重なる試練を乗り越えて
「正直、めちゃくちゃ辛かったです」。柔道女子部の主将を務めた野澤知莉(スポ=神奈川・桐蔭学園)は、笑いながらも早大での4年間をこう振り返った。けがや新型コロナウイルスの流行に苦しみ、競技を続けるか否か、何度も自分に問い続けた4年間。それでも野澤の心を引き留めたのは、果たして何だったのだろうか。悩みながらも歩み続けたこれまでを振り返るとともに、後輩へ託す思いや今後の競技人生について伺った。
個人戦に臨む野澤
トレーナーを志して、神奈川・桐蔭学園高から早大の門を叩いた野澤。高校3年時に手術した肘の回復を待ちつつ、これから始まる大学での競技人生に夢を膨らませていた。その後無事に治癒し、練習をスタートさせた野澤だったが、ここで腰の椎間板ヘルニアを発症。下半身が思い通りに動かず、寝たきりの状態にまで陥った。相次いだけがによる精神的負荷に止まらず、下半身への激痛や痺れにより、次第に競技復帰への自信を喪失。さらに、娘の身を案じた両親からも柔道から離れる選択肢を示され、続行するか否かを自らに強く問いかける日々が続いた。そんな中で競技続行へ野澤の背中を押したのは、周囲の選手たちからの「頑張れ」というエール。これに野澤は「みんなが頑張っているなら、私もやらないと格好悪い」と突き動かされ、両親にも「どうしても続けたい」と直訴するほどに固く心を決めた。
その後、けがからの復帰が見えたタイミングで新型コロナウイルスが流行。2年時の大会は早慶対抗戦を除いて全て中止となり、道場へも行けず、実家でトレーニングに励む日々が続いた。長い療養生活もあり、競技に無事に戻れるのかといった不安を抱えながらも、「とにかく柔道がしたかった」と自粛期間中も強い思いを抱いていた野澤。3年時に徐々に大会が始まると緊張感さえも試合ができる喜びと化し、東京学生体重別選手権で優勝を果たすなど、着実にその頭角を表し始めた。そして自身の進路を考え始めた3年春に、迷いながらも「柔道を続けたい」と卒業後も競技を続行する道を選択。所属先を模索するため、その後の大会では楽しみつつも結果を求め続けていた。
悔しさを語りつつも準優勝に笑顔を見せた
そんな中で臨んだ数ある一戦のうち、野澤が特に印象的と語ったのは、4年時の全日本学生体重別選手権。苦戦しながらも決勝まで進んだ野澤だったが、最後は中学時の全国大会、高校時の国際大会でも対戦、いずれも敗れてきた相手に一歩及ばず、準優勝に終わった。「悔しい思いしかない」。結果にそう唇を噛(か)んだが、野澤と優勝した対戦相手は、ともに今後も競技を続行する予定。大学卒業後も対戦機会は十分に見込まれており、「今まで全部負けている。次こそは勝ちたいです」と力強く前を向いた。
「何でも頼れる先輩」と後輩からの信頼も絶大な野澤は、部を継ぐ後輩たちへこうメッセージを送った。「チーム内では仲がいい子同士で話すと思うし、得意不得意があるかもしれない。でも、チーム力を高めるためにも、みんなで話し合っていってほしいです」。幾度もけがに悩まされ、時に歩みを止め、自問自答を繰り返しながら進んできた早大での4年間。その感想を問うと「辛いことがあったからこそ、前向きに柔道ができるようになった。最後までやり切れて良かったです」と晴れやかな表情で語った。昔から抱いている夢が、大会で日本一になることだという野澤。早大での4年間は、振り返れば試練の連続であったかもしれない。しかし、粘り強く乗り越えてきたその経験が、日本一という夢を叶え、その後も野澤の背中を押す力になればと切に願うばかりである。
オリジナルな言葉で4年間を振り返った野澤
(記事・写真 湊紗希)