着実に前進
激動の早稲田ゴルフ部を支えた男が新たなステージへ一歩を踏み出そうとしている。その男の名は山本雄太(教=栃木・作新学院)。主力選手としてチームを引っ張るかたわら主務としてチームの屋台骨を支える「二刀流」は、これまでどのようにゴルフと向き合い接してきたのだろうか。
父方の家系がゴルフ一家であったこともあり、小さいころから身近にゴルフに接することのできる環境が整っていた。そんな中、本格的に競技者としてゴルフ生活をスタートさせたのは、中学1年生のときからである。それまでは野球少年だったが、中学受験で作新学院の門をくぐると、父のつてもあってゴルフ部に所属し、高校卒業まで6年間在籍した。作新学院高校時代は、学校の授業が終わると自転車を飛ばして3~4キロ先のゴルフ場で9ホールを回り、その後は練習場に移って夜まで打ちっぱなしを行うというまさに「ゴルフ漬け」の毎日を過ごし、「中高での練習量が今の自信につながっている」と本人は振り返る。高校卒業後は、「高校での教えにも通じる文武両道を日本で一番を実践していて、かつ高いレベルでゴルフをする環境が整っている」早大への進学を決意。エンジのゴルフウェアに袖を通すことになる。
主力選手としてチームを引っ張る山本
早大ゴルフ部に入部した当初から、期待のルーキーとして1年生から出場機会を与えられた山本。特に関東大学春季ブロック対抗戦(春季リーグ戦)では、いきなりレギュラーに抜擢されると好スコアを記録し、当時のチームのAブロック進出に大きく貢献して周囲の期待にしっかりと応えていった。その後も主要な大会に次々と出場するなど、高校時代から引き続き順風満帆な選手生活を送っているように思われた。だが山本は、「高校までのゴルフと大学でのゴルフとは大きく違った」と話す。まず彼が直面したのは、中学、高校時代とは大きく変わった練習環境である。栃木県の広い敷地を利用したのびのびとしたグラウンドと比較すると、都内の早大の練習場はやや手狭と言わざるを得なかった。そのようないままでとは異なる練習環境で成果を上げるため、今まで感覚ベースでやってきたプレーを理論で落とし込めるようにするなど、大学では考えることを大切にしたという。また、日本全国から部員が集まり、伝統ある早大ゴルフ部における上下関係などに戸惑う部分も少なからずあったという。そのような中でも山本は日々前進を続けてきた。
部としては山本が1年生のころにはAブロックに所属していたが、3年時のシーズンには春季リーグ、早慶戦、秋季リーグでいずれも最下位となり、まさかのCブロック降格を経験した。本人もそれが4年間で一番悔しかったことであると語る。そして主力選手兼主務として臨んだ4年生シーズン。春季リーグで慶大や立大ら東京六大学がひしめくCブロックを優勝し、すぐさまBブロックへの返り咲きを果たす。迎えた関東大学秋季ブロック対抗戦(秋季リーグ戦)では、最後まで優勝を狙える位置につけ、最終戦で惜しくも法大に敗れたもののチームは3位入りを果たした。山本は、コーチが入れ替わるなど変化にとんだ一年の中で着実に前進することができたことに関し、「次の代につながる土台ができた」と振り返る。
山本はゴルフというスポーツをやっていてよかったことは何かという問いに対し、「祖父とゴルフをした際に、うれし涙を流してくれたこと」だと答えた。卒業後は競技者としては一線を退き、早大のスポーツ科学学術院に進学して老若男女が楽しめる生涯スポーツとしてのゴルフの魅力を人々に伝えるべく、勉強を続けていく。精神力、チームとしての団結力、早大で吸収した様々な財産を胸に、新たなステップを踏み出す山本の前途に幸多きことを願ってやまない。
(記事 篠田雄大、写真 島形桜)