今季、新たに誕生した男子形の団体。それは、今まで唯一の形拳士だった早津陸(先理4=東京・世田谷学園)の願いそのものだった。多くを語らない早津だが、その微かな声を拾うかのごとく空手部の門をたたいた佐川開人(商1=埼玉・早大本庄)と鈴木捷太(スポ1=群馬・太田)。二人の加入により、男子部にも形の団体が生まれた。早津にとっては最後となる、両新人にとっては初の関東大学選手権へ向けて――。若干アンバランスな組み合わせの三人が語る、『魅せる』空手の極意に迫った。
※この取材は9月27日に行われたものです。
「成長できたのは早津先輩のおかげ」(佐川)
笑顔で質問に答える佐川
――いつもこの3人で練習を行っているのですか
早津 もう1人、谷口(輝、スポ1=早稲田佐賀)という形の選手がいて、その4人でやっていますね。
――その4人で集まって、授業後にという感じでしょうか
早津 練習時間が決まっているので、その時間に。夏休みは午前中に4人で、という感じですね。
――形の選手は少ないですが、組手の選手と一緒に練習をすることはあるのですか
早津 いえ、ないですね。基本のアップや体操が終わればもう完全に分かれて、こちらはこちらでメニューを考えてやっています。
――そのときはもう早津さんが主将のような役割で
早津 そう・・・ですね。あと、女子の國米さん(櫻、国際コミュニケーション研究科M2=京都・同大)がいられるときは相談しながらメニューを決めて、という状態ですね。
――新人(1年生の呼称)のお二人は、それについていくという感じですか
佐川 そうですね。流派が違うのですが、早津先輩の流派に合わせて頑張ってついていきますね。
――鈴木さんもそのような感じですか
鈴木 はい、そうですね。最近ではみんなで意見を出し合って、ということもしています。
――自主性がありますね
早津 最初の頃は、まだ(二人が何も)分からない状態だったので僕主導でやっていましたが、最近ではお互いに意見を出し合って練習メニューにこだわったり形をどうしたら良いか考えたりというのはやっています。
――では、そんな早津さんの存在は新人のお二人にはどのように映っていますでしょうか
佐川 そうですね・・・。技が全て正確なのですごいなと思っていて、基本の動作もすごく上手ですし、見習うというか学びたいところがたくさんあるな、と。
鈴木 いま話に出た技の正確性や技自体の完成度も高くてすごいなと思いますね。自分はそれ以上に、先輩のストイックさというか、練習への姿勢がすごいなと思っていて、もう、ついていくのが精一杯です。
――逆に早津さんにとってはこのお二人の存在はいかがでしょうか
早津 二人とも、高校の実績がしっかりとあって、(自分自身が)下から突き上げられている感覚もありますし、ある程度の技術があるので後輩として指導する上でやりやすいです。流派は別にしても、大学から始めた選手とは違い、考え方がすでにしっかりとしているので、一緒に練習をするときのやりやすさみたいなものはありますね。
――指導する側からしても、比較的高度なことを要求できると
早津 そうですね。
――それを聞いてお二人はいかがですか
佐川 いやでも・・・。自分が仮に他の流派の人に教えるとなったら結構な苦労があると思うので、そのあたりはここで言うのもあれですが、成長できたのは早津先輩のおかげですね。
早津 ・・・恥ずかしいですね。
一同 (笑)。
――女子の形の選手とも練習をされるようですが
早津 今はわりと別でやっているのですが、前は同じメニューをこなして比較してみたり、技を見合ったりだとかですかね。やっていました。
――女子の皆さんからの感想を聞いてみて、より良い形を作っていくと
早津 男子と女子とで審査基準が違うのですが、そのあたりでやはり女子からもらう意見というのは貴重ですね。男子にないような視点を持っていてためになります。
――早津さんは今までの3年間は男子形としてはお一人でやられていたと思いますが、もの寂しさは感じられていましたか
早津 そうですね。高校時代は大人数でやっていたので、今は少ないと感じますね。それと大学に入ってから初めて女子と練習するということを経験したので、部員が少ないのと女子と練習するのと、初めてのことが多かったように思います。
――新人のお二人は今までどのような環境で空手をされていたのですか
