最高のチーム 支える力
春季・秋季六大学リーグ戦(リーグ戦)優勝、全日本大学選手権(全日)優勝という、3つの栄冠を手にした準硬式野球部。結果こそ輝かしいが、その道は平たんではなかった。個性豊かな100人を超える部員たちを率い、まとめてきた吉田龍。捕手として、主将として、チームを支えてきた4年間を辿(たど)る。
高校時代には甲子園出場の実績を持つが、大学入学当初は野球を続けるつもりはなかったという。だが、野球の無い生活は退屈そのもの。「野球が生活の一部になっていました」と当時を振り返る。その後は高校の先輩が所属する準硬式野球部への入部を決意。すると、1年春から捕手としてリーグ戦に初出場を果たし、秋からはスタメンマスクに抜てきされる。その期待に応えるため、最小失点に抑えるための練習に尽力。さらに、先輩に対して自分の意見をしっかり伝えることで、自身のセールスポイントである捕手としての技術と度量を磨き続けた。優秀な投手陣からの刺激も大きく、捕手としての楽しさを存分に味わうことができた1年となった。しかし、この早期起用が重圧となることもあった。試合に出ることができない先輩が多くいる中で、出場する自分は勝利に貢献できていないのではないかという焦りと不安。さらに、チームも強力な打撃陣が揃う中で良い成績を残せていなかった。吉田龍が後輩として過ごした日々は、『勝つことの難しさ』を感じた悔しさのにじむ時間となったのだ。
笑顔がトレードマークの吉田龍
4年生になり、吉田龍は主将に就任した。だが、そこには想像以上に過酷な日々が待っていた。事務作業をこなさなければいけない上に、始まったばかりの新体制を引っ張っていかなくてはいけない。そして試合となれば、捕手として自分の役割を果たし、結果を出すことが求められた。そんな中、チームが転換する一つのきっかけとなる試合を迎える。目標として掲げる『全日優勝』を果たすため、その出場権をつかもうと臨んだ関東大学選手権。その第4回戦でまさかのコールド負けを喫する。自身のエラーもからんだこの敗北が、チーム内の歪みを一層深めることとなってしまったのだ。試合後の話し合いでは、「幹部だけで仕事を進めすぎている」といった意見が続出。振り返ってみると、当時の新しい幹部には仲間の意見を聞く余裕がまだなかった。このままではいけない、という意識が、チームを着実に変えていく。自分の意見を伝え、仲間の考えを取り入れることでメンバーは徐々に結束。その結果、春リーグは優勝を飾った。吉田龍自身にも変化があった。今までは自分の結果に焦りやいらだちを覚えることが多かったが、チームの勝利を第一に考えるようになっていたのだ。波に乗ったチームは、全日でも幾度となく厳しい試合をくぐり抜ける。何より勝利の決め手となったのは、「どんなに劣勢に立たされても勝てる」という選手の気持ちだ。この負けない心が選手全体に浸透したことで、悲願の優勝をつかみとったのである。
続く秋リーグの序盤、吉田龍は『全日優勝』のタイトルがチームを硬くしていることに気づいた。全日の時のように自分達らしい野球をできていないのではないか。リーグ戦中盤、ミーティングで「4年生の残り少ない試合、みんなで楽しんでいこう」と声をかけた。勝つことに固執するのではなく、メンバー全員が実力を発揮し、楽しくプレーをして悔いなく終わることができればいい。その気持ちが発させたこの言葉は、硬くなっていたメンバーの心を大きく動かす。勢いづいたチームはその後勝利を連発し、リーグ戦を連覇。試合後、選手たちは『楽しむ気持ち』の大切さを口にした。チームの勝利の陰には、常にメンバーを考えて行動する吉田龍の存在があったのだ。
「選手それぞれが役割を全うすること」。勝つ上で一番大切なことを聞くと、こう答えた。100人超の部員を要する準硬式野球部にはもちろん、試合に出られない選手も存在する。だが、その選手たちもサポートや偵察の役割をしっかりこなすこと。そして試合に出る選手は支えてくれる部員に応えるため、自分が求められることを考え、実践することが大切なのだという。このように話す吉田龍自身もまた、成すべきことをしっかりこなす姿を仲間たちに見せ続けた。常に仲間を支える姿勢が、最高のチームを作ったのだ。今春からは企業への就職が決まっている。この4年間の経験を糧に、次のステージでもさらに輝きを放つに違いない。
(記事 小山亜美、写真 池田有輝)