大切な瞬間
『主将』という言葉は、短くして、その響きは重い。先頭に立ってチームを引っ張る者に、求められるものとは何か。誰にも負けない圧倒的な実力だろうか。巧みな言葉と行動で人を惹きつける力だろうか。それとも――
永田達矢(商=東京・早稲田)は、突出した強さを誇るわけでも、類まれなカリスマ性を備えているわけでもない。それでも、幾多の葛藤を抱えながら、時には悔しさを押し殺しながら先頭に立ち続ける。そんな彼に導かれる部員たちの目に映ったのは、誰よりも一生懸命で、誰よりもチームを愛する『主将』の姿だった。
「どうしたら自分が主将としてあるべき姿になれるのか」。3年時、すでに次年度の主将を務めることを自覚していた永田は焦り、もがいていた。上級生として後輩を指導し、練習から取り組む姿勢を見せなければいけないことを頭では分かっている。それでも、その意識は十分なものとは言えなかった。焦りばかりがつのる日々。「意識を変えてやっていかないと周りからも本当に認められるような主将にはなれない」。心機一転、自ら考え行動に移していった。迎えた3年の冬、永田はとうとう主将に就任する。
大将として団体戦に臨む永田
主将となって目指したのは、上級的なテクニックを磨くのではなく、土台の部分を強くして競り勝っていくチーム。ワセダの空手部には、高校時代に実績のある上級者から大学から空手を始めた初心者まで、幅広く所属している。下の層の底上げは、勝つために不可欠な要素だ。基礎的で地味な練習を多く積むことで下の層が力を伸ばし、上の層を脅かす選手が台頭してくる。そうして刺激を受けた上の層も、一層必死に練習に取り組むようになる。『土台作り』を通して、エリートとたたき上げの融合によるチームの強化を図ったのだ。
その地味で辛い練習をこなすにあたって、永田が手を抜くことは一切なかった。「前に立ってみんなの顔を見るのが主将であり、逆に見られるのも主将」。先頭に立って誰よりも泥臭く頑張る姿を部員たちに示し続けた。そうして過酷な練習が続いても、聞こえてきたのは「もっとやりましょう」という声。部員たちから不満が出ることはなかった。「辛いことをみんなでやるからこそ、お互いに心から分かり合える」。押し付けられるのではなく、自発的に厳しい練習に取り組み、それを乗り越えたからこそ、部内の結束も一段と増した。
また、自分が一番強いわけではないことを、永田は自覚していた。スポーツ推薦で入学した実績がある後輩に、実力では敵わない。自分から団体戦のメンバーから外れたこともある。主将がコートに立てず、観客席から見守ることしかできないことは、恥ずかしいし、何よりも悔しい。そんな時はいつも、自分に言い聞かせる。「一番欲しいのは自分たちの勝ち」。勝利に徹し、後輩の背中を押した。難しい決断を強いられ、悩みが尽きなかった一年。自分を見失いかけたこともある。そんな時、大きな支えとなったのは、二人の同期の存在だった。入部以来、同じ痛みを経験し、時には正面からぶつかり合ってきた仲間だからこそ打ち明けられた胸の内。話を聞いてくれて、負担を減らしてくれる同期がいたからこそ、主将に徹することができた。
四年間の大学生活は、苦しい時の方が多かったかもしれない。それでも、道着を脱ぎ『主将』の引き継ぎを終えたいま、空手部で過ごした日々を「自分の人生の中で一番大切な瞬間」と自信を持って言える。特に、主将として人一倍悩み、考えた続けた最後の一年は、自分を育ててくれた大きな財産だという。「強さで引っ張るだけが主将じゃない、裏方に回ってチームを強くするのも主将」。それが永田の信条となった。そして、一年間取り組んできた『土台作り』によるチームの強化に確かな手応えを感じ、より主体性を持って行動するようになった部員たちの飛躍に太鼓判を押す。「お前らは大丈夫」。心身ともにたくましくなった後輩たちにエールを送り、また『主将』の顔に戻った。
(記事 郡司幸耀、写真 渡辺新平)