『90点』
「机に座って勉強する以上のことを教えてもらった」―。ホッケーはどんな存在かという質問にそう答えてくれた糸賀俊哉(スポ=島根・横田)がこの春4年間を過ごした早大から羽ばたく。3年ぶりに春季・秋季リーグで上位リーグ進出、全日本学生選手権(インカレ)でベスト8など躍進の年となった早大男子ホッケー部。主将として、ストライカーとして活躍した最終学年を終えたいま、ホッケーとともに過ごした大学4年間について振り返る。
ホッケーを始めたのは小学校4年生の時だ。生まれ育った島根の地元はホッケーが盛んな地域だった。周りの子たちがホッケーを始めるのと同じくして自身もホッケーの世界に飛び込み、その後中学、高校とホッケー一筋で突き進んだ。高校3年生の時に周囲の期待を背負って出場したインターハイと国体で思うような結果が残せず「このままでは終われない」と思ったそうだ。その悔しさが大学でもホッケーを続けさせることを糸賀に決意させた。
ストライカーとしてもチームを引っ張った
スポーツ推薦で入学した早大で試練はすぐに訪れる。大学1年の時は先発出場はおろか出場時間も少なく、チャンスが来ても生かせないと悩む時期があった。そんな時先輩からアドバイスをもらい長年プレーしてきたフォワード(FW)からディフェンス(DF)に転向。徐々に出場時間も増え、U21日本代表候補選手にDFとして選ばれるようにもなった。1年半後、再びFWに戻ったが、DFとして経験したことはその後の糸賀のプレーにさらに磨きをかけた。
「みんなで1点を取る」。主将としてチームを率いていく中で意識したことだ。少数精鋭のワセダはこれまで主将や4年生の個人技で得点を奪いにいくことが多かったが、この1年はどのようにみんなでボールをつないで点を取りに行くかに重きを置いた。それが実ったのが久々の上位リーグ進出を決めた春季リーグ第3戦・東農大戦ではないだろうか。糸賀自身この試合を一番印象に残っている試合にあげ、「キャプテンとしても報われた瞬間だった」と語った。もちろん苦労する瞬間もあっただろう。しかし「主将をやって良かった」と集団の先頭に立つ中でホッケー技術以外にもコミュニケーション能力、統率力などを学んだ。
90点―。糸賀が自身の大学4年間の競技人生を振り返って付けた点数だ。高校まではホッケーの技術やチームワークを身につけるだけだったが、大学ではそれに加えホッケーを通じて様々なことを学べた。残りの10点分の優勝を掴み取ることは叶わなかったが、それ以上に『90点』という数字がいかに充実した4年間だったのかを表している。ホッケーを通して東京へ、ワセダへ、そして様々な人と出会い、様々な経験をした大学時代。ここで得たものは社会人として新たな一歩を踏み出す糸賀の大きな武器になっていくだろう。
(記事 新藤綾佳、写真 元田蒼氏)