪校である星城高に入学。レベルの高い環境で、県内のライバルたちと切磋琢磨(せっさたくま)する日々を送った。

 もともと早大へは「入れると思っていなかった」という。しかし中学の頃、大串は動画で見た「早大」の垂れネームに憧れた。当時の早大は全日本学生優勝大会(全日本団体)で3位(2013年)やベスト8(2014年)を獲得するなど、全国に名を響かせる強豪校。そんな中、知人から学業成績と競技成績の両方を判断材料とする、競技歴方式の入試があることを知らされる。以前からの憧れと、自分にぴったりな入試方法。「せっかくなら早稲田大学を目指してみるか」。そうして、大串は見事憧れの早大に合格した。

 入学直後の部の印象は、良い意味で「想像通り」。高校時代は雲の上のような存在だった選手たちが、間近で練習している環境に喜びを覚えた。「できる限り早くレギュラーに入って活躍したい」。強い選手の存在は稽古への意欲を高くし、大串は部内での選考を勝ち抜いて、1年生ながら関東学生優勝大会(関東団体)のメンバー入りを果たした。さらにその試合でも、大串は先鋒として4試合に全て出場すると、3勝0敗1引き分けという好成績を残す。「がむしゃらにやって、知らず知らずのうちにいい結果が出た」。想像以上の快進撃に、「運が良かった」と自身でも驚いたという。

 2年生でもこのまま上り調子で活躍していきたいと思った矢先、世界はコロナ禍に見舞われた。剣道部の活動を制限され、ほとんど剣道のできない生活に。それでも、これまでで最も剣道から離れる期間となったことで、反対に剣道へのモチベーションは高まった。制限が緩和した3年時には、さらなる活躍を望んでいた。しかしその思いとは裏腹に、大串の大学3年目は厳しいシーズンとなる。

 「剣道から離れていた分スランプに陥ってしまい、全然駄目でした」。関東学生選手権(関東個人)では部内の選考を勝ち上がれず不出場。関東団体、全日本団体ではメンバー入りを果たしたが、全6試合に出場し、勝ったのは1回のみ。満足のいく結果を残せなかった。大串が思っていたよりもコロナ禍のブランクが大きく体がついていかなかったこと、そして1年時に結果を残していた分、どこかに慢心があったのだった。

 正座する大串

 迎えたラストイヤー。5月の関東個人では全日本出場権獲得、関東一を目標に出場したものの、全日本出場権のかかった3回戦でまさかの二本負け。3年時のスランプから抜け出せず、試合でのメンタルの持っていき方が不安定なまま大会を迎えてしまったことの表れだった。大会直後には「あと一勝というところで勝ち切れない技術力、精神力の弱さを痛感した」と悔しさをにじませた大串。チームとしても男子からは誰一人全日本個人に出場することができなかった。

 関東個人を終え、大串は稽古や試合への向き合い方を大きく変えた。それまではいろいろと考えすぎてしまい、試合だけに集中できていなかった。特に団体戦は自分の勝ちや負けがチーム自体の勝敗を左右するため、「負けたらどうしよう」「勝ったらヒーローだ」と余計な考えが生まれてしまう。「そうした邪念を全部捨てて、今の瞬間だけに集中しよう」。すでに全日本個人への切符を逃し、残るは団体戦。結果を残すために、大串はあえて結果のことを頭から追い出した。

 そして9月の関東団体で、早大は昨年度優勝チームの中大を破ってベスト8を獲得した。3回戦の東京国際大戦では7引き分けの末に大将同士の代表戦へもつれこんだが、大串は「床の板目を数えられた」ほどに無心で挑んで勝利。メンタルが確立したことで、接戦を勝ち切って全日本団体へ進むことができた。全日本団体でも無心で挑み、結果は2回戦敗退となったが、「やり切ったという思い」で試合を終えられた。

 さらに5年連続で負けを喫していた10月の早慶対抗剣道試合(早慶戦)では、6年ぶりに慶大を破って優勝。早慶戦という特殊な雰囲気にのまれやすい試合のため「思い切りやれ、後ろがいるから負けてもいい。そうやって安心感を持たせていた」と、大串は負けを恐れない姿勢を呼び掛けた。さらに過去4年間は校歌の声量から負けていたとして校歌にも力を入れ、審判すらも味方につけるような取り組みも行った。そうした「試合でもみんなが思い切りやれるような雰囲気づくり」が、6年ぶりの男女同時優勝を実現させた。

 大串はこの4年間を「競技剣道の集大成。競技人生の最後に、全く悔いのない4年間でした」と振り返る。全てがうまくいくわけではない中、どれだけ障害を少なく、どれだけいい結果を出せるようにするか、創意工夫の仕方を学んだ。主将としても統制しすぎず、部員が伸び伸びと、楽しく剣道をやれる雰囲気を部に残した。「少し勢いがついたのかなと思っているので、この勢いをさらに大きくして、日本一を取る部になってほしいです」。生涯剣道を続けていく上で、今後はいろいろな人と稽古し、人生を豊かにしていきたいという。いずれ日本一を取る部の礎を築いた大串は、早大から羽ばたく。

(記事 荒井結月 写真 荒井結月、堀内まさみ)