【連載】『平成29年度卒業記念特集』第18回 末廣祥彦/空手

空手

道しるべになる

 大学を代表する、東京都を代表する、道場を代表とする。今まで数々の期待を背負ってきた末廣祥彦主将(スポ=東京・世田谷学園)。しかし、それをプレッシャーと捉えずに「責任として捉える」ことによってマイナスに考えなかった。どんなときも手を抜かず、常にチームのことを考え、チームを引っ張り続けた末廣の思いとは。

 当初、末廣は早大に行くつもりはなかった。熱い誘いもあり、入学を決意したが、早大の空手部の練習を見に行った時、自分たちのみで練習をしていて、どうして強くなれるのか疑問で仕方がなかった。今まで厳しい環境下でやっていた末廣にとって、のびのびと自主性を主体とした練習をしている「早大空手部」には驚きと可能性を感じた。

常にチームのことを考えてきた末廣

  空手と出会ったのは、兄・哲彦(平29スポ卒=東京・世田谷学園)が空手を始めた1年後の5歳。最初はなんとなくやっていた空手だが、徐々に才能が開花し、東京都中学生・幼年大会では5年連続優勝を達成した。中高は特に全国を意識し、さらに空手にのめり込む。大学に入っても、今まで全日本で勝てなかった人に勝てるようになり、勝利することの楽しみを知っていく。大学2年生の時には全日本空手道連盟の全日本大会に出場し、見事3位を勝ち取る。今まで観客としてみていた憧れの場所に自分が立ち、観客席を見上げた景色には感慨深いものを感じたという。そんな絶好調な時に、問題が起きた。今まで耐えてきたケガの悪化。そして手術である。末廣いわく、「今でもスランプです」。手術をして3年の後期に復帰するも、1、2年生の時の調子を取り戻すことができず、スランプから抜け出すことはまだできていない。しかし、「支える側としてでも、自分を成長させたい」と常に諦めずに前に進んできた。

 「兄を超えたい」。目標にしていた兄が抜けて、主将になった末廣。「主将としての1年間はとても早かった」と振り返る。しかし、不安を持つのではなく、どんなチームにしようか、どのようにチームを作っていこうかと楽しんでいた。自分の中での主将の仕事とは「道しるべになること」であり、自分が前面に立ち勝利を上げることでチームを引っ張っていくことであると考えていた。また同時に、早大特有の自主性を重んじた、空手にさらにのめりこめるような環境づくりを目指してきた。チームに対し自分が何をすべきかを常に考え、チームをけん引してきた、この末廣の思いは仲間に浸透した。そして、それは信頼に繋がった。

 「ここまでこれたのは同期、家族、兄など周囲の人のおかげ」。どんな時にも感謝を忘れず、誰よりも空手部のことを考えてきた主将としての行動や思いは後輩に引き継がれるであろう。「卒業しても空手は続ける」。末廣はさらなる高みを目指して歩み続ける。

(記事 江藤華、写真 萩原大勝)