小さな巨人
身長165センチ。一般的に長身が有利とされる剣道という競技において、正直心もとない数値だ。しかし、嘉数卓(スポ=神奈川・桐蔭学園)はそうしたハンディキャップをものともせず、自分より一回りも二回りも大きな選手にも恐れずに立ち向かう。鋭い打突で次々と相手を沈めていくその姿は、まさしく『小さな巨人』。全日本学生選手権(インカレ)に2回出場を果たすなど、早大を代表する選手として華々しい戦績を残してきた。しかし、嘉数の競技人生は決して順風満帆というわけではない。誰よりも真摯(しんし)に剣道に向き合い続けた男の、栄光の裏に隠された苦悩とは――。
初めて竹刀を握ったのは小学校入学時。「友人に誘われた」。ひょんなことから始めた剣道だったが、試合で勝てるようになると、少年はのめり込んだ。そして、小中と順調に腕を上げ、名門・桐蔭学園高を経て、「憧れていた」と早大へ。しかし、大学では剣道になかなか身が入らなかった。高3時、総体個人戦出場を逃したことを引きずっていたのだ。入部して半年以上経ってもモチベーションが上がらない。このままではまずい――。そんな嘉数の転機となったのは、関東学生新人戦(新人戦)だった。決勝の舞台で、対戦経験のある選手が躍動する姿に心が動かされた。「自分でもやれるんじゃないか」。心に火が付いた嘉数は猛練習に励む。そのかいもあり、2年時はインカレ出場、全日本学生優勝大会(全日本)ベスト4、新人戦優勝を果たすなど、好成績を残した。
主将として、大将として部をけん引した嘉数
3年時もチームに貢献した嘉数は、最終学年になると主将に抜擢される。「目標は日本一」。だが、高い目標に反して、結果が出ない。「プレッシャーを感じていた」。重くのしかかる名門・早大の主将という立場。嘉数は、スランプに陥っていた。部員がついてきているのかという部の運営上の悩みもあった。しかし、苦悩する姿を見せることなく、ひたむきに稽古に励み、部員たちに背中で語り続けた。「自分から稽古をする」という部の方針に常に忠実であり続けること。それが部の大黒柱としての役割だった。
無念の2回戦敗退に終わった全日本から約3週間。嘉数は最後の戦い、早慶対抗試合に臨んだ。悔しさを晴らす最後のチャンス。早大はみな一様に声を張り上げて仲間を鼓舞し、チーム一丸となって戦った。すると、一度も慶大に先行を許すことなく、大差をつけて白星を飾る。部員全員が全力を尽くしてつかんだ勝利。大将の嘉数には出番はなかったが、「1,2、3年生が頑張ってくれてうれしかった」と顔をほころばせ、仲間たちと喜びを分かち合った。「主将として1年間やってきて良かった」と心から感じた瞬間だった。
「どの学年の年も濃かった」と剣豪は大学での生活を振り返る。主将としての経験。ずっと支えてくれた仲間。かけがえのないものを得た4年間だった。早大で心身ともに大きく成長した嘉数。卒後は実業団にステージを移し、剣道を続ける予定だ。「全日本実業団大会で優勝したい。全日本選手権、国体にも挑戦して出場できれば」。都の西北を離れても、やるべきことは変わらない。ただ精進を重ね、頂を目指すのみ。『小さな巨人』の飽くなき挑戦は終わらない。
(記事 佐藤諒、写真 藤川友実子氏)