【連載】『令和2年度卒業記念特集』第48回 木本航輔/ゴルフ

ゴルフ

早大ゴルフ部を経て

 「個人戦よりも団体戦が好き。その団体戦に全国一力を入れているのが早稲田大学だった」。滝川二高の3年時に、全国高校ゴルフ選手権団体の部で準優勝を果たした木本航輔(スポ=兵庫・滝川二)は、早大進学の経緯としてこう話した。一般的に個人競技と思われることの多いゴルフにおいて、部活動に所属し主将も務めた木本。その4年間に迫る。

 

 小学3年の夏、ふとしたきっかけでゴルフに出会った木本は、他にはないその魅力に取りつかれ、どんどんのめり込んでいった。小学5年時には、実家が兵庫県ということもあり、プロゴルファー坂田信弘氏が主宰する坂田塾に入塾。上田桃子や古閑美保ら名だたるプロ選手を輩出してきた名門で、木本はめきめきとその実力を伸ばした。滝川二高ではゴルフ部に所属。3年次の全国大会団体の部で準優勝し、スポーツ推薦で早大への進学を決めた。

 

 1年時の思い出を聞くと、「すべてが印象的」と意外な答えが返ってきた。「上級生や監督から『史上最悪の代だ』と言われるくらい何もできない代でした」。苦い思い出で、振り返りたくもないと話す木本だったが、だからこそ感じたこともある。「その分、どの代よりも思い出はあるし、できないことを1つずつできるようになった、一番成長した代だと思います」。カラーはバラバラで、『早稲田大学ゴルフ部』でなければ絶対に交わらなかった5人の同期だという。「この5人でやってこれたのは奇跡ですね」と笑いながら話す木本からは、強い絆が感じられた。高校と大学の一番の違いを「練習などのすべてをチームで動くところ」としていたが、だからこそ生まれたものだったのかもしれない。

3年時の早慶戦でティーショットを放つ木本

 

 そうして迎えた最終学年だったが、周知のように新型コロナウイルスが世界で流行し、スポーツ界は大きな影響を受けた。大学ゴルフも例外ではなく、予定されていた大会は軒並み中止となった。部員のモチベーションを保つことに苦労したが、部内での対抗戦を数多く実施するなどして、部員の競争心をあおった。そして、年間通してたった1つの公式戦を迎えた。目標であった昇格も、大会のレギュレーションで不可能となったが、優勝を掲げて臨んだ。同期の山下隆介(政経=東京・早大学院)が学連委員長を務めていたことで、その大会の表彰状に山下の名前が載るということも、優勝を目指す部員のモチベーションの1つになった。結果は2位だったが、悔いはないと木本は話す。

 

 卒業後はゴルフの第一線からは退くという。苦い思い出も多かった4年間だったが、「今なら入って良かったと心から思える」と締めくくった。「人間的な成長も、早稲田大学ゴルフ部だからこそできたし、なくてはならない通過点だと思います」。同期を含め、たくさんの人に支えられてきたという木本。「『恩返し』というよりも、今までかかわったことのない人に対しても報恩する『恩送り』をできる人に、これからなっていきたい」。ゴルフとともに培ってきた人間力は、今後も木本を支え続けるだろう。

(記事 山崎航平、写真 篠田雄大氏)