シンプルに、奥深く
早大空手部にとって1年の集大成となる早慶戦。3年ぶりに宿敵・慶大を破り、歓喜の輪が広がった。その中心にいたのは吉田翔太(スポ=埼玉・栄北)主将。空手の、そしてチーム作りの「シンプルで奥深い」ところを突き詰め、悲願を達成するまでの道のりを振り返る。
吉田が空手と出会ったのは6歳の頃。兄の道場通いについて行くうちに自然と始めていた。中でも、相手と対戦する組手の魅力に惹かれた。組手の技は突きと蹴りの2種類が中心だが、体格やプレースタイル、駆け引きによって展開が大きく変わる。そのシンプルかつ複雑な戦いに夢中になり、常に戦い方を考えながら練習する習慣が身に着いた。
取材に応じる吉田
高校では強豪ひしめく埼玉県を突破できず、なかなか全国的に目立った成績を残せずにいた。早大の空手と学問を両立できる環境にあこがれを抱きつつも、現実的には厳しいと感じていたという。しかし高2の全国選抜で2位に入り、一躍世代トップに名乗りを上げる。この結果で早大への切符をつかみ、大会帰りの飛行機でエンジをまとう決意を固めた。
こうして早大に入学した吉田は、早大の学生主体で自由な環境のもとで頭角を表した。入学後すぐの5月から団体戦のメンバーを勝ち取り、強敵を相手に勝ち星を重ねていく。関東大学選手権(関東団体)では世界ランカーとも白熱した勝負を繰り広げ、ベスト4の好成績に貢献した。2年次は東京六大学大会の個人戦で準優勝。その後は惜しい敗戦が続いたものの、「大きく崩れた試合はなかった」と着実な進歩を感じたシーズンとなった。
上段突きを決める吉田
吉田が3年生になり、チームの核として活躍が期待された矢先。2020年の冬、新型コロナウイルスが世界を未曽有の混乱に陥れた。学生空手界でも大会が次々と中止になり、チームメイトと共に練習することすらかなわない。先が見えない状況に思い悩んだ時期もあった。しかし、リモート環境の中で練習に励む仲間に「自分もここでめげていられない」。画面越しの仲間の姿を見て奮起した。
主将として迎えた最終学年では、全体で高めあうチームづくりに尽力した。学生大会では団体戦の比重が高く、特に早慶戦では13対13の総力戦となる。そのためトップレベルから初心者まで幅広く在籍する早大空手部で、チームの一体感を持たせることを重視したのだ。また、練習では各自の課題や目的を設定させ、時には技に対する意見交換も行った。常にシンプルな練習の意味を突き詰める、吉田ならではの試みだった。
その結果、夏を越えて男女ともに新戦力が台頭。団体戦のメンバーに下級生が多く名を連ね、「下から突き上げられた」と振り返る。関東団体では3年ぶりに男女ともに全日本へコマを進め、負けた試合でも強豪校にあと1歩まで迫った。チームの成長を感じる一方で、吉田自身は思うような試合運びができず苦しんでいた。関東団体・全日本大学選手権ともに最後の試合で敗れ、結果でチームをけん引できない葛藤が募る。しかし早慶戦が2週間後に控え、落ち込んでいる暇は残っていない。これまで支えてきた部の仲間が熱心に練習している姿を見て、もう一度前を向いた。
迎えた早慶戦では大将としてチームを鼓舞し続けた。自身の出番を待つ中、共にチームをけん引してきた4年生や大学から空手を始めた選手が互角以上の戦いを繰り広げる。「なんとなくの練習であの技は決まらない」と吉田もその成長ぶりに舌を巻くと同時に、自身が進めてきた取り組みが形になったことを実感した。早慶の意地がぶつかった13番勝負は要所で競り勝った早大が8-5で勝利。自身も白星が遠かったもどかしさを払しょくするような、すがすがしい快勝で自身最後の試合を締めくくった。
最後の早慶戦の大将戦で戦う吉田
「生きてきた中で1番嬉しい」。3年ぶりに宿敵・慶大を破り、そう振り返る言葉には万感の思いがこもっていた。チーム全員で掴み取った早慶戦。吉田が主将として取り組んできたことの成果が、この1勝に詰まっている。心残りなのは公式戦で結果が上がらなかったこと。チームの底上げは進んでいるものの、強豪校とのあと1歩の差を埋めるためにはまだ課題が山積みだ。だが、共に歩んできたチームへの信頼は厚い。「自分たちの代の成績よりもう一つ上がってほしい」。チームのさらなる成長を新主将の長沼俊樹(スポ3=東京・保善)に託し、吉田は次の舞台へと翔けていく。
(記事、写真 名倉由夏)