【連載】『平成29年度卒業記念特集』第17回 竹中貴一/体操

体操

いつもマイワールド全開で

 昨年11月、全日本団体選手権8位入賞。竹中貴一(スポ=福井・鯖江)は最高の形で長い競技人生の最後を終えた。「僕、頑張ることしか取り柄無いんで(笑)」と語る竹中は、どんな時もとにかく笑顔で明るい印象の持ち主だ。そんな彼は一体どのような競技人生を送ってきたのだろう。今回は彼の体操人生を振り返る。

 竹中が体操と出会ったのは小学校に上がる前。両親に地元の体操クラブに連れて行ってもらったことがきっかけでこの競技を始めた。初めのうちは遊び感覚で体操クラブに通い、練習がとても楽しかったと語る竹中は、徐々に競技にのめりこんでいく。体操を始めて数年はそれほど強い選手ではなかったが、地道に練習を重ね、中学3年生の頃から選手としての頭角を現すようになった。それまでは体操が楽しくて仕方がなかった竹中だったが、一方で唯一やめたいほど辛かった時期もあったという。高校3年生の春、竹中は手首骨折という大きなケガを負った。練習がしたくてもできず、試合もただ応援するだけ、本人にとってそんな退屈な日々がとても辛かった。

つり輪を披露する竹中

 ケガを乗り越えた竹中は、2014年、早稲田大学に入学し、体操部に入部する。この4年間は楽しかったこと、嬉しかったこと、辛かったこと、苦しかったこと、とにかくいろいろなことを味わった日々だった。竹中は試合に挑む際、毎回『マイワールド全開で、程よく緊張すること』を大切にしていたが、そんな中でもとりわけ緊張した大会が2017年3月に出場したカタールでの種目別選手権だった。ゆかの決勝に残り、会場の中、1人で演技した時の緊張感は今でも忘れないと振り返る。また、四年間の中で一番悔しかった試合は、3年生で出場した全日本学生選手権だったという。強かった先輩が引退し、戦力不足が懸念された中挑んだ試合。最後の種目で力が出せず、次回の同大会で、最終班に残れない結果をつくってしまったことがとても悔しかった。

 そんな竹中は、4年生の時、主将を務めるという大きな経験もした。どんな時も、誰に対しても、明るく笑顔の竹中。その一方で、「あまりまわりにガツガツ言えるタイプではない」と自分を見つめ、そのせいで仲間に思いを伝えることができなかったり、チームがまとまらなかったりしたのではないかと一人悩んだこともあった。そんな中、仲間の存在はとても大きかったという。竹中は「本当に助けられた。これまでダメダメな僕を支えてくれてありがとう」、こう言葉を仲間に向けた。そして、そんな大切な仲間の中でもとりわけ彼の体操人生を語るうえでなくてはならない人物がいる。近藤宏紀(スポ=福井・鯖江)、彼は竹中と幼い頃からこれまでずっと練習を共にしてきた仲間だ。「どうしたことか、ずっと一緒なんですよね(笑)」と語る竹中は、これまでめったに人に怒ったことがない中、唯一彼に激高したことがあったそうだ。それだけ彼を信頼していることがうかがえるが、そんな親友であり、戦友の近藤に竹中は、「お互いお疲れ様、ありがとう」と一言メッセージを残した。 

 「体操が楽しい」、彼は自らの競技人生を振り返り、シンプルなこの言葉をただ口にする。全日本学生選手権種目別つり輪優勝、全日本団体選手権8位入賞など、この四年間華々しい成績を残してきた竹中。現役最後の試合、「最後はみんなに助けられた。本当に最高です。完璧です。」と有終の美で約16年間の競技人生が終わった。「仲間や監督、コーチ、そして両親、支えてくれたすべての人にありがとう」、いつもマイワールド全開で、これからまた新しい人生の幕開けだ。

(記事 脇田真悠子、写真 大浦帆乃佳氏)