勝利以上のもの
「価値観が変わった、仲間の大切さがよくわかった」。これは小西波瑠(スポ=大分鶴崎)が早大剣道生活において一番感じたことである。小西は1年生時から多くの試合に出場し、4年生では主将としてチームをまとめてきた。カベにぶつかっても、剣道と真摯(しんし)に向き合い続けた小西の4年間を振り返る。
もともと新体操を習いたかったが、武道に励んで欲しいと考えていた父と剣道をしている姉の影響で小西も剣道を始めた。小学校1年生の時に初めて出場した大会で準優勝を収め、早くも才能が開花。その後、小学生時に個人戦全国ベスト16、中学生時に団体戦全国ベスト8、高校生時には全国選抜大会団体3位、インター杯団体戦3位と、順調に成績を積み重ね、地元である大分県では負け知らずとなっていた。そんな小西が進学先の大学として選んだのは、小、中、高と同じ場所で稽古し、小西をずっと引っ張ってきてくれた河村奈穂(平29卒)が通う早大だった。「(河村に)大学生活でもついていきたい」。小西は入学後、すぐに憧れの先輩が所属する剣道部へと入部した。
思うような結果を残せなかったが、小西は最後までチームを引っ張った
しかしこれまでの順風満帆な剣道生活とは一転、大学では苦戦を強いられる。1年生では、デビュー戦となった関東女子学生選手権で思うような試合ができずに2回戦敗退。その後、関東女子学生優勝大会の際には人生初のレギュラー落ちを経験し、大会出場すらかなわなかった。しかし全日本女子学生優勝大会(全日本)の前に改めて行われた部内選考でメンバーに選出。次鋒として全日本の出場は果たしたが、結果はベスト16と悔いが残った。それでも2年生では関東女子学生新人戦において、団体戦大将を務め準優勝を果たす。また、地元大分の代表としても全日本都道府県対抗女子優勝大会に出場するなど、前に前に思い切り攻め続ける剣道で波に乗ったかと思われたが、3年生の時には大会序盤での敗退が続き、結果を残すことができなかった。
主将として、今まで以上に強い思いを持って日々稽古に打ち込んだ4年生。しかし、関東女子選手権では3回戦敗退、関東女子学生優勝大会では2回戦敗退と思い残す結果となった。学年が上がり、さらに主将となったことでプレッシャーが大きくなり、下級生の時のように思い切って試合に臨むことができなくなってしまっていたのが敗因だと小西は振り返る。それでも悔しい思いをいつも分かち合ってきた同期の山下紗奈未(社=山形・左沢)らとともに、その悔しさの全てを早慶対抗女子試合にぶつけて連勝記録を15に伸ばし、ワセダの底力を見せつけた。
小西は、「1年生以来、大学全日本のステージに立つことができず、結果のみ見れば剣道人生の挫折ともとれるこの4年間だったけれど、同期の山下を筆頭に仲間たちと切磋琢磨(せっさたくま)できたこの時間は何よりもかけがえのないものとなった」と語る。どんなときでも主将としてチームを思い続けてきたことで、勝利から得られる達成感以上に充実したものをもらい受けたのだろう。ジャンプをするためには、一度しゃがむ動作が必要となる。4年間もの間、結果が残せないどんなに辛い中でも仲間と諦めずに努力し続け、深く深くしゃがみこんできた小西は、きっと春から始まる実業団での新たな剣道生活において誰よりも高く高くジャンプすることだろう。
(記事 湯口尊、写真 永池隼人)