【連載】『令和2年度卒業記念特集』第38回 清水拓登/男子ホッケー

男子ホッケー

「チームの転換期」―結果よりも大事なもの―

 今年の早慶定期戦(早慶戦)も引き分けで終えた早大男子ホッケー部。しかし、試合後の清水拓登主将(スポ=滋賀・伊吹)の顔はどこか満足気だった。
「(早大学院出身の)みんなが最後に点を決めてくれて、引き分けだったけど結構いい試合ができたかなと思っているので、そこが嬉しかった」。
男子ホッケー部は早大学院出身者の割合が増え、スポーツ推薦の人数が減ってきている。現在は、3年生以下の選手でスポーツ推薦の者は2人だけとなった。「今年がチームの転換期というか、大きくメンバーが変わって、新しいチームでスタートしていくってところで、その土台作りみたいなものは、去年でしっかりできたんじゃないかな」と、清水は述べる。変わりゆくホッケー部を率い、新体制の土台を築いた名将・清水。小学4年次から今に至るまでのホッケー人生を振り返る。

 清水がホッケーを始めたのは小学校4年生のときだった。小学生・中学生の頃は、ホッケーは清水にとって「人生のほとんど」であり、自分が努力した分だけ自分の身になることに喜びを覚えながらプレーしていた。しかし、高校生になって清水は初めての挫折を経験する。「試合にもあまり出れていない時期もあったし、結果もあまり残せなかった」と、自分の実力と向き合う日々が続いた。辛い時期だったが、清水はホッケーだけでなくメンタル面の改善も含め、ひたむきに自分と向き合い続けた。「そこがあっての今」と清水が述べたように、この時の経験は清水のホッケーに確実に活きている。

慶大選手をかわす清水(早慶定期戦)

 早大ホッケー部に入部した清水は、高校までとの環境の違いに戸惑う。「一つの同じことをずっと続けていれば絶対に成功する」と信じていた入学当初の清水。しかし、早大でプレーしていくなかで、「早稲田には早稲田の、自分に適した役割がある」と、それぞれ異なっている環境に上手く適応することの大切さに気付いた。

 早大の環境に適応することを意識しプレーを続けてきた清水は、3年次の早慶戦の時期に主将になることが決定した。「全員がレギュラーだった一個上の代が抜けるのでどんなチームになるか分からなかった」、「自分らの代で下位リーグに戻ってしまったりしないか」など、主将就任当初は不安に満ちていた清水だったが、それでも一年間チームを引っ張ることができたのは同期のおかげだったと言う。練習を組み立てたり練習を仕切ったりすることが役割だった清水は、後輩のメンタル面や人間関係のケアにまで手が回らなかった。しかし、その役割を同期が担ってくれたおかげで、後輩とのあいだが開いていると感じたことは一度も無かったと振り返った。「同期が優しい奴らばっかりで、後輩と結構密にコミュニケーションを取ってくれていたので、自分もやりやすかった」。

 主将の役割を終えた清水は一年間を振り返って、昨年や一昨年に比べて成績を残すことができず、満足な結果ではないと言った。しかし一方では、スポーツ推薦が減って早大学院出身者中心となる転換期に、新しいチームの土台作りができたという確かな手ごたえを感じてもいた。3年連続の引き分けとなってしまった早慶戦だが、すでに芽生えつつある早大ホッケー部の新しいあり方を肌で感じ、安心した様子の清水。勝てなかった悔しさよりも、後輩たちの成長について多くを語った清水は、波乱の2020年を乗り切るのに理想的な名将だった。

(記事 七澤拓未、写真 小出萌々香氏)