「マネジャーにならないか」現在主将を務める森多諒(社4=山口・柳井学園)から声をかけられ、寺門陽(社2=神奈川・川和)と杉浦早紀(教2=神奈川・川和)は早大フェンシング部マネジャーの道を歩み始めた。昨年の6月、フェンシング部は初の試みとしてマネジャー制度を導入。部としてマネジャー獲得に乗り出している中、ふたりの学生が目に留まった。
早大フェンシング部を支える寺門陽(右)と杉浦早紀
寺門と杉浦はもともと川和高校のバドミントン部でダブルスを組んでおり、クラスは違ったものの、受験期も早大を志す同士としてお互いを支え合っていたという。杉浦は寺門を「本当にぶれない人。客観的に物事を見ることができるので頼りになります。私はちょっとフワフワしている感じなんですけど、(寺門は)言っていることにも重みがありますし、みんなが信頼できる存在」と話す。一方で寺門は杉浦について「しっかりしているんですけど、どこか抜けているところがあって。みんなからはおっちょこちょいだと思われていると思いますね。愛されキャラです」と笑顔で答えた。タイプは違うようだが、「基本的にあまり気にしないし、ストレスをためない。たぶん私が気になるところは陽も気になるし、気にならないところは同じなので楽ではありますね」(杉浦)と似たもの同士であることも語った。
そんなふたりは晴れて早大に入学したが、コロナ禍でサークル活動は思うように行えず。「何か4年間大学で打ち込めるものを」と考えていたところに、偶然授業で一緒になった森多主将から寺門に声がかかった。森多主将は同じ学部の寺門に親近感を覚え、当時学校がつまらないと話していた後輩に対して猛烈なプレゼンