【連載】 『令和元年度卒業記念特集』第45回 清水日奈/ゴルフ

ゴルフ

ゴルフ、これ即ち人生

 「ゴルフ部は家族のようなものです」。4年間のゴルフ部人生を振り返り、清水日奈(スポ=栃木・宇都宮文星女)はこう語った。6歳のときに父親の影響で始めたゴルフ。大学卒業と同時に17年に及ぶ競技ゴルフ人生に区切りを打った清水の、この4年間を振り返る。

 中学1年から本気でゴルフに向き合ってきた。中学生時代は県大会の出場が最高成績だったが、高校時に大きく成長。関東大会、そして全国大会に出場を果たした。高校生の時に地元のコースで一緒にラウンドした大学生が早大ゴルフ部の選手だったことがあり、早稲田大学に入学した。1年時はゴールデンルーキーと言わしめるような好成績を残した。当時の4年生には実力のある選手が多く在籍し、また当時の主将をとてもリスペクトしていた清水。「大好きで尊敬する主将を日本一にしたい」という思いもあり、チームで目標としていた信夫杯争奪日本女子大学対抗戦(信夫杯)で大活躍。チームは惜しくも4位に終わったが、清水は個人として大会最優秀選手に輝いた。当時を振り返って、「1年生の時は4年生についていけばいい、と楽な気持ちでゴルフをしていた」。しかしその4年生が卒業しチーム層が薄くなると、「自分がスコアを出さなければ」とプレッシャーを感じるようになっていった。この気持ちの変化が、1年生ながら好スコアを出していた清水の歯車を狂わせた。

ロングパットを沈める清水

 2,3年時は期待されながらも思うようなスコアが出せず、それがまた「良いスコアを私が出さなければ」というプレッシャーになる悪循環に陥っていった。そんな清水に転機が訪れたのは4年になった春。主将に就任した。これまで主将はおろか、学級委員などの周囲をまとめるようなポジションに就いたことがなかったという清水。部員と揉めることもあったが、同期や下級生が励ましてくれ、『上下関係なく互いをリスペクトできるチーム』という理想に向けチームをまとめていった。このころには、2,3年時のようなプレッシャーはなく、「自分が引っ張りたい」と前向きなかたちで程よい重圧へと変化した。チームとして目標としていた信夫杯への出場こそかなわなかったものの、リーグ戦Aブロックへの残留は果たした。信夫杯への出場という目標は後輩に託す。

 

 プロゴルファーになることが子供のころからの夢だったという清水。しかし、大学卒業前最後の夏に断念した。今後の道は模索中だという。ただ、アマチュアとしてのゴルフには一生かかわっていくつもりだ。「今のところ、『ゴルフ』は人生ですね」と笑った清水の目に、後悔の色はなかった。

(記事 山崎航平、写真 篠田雄大)