【連載】『平成29年度卒業記念特集』第36回 笹井健佑/準硬式野球

準硬式野球

試合に出る喜び

 この春、準硬式野球部を4年間支え続けた男がワセダを去る。その名は笹井健佑(社=東京・早実)。プロ野球選手だった祖父の影響で、中学時に野球を始めた。高みを目指して日々厳しい練習を積んだものの、高校最後の夏もベンチ入りを果たすことはできず。悔しさが残った。大学進学後、このまま硬式野球を続けるか、どうするのか。悩む笹井が出合ったのは準硬式野球だった。

 2006年全国高等学校選手権大会。テレビ画面の向こうで躍動する斎藤佑樹(平23教卒=現プロ野球・北海道日本ハム)に感銘を受け、「同じ場所で野球をしたい」との思いを抱き、早稲田実業学校中等部への進学を決意した。入学後に野球を始め、高等部(高校)進学の際にはもちろん憧れの野球部の門をたたいた。夢は甲子園出場。あの場所でプレーすることを目標に日々励んでいたが強豪校のカベは厚く、公式戦にはほぼ出場することができないまま3年生の夏を終えた。悔しさが残った高校野球。その悔しさを晴らすため、大学進学後はどのようにして野球を続けていこうか悩んでいた。そんなとき、「準硬式野球をしないか」と高校時代の友人たちから声がかかった。「試合に出たい」。その思いから、笹井は準硬式野球部に入部することに決めた。そして、1年時から抜てきされ、試合に出場。試合に出る喜びを知った。初めての公式戦本塁打、初めてのサヨナラ失策。今まで知ることのできなかった世界を感じ、チームの代表として試合に出場する事に対して、新たな責任感が生まれた。

塁上でガッツポーズをする笹井

  試合に出るようになった事で知ったのは、喜びだけではなかった。当然のことだが、チームスポーツである野球は笹井だけの力では勝つことができない。しかし、自分は結果が出せているのにもかかわらず勝利を得られない日々が続き、もどかしさから自分本位の考えになってしまうこともあった。しかし、そんな時、斎藤成利(スポ=福島・磐城)がきちんと叱ってくれたことで、自分を見つめ直すことができたと言う。笹井に同期のすごいところを尋ねると、「たくさんあるのですがいいですか」と、多くの尊敬する点を語ってくれた。こんなにも良い仲間に出会えたことはどんなに幸せなことだろうか。あの日憧れた斎藤佑樹に比べればそれほど劇的なものではないかもしれない。しかし、準硬式野球に出会ったことで、笹井の野球人生は大きく色づいたのだ。

 笹井のこの4年間を支えたのはチームメイトだけではない。忙しい中球場に足しげく通ってくれた監督やコーチらの名前を1人1人挙げ、感謝の気持ちを話してくれた。特に、池田訓久監督(昭60教卒=静岡・浜松商)ついては「本当に熱い人」であり、「監督を胴上げしたかった」と語った。また、ワセダの準硬式野球部の試合には、いつも多くの応援に駆け付けた選手の家族の姿がある。笹井も、毎試合顔を出してくれた母親について、1年生の頃は気恥ずかしさもあったが、「平日も、雨の日も来てくれて、良いところを見せたい、という励みになった」と言う。来てくれた家族の姿を確認できる距離で試合を行うことができるのも、準硬式野球ならではの良さであろう。

 「就職先に準硬式野球のチームがあって」。これからについて尋ねると、笑顔でそう教えてくれた。いつかワセダと対戦することが楽しみだという。4月からは新たな生活が始まる。そこに共に過ごした仲間や慣れ親しんだグラウンドはない。WASEDAのユニホームに袖を通すこともなくなるだろう。しかし、笹井には愛する準硬式野球がある。4年間の思いを胸に、笹井は東伏見から大きな一歩を踏み出していく。その未来はきっと明るい。

(記事 金澤麻由、写真 中村朋子氏)