ホッケーを続けてきて良かった
輝かしい実績をひきさげてワセダに入学してきた宮口和樹(スポ=滋賀・伊吹)。決して、楽しいことばかりではなく苦しんだ時期もあった。それでも大学4年間をホッケーに捧げた彼の勇姿を振り返りたい。
「いつの間にかやり続けたここまでやっていた」と、振り返る彼のホッケー競技人生の原点は小学生時代にある。特にやりたいスポーツもなく、親戚の家族がホッケーをやっていたことから誘われ始めた。約14年この競技に打ち込んできた彼もホッケーのスピーディーなボール展開や勝った時の嬉しさ、負けた時の悔しさに魅了された一人である。高校ではホッケー強豪校に進学し、高校2年の時には3度の全国制覇も達成した。また高校2年生はホッケー人生の中でもターニングポイントであったと振り返る。顎のケガが原因でチームから長期離脱を余儀なくされる。どのような形であれ、チームに迷惑をかけてしまったことで、よりチームに還元できるようになろうと思えたという。
安定したプレーでチームを率いた宮口
小中高と続けてきたホッケーの実力を試したいと大学でも競技を続ける道を選び、社会人になってからも自立できるようにと文武両道のワセダに入学してきた。そんな彼を待ち構えていたのは、選手が少ないホッケーチームだった。強豪校だった高校のチームとは違い同期も半分ほどだった。人が少ないからこそ、「全員守備、全員攻撃」を学ぶこともできた。U−21の代表候補に選出されたが代表入りは逃した。しかし選考会で技術やプレーを吸収することができ、ひいてはそれがチームのスキルアップに繋がった。個人では悔しい思いをしたが、チームに還元することができた。いかにチームに貢献するかこれが彼のスタイルである。
4年間で1番苦しかったと振り返る4年生のシーズン。先輩についていけばよかった下級生の頃とは異なり、主将としてどのようにチームを率いていくかと悩んだ時期であった。その中でも1人で抱え込まず、まずは同期と協力し、後輩たちにも練習メニューを考えさせるなど部全体としてのチームづくりを目指してきた。1番悔しかった試合も経験した。4年生の春リーグで大学王座への出場を懸け、慶大と戦い負けてしまった試合である。後輩を全国大会へと連れていけていけなかった悔しさと、決定的な場面を決めていれば――と後悔の念が胸をよぎる。エンジのユニフォームを着た最後の試合は強豪・天理大。おそらく人生においても最後の試合になるだろうと勝ち負けに関わらず後悔のないよう、声を出し続け駆け抜けた。「悔しかった」と表現した大学4年間はそれまでとは違い、タイトルを得ることはかなわなかった。自分がもっと強ければ、そんなことを考えた回数は数えきれないだろう。
「ホッケーをやっていて良かったと思えるからこのまま続けて欲しい」。ホッケーを始めた頃の自分にかける言葉だ。そう思えることは何よりの幸せだろう。『優勝』を勝ち取ることはできなかったが、ホッケー以外のことも話せる同期に恵まれ、フィールドを常に全力で駆け回った宮口はこの春、ワセダから飛び立つ。ホッケーを通して、感じ学んだことはこれからの人生の糧となるはずだ。
(記事 新藤綾佳、写真 元田蒼)