佐川 自分は中高と部活でやっていたわけではなく、一人で鏡の前でやっていて。部活でやるのは大学で初めてだったのですが、やはりモチベーションは部活としてみんなでやる方が上がるというか、誰かがいる方が自分のレベルも分かると思います。
鈴木 僕は中高と部活があったので部活にも所属して、外部の道場にも通っていました。部活は初心者が多かったので、今のようなガッチリした組織ではなくて練習も緩めでした。団体の形をやるのも今が初めてです。
――佐川さんは鏡の前に立って一人でやられていたのですか
佐川 そうですね。形って、誰かに見てもらうのも大事なのですが、別に相手は必要ないですし、上手な選手の動画を見ながら鏡の前でやっていましたね。
――では、本格的に空手を指導されるのは、新人のお二人は初めてだと
佐川、鈴木 まあ、そうですね。
――さて、男子の団体形というものがこの度新しく誕生した経緯を教えてください
早津 昨年までは形をやりたいという新入生がいなくて、自分はとりあえず個人として形をやりながら毎年のように形の選手が入って来ないかなと思っていました。そして、(1年生の二人が入部した際は)来た!って思いましたね。
一同 (笑)。
――新たな形の選手を待っている間に、組手に移行しようかなと思われたことはなかったのですか
早津 新人の頃、一時期は組手をやっていました。が、春になれば個人戦があって、たとえ団体としてのメンバーがそろわなくても個人戦という目標があるので、ずっと形を頑張っていました。
――それで、ことしは新入生が二人ほど入ったおかげで団体戦への出場がかなったと
早津 そうですね。例年とは違うモチベーションですね。
――新人のお二人は早津さんのように個人の大会に出るということはあるのでしょうか
鈴木 そうですね。自分は予選で負けてしまったのですが、個人の試合にも出場しました。そこで負けてからは団体のための練習をしています。
佐川 僕は国体の予選もあったのでそちらも頑張っていましたが、基本的には団体があるんだということを頭に入れながら練習をしていました。
「レンジャーものに憧れたのがきっかけ」(鈴木)
ケガ明けの鈴木だが表情は明るい
――空手との出会いは
鈴木 4歳の時に日曜の朝に放送されているレンジャーものを見ていて、そのときのレッドを演じられていた永井大さん(俳優、ケイダッシュ所属)という方が元々空手をやられていたということで、その放送の中でも空手をしているシーンがあってそれを見てかっこいいなと思って始めたらしいです。母が言っていました。
――ご自身での記憶がないほどに昔のことなんですね
鈴木 そうですね。そのときは姉が空手をやっていて、一緒に道場に通うことになってました。
――空手の上手なレンジャーに憧れて始められたということですが、そうすると最初は組手の選手になりたかったということですか
鈴木 そうですね。中学までは組手も形もどちらもやっていたのですが、高校に入ってからは部員がいなくて組手をする相手がいなかったので形だけになったという感じですね。
――非常におもしろいお話でしたが、佐川さんはいかがですか
佐川 僕は5歳くらいまで体が弱くて、すぐに病院に行くような子どもでした。それで父親が空手を勧めてくれたのがきっかけですね。小学生のころはそんなに頑張っていたわけではなかったのですが、2年生くらいの時に小さな大会ですが勝てたので、これで本気でやればトップを目指せるのかなと思ってそこからなんとか続いているという状況ですね。
――早津さんは、きっかけとしてはどのようなものだったのでしょうか
早津 僕は4歳から始めているのですが、最初は5、6歳上の近所のお兄さんが空手をやられていて、その方の影響で4つ上の僕の兄が空手を始めました。それで「お前も一緒に」というふうな感じで始まり、そこからは、ダラダラというわけではないのですが、成り行きのままに続けています。空手協会の大会に出場できるのが小学3、4年くらいからなのですが、そのときに初めて試合に出て、そこではあまり良い結果も出ずに、そのときにうちの両親が名門の道場を回って来て本格的に空手をやり始めるようになりましたね。
――近所のお兄さんや両親など、周囲の方々にも勧められてより本格的に空手に打ち込んでいったわけですね
早津 そうですね。その新しい道場の先生に「いい中学校があるよ」ということで勧められたのが世田谷学園中高で。それで、受験しようとなって、世田谷学園中を目指す日々が始まりました。
――ではもう空手のために受験を
早津 そうですね。勉強のために小6は少し空手のほうを休んでいましたが、それも『セタガク』で空手をやるための勉強を頑張ったからなので、空手に対する思いは昔からずっとありましたね。
――それぞれがそれぞれの空手を打ち込まれていたと思いますが、そこからワセダを志した理由とはどのようなものでしょうか
早津 これもまたいろいろな方の影響なのですが、早大空手部のOGである柴崎暢子さん(平26社卒=東京・八雲学園)のお兄さんが高校の5つ上の先輩で、自分が中1のときの高3でした。暢子先輩のお兄さんのお父さんは、つまりは暢子先輩のお父さんでもあるのですが、埼玉に道場を開いていて、自分もよくそこに練習に行かせてもらっていました。そこには当然ですが暢子先輩もいて、それで早大に進まれるということを聞きました。また、その道場には早大空手部のOGである上杉ユミさん(平27スポ卒=東京・八雲学園)もいらして、通っていた道場にすでに2人も早大に行っている先輩がいて、かつ暢子先輩の同期の丸山先輩(政宏、平26社卒=東京・世田谷学園)が高校の先輩であり早大で、ワセダを勧められたので、そのときにはもう「俺はワセダに行くのかなあ」とうっすらですが思っていました。
佐川 僕は、中学の時には高校で空手をしたいと思っていました。そこで早大本庄高は空手をやってきたことも評価してくれる推薦制度があるということを聞いて受験したら受かりまして・・・
鈴木 (佐川選手は)基本的に天才肌なんですよ。空手もそうですけど。
早津 (佐川選手は)なんとなくやったらできちゃう(笑)。
一同 (笑)。
佐川 で、そこからは付属校なので・・・そのままという感じで。
鈴木 さすが、天才は考えることが違う(笑)。
早津 さすがだな(笑)。
――はい、ありがとうございます。鈴木さんは大学からワセダだと思いますが
鈴木 僕は、高1と高2で大学でも空手をするために部活を頑張っていました。そして高3になってふと大学を考えてみたら、勉強をあまりしていなかったことに気が付きました。それで、空手道の評価もしてくれる受験方式を探したところ早大や他の大学もいくつか出てきて。その中から最も行きたかったのが早大だったので受かってからはすぐに早大空手部に入ろうと思いました。ワセダを目指したきっかけは、もちろん伝統だとかそういうものの大きいですが、そういう受験方法があったからというのが大きいです(笑)。
――早津さんは世田谷学園中・高の出身ですが、現在もチームメートである末廣哲彦主将(スポ4=東京・世田谷学園)や末廣祥彦選手(スポ3=東京・世田谷学園)とはその頃から一緒だったのでしょうか
早津 そうですね。中学の春の選抜大会から一緒ですね。兄とは同期として、弟とは一つ下の後輩としてずっと一緒です。
――その二人はスポーツ科学部へと進まれましたが、早津さんは先進理工学部という比較的勉強の大変な学部に入られました。部活動との両立についてはいかがですか
早津 まあ、なんだろう。確かにテスト前は大変だなと思っています。科目も多いし専門性も高いですし。前期は7月末からテストなのですが、テストに向けた勉強というものをテスト休みよりも早くから行わないといけないので、練習後にテスト対策をしていますね。
――やはり大変ですね
早津 それでも間に合わず、テストまでのラスト1週間はモンスター(モンスターエナジー、ハンセン・ナチュラル社のエナジードリンク)を飲みながら・・・。試験当日におなかが痛くなるのですが、それでもそのまま試験を受けに行って。
――・・・
早津 まあ、テストだけを頑張っていると言われても仕方のないくらいに普段は部活をしていますね。お勉強も頑張っているつもりですが・・・
――十分に素晴らしいと思います。どのような研究をされているのですか
早津 応用物理学科というところでして、ことしから研究室に配属されました。今は『液晶』の研究をしています。
――新人のお二人は大学生活には慣れましたか
佐川 まだ部活を1年通して経験していないので、正直まだ実感は湧かないですね。あとは、テストや時間割が1コマ90分であることにはだんだんと慣れてきたかなとは思っています。前期は部活とテストが被っていたので、少し大変でしたね。
――道場については早稲田キャンパス内にあるので近くて良いのではないでしょうか
佐川 そうですね。そこは恵まれていて良いなと感じています。
早津 ことしに関して言えば、今やっている研究の拠点が早稲田キャンパスの近くなんですよ。だから今は近いです。きょねんまでは15分くらい歩いていましたけど。
――一方で、鈴木さんは空手部の道場から遠い所沢キャンパスに通っていることだと思いますが
鈴木 授業後に来るのが大変です。高校の時は学校に行くにも自転車で通っていて、そもそも電車での通学も初めてで、電車で所沢の方に行って今度はこちら(早稲田)に来て部活をやってっていう感じで。最初は大変でしたね、今はもう慣れましたけど。これが普通って思ってます。
――大学の90分の授業には慣れましたか
鈴木 はい。元々高校の授業が65分くらいの長めの授業だったので、こちらはすぐに慣れました。
――では、授業ではもうすぐに対応できたと
鈴木 そうですね。空手部にもスポーツ科学部の先輩は多いですし、授業やテストの相談もしやすいです。
――新人のお二人は最下級生ですので、練習での雑用や道場の整理整頓が多いと思いますが
佐川 大変ですけど、基本的に空手部の先輩って優しいんですよね。
早津 なんかきょうヨイショしてるぞ(笑)。
佐川 いえ、日々思っていることを・・・
一同 (大爆笑)。
――では、あまり大変ではなく、新人の仕事もこなせていると
鈴木 そうですね。これも慣れたっていうのもあります。
――新人のお二人の話を聞かれて、早津さんは新人時代のエピソードで何か思い出されたものはありますか
早津 新人の時は、5月に個人戦が終わってからずっと組手をやっていました。丸山先輩に「組手もやっちゃいなよ」と言われて。あれよあれよと組手の選手になっていました。その経験を思い出しましたが、今思えば個人戦や早慶戦にも出させてもらえて良い経験になったなと思います。
「自分たちらしさを出していけるように」(早津)
4年生の早津が新人たちを引っ張る
――形からは全日本学生選手権への出場者が出ませんでした。その際に「力強さが足りなかった」との言葉がありましたが、やはり上位進出には力強さが必要ですか
早津 他の流派の試合だと形の正確性が重視されるのですが、学生の大会となると力強さだったり見栄えだったりが重要になるので、見ていて力があるなと思われたりおもしろいなと思われるような演技が好まれるのかなと思っています。そこで、もう少しパワフルにいければいいかなと思いますね。
――合宿がありましたが、力強さをつけるためにも大事なトレーニング期間となったのでしょうか
早津 ことしは特に良かったと思っています。例年通りのプログラムではなく、ことしは個々人に合った練習が1週間みっちりとできたのではないかなと感じています。
――早津さんはパワーが大事だとおっしゃられましたが、それまで磨かれてきたスピードやキレについて、今はどのようにお考えですか
早津 団体に関しては、新人の二人は初心者みたいなものなので、まんべんなくというか、無理に速くしたりキレを出すような激しい動きをさせたりはしなかったですね。あとは、「俺のまねして」みたいに軽く言ってみたりだとか、そのようなふうにやっています。
――団体での形が『燕飛(エンピ)』というものになりますが、これはどういった形なのでしょうか
鈴木 形のイメージとしては、本当に短いのですが見せ場が所々にあって、それと速いところと遅いところがあってそこの緩急の見せ場となりますね。自分たちはこの形に関しては初心者で、他の演技者の方と比べるとパワーやスピードで敵わないところがあるので、それを補うために緩急だったり場全体の雰囲気だったりで勝負していこうと話しているところですね。
――鈴木さんについてはケガから復帰されたばかりだと思いますが、身体は万全でしょうか
鈴木 1週間ほどは上半身しか動かせなくて、きょうもまだ動きが悪かったのですが、本番までになんとか動けるように戻していこうと思っています。
――個人の練習と団体の練習で違う点はありますか
早津 個人の時は自分のことだけを考えてやればよかったのですが、団体となると自分だけではないので新人のレベルアップに努めました。まっさらな状態から始まったことなので、最初は自分たちの色がなくて、それでもやっているうちに自分たちらしさを出していけるようにはなっているのかなと思います。
――新人のお二人はいかがですか
佐川 ずっと一人でやってきたので団体は初めてみたいなものです。団体は自分が思っている通りにやるというよりもみんなで息を合わせてというか、個人は流れを考えてやるのですが、団体では一本一本を魂込めて統率性を持ってやらないといけないなと思っています。
鈴木 個人的なことですが、関東個人(関東学生選手権)まではどこか大学の空手を甘く見ているところがあって、そこから関東個人で自分の形が通用しなくて、気合いを入れ直して臨んでいるのが団体です。団体はやはりみんなで息を合わせる必要があるので、統一感というものが必要になってくるのではないかなといつも思っています。
――スバリ、自分たちの強みは何でしょう
早津 流派が違うのが不利な方向に向かっているのではなくて、その流派でやってきている他大とは違う流派出身のメンバーがいるからこそのゆっくりの味の出し方であったり、さっきも話に出てきた緩急だったりは他と違う魅力を引き出せるのではないかと思っています。
佐川 流派が違うことをやっているのでまだまだつかみきれていませんが、早津先輩がこのように言ってくださるので、そのことを生かせる演武になればいいなと思っていますね。
鈴木 自分の流派がゆっくりのところで魅了できると思っていて、逆にそこを見てもらえないと評価してもらえないと思うので、自分の強みとしてはゆっくりの部分だと感じています。
――最後に関東大学選手権に向けての意気込みをお願いします
早津 全日本(全日本大学選手権)に進出できるチームが4校から7校に増えたのですが、行ける確率としては広がっているわけですし、毎年強い学校が5校あるのですが、その下の2枠に食い込めば全国に行けます。レベル的にはそこに食い込めればいいくらいだとは思うのですが、あまり下ばかり見ていても仕方ないので、あくまで一番上を目指して残り2週間ですけど頑張っていきたいです。
佐川 自分は今まで個人しかやってこなかったので、団体で5位圏内を狙っていくと思っていても正直まだピンと来ていません。個人のときはいつも優勝を狙っているので団体でも優勝を狙っていきたいです。
早津 5位圏内を狙っていても入れないからね。テッペンを目指していかないと5位圏内にも入れないよね。
佐川 そうですね。一番上を狙っていかないとダメですね。
鈴木 自分は関東個人で持ち味を出せなかったので、団体こそは持ち味を出して全日本へ出たいですし、まずは関東に向けて調整して仕上げていきたいです。
――ありがとうございました!
(取材・編集 菖蒲貴司)
『燕飛(エンピ)』のポーズでキメてくれました!
◆早津陸(はやつ・りく)(※写真中央)
1995年(平7)1月22日生まれ。169センチ、61キロ。A型。東京・世田谷学園高出身。先進理工学部4年。最難関ともいえる先進理工学部には指定校推薦で入学された早津選手。高1から早大空手部に入るために定期考査を頑張ってきたと言います。中学校もまた、空手をするために受験をされていますが、そのような人生については「空手のために頑張ってきたなあ」と、空手と共にあった学生生活をしみじみと振り返られていました。今後の進路には空手がどのように関わっていくのか、少し早いですが引退後の早津選手にも注目です!
◆佐川開人(さがわ・かいと)(※写真右)
1997年(平9)5月30日生まれ。161センチ、61キロ。O型。埼玉・早大本庄高出身。商学部1年。天才肌と言われる佐川選手。合宿では先輩たちのイタズラで同期とともに部屋に閉じ込められたそうです。他の部員たちは朝の練習に出られなくなることを恐れていたようですが、そこで鈴木選手が一言。「だったら朝練に出なくてもいいんじゃないか」。やはり天才は考え方が違うと、後日この話を聞いた早津選手も圧倒されているようでした。
◆鈴木捷太(すずき・しょうた)(※写真左)
1997年(平9)4月20日生まれ。166センチ、67キロ。O型。群馬・太田高出身。スポーツ科学部1年。かつては他の大学に行くことを考えていたという鈴木選手。自身の持つ形の実績を使える受験方法を見つけたことでワセダへの進学を目指し始めました。現在の男子組手メンバーがここで出会うことになったのも運命なのかもしれませんね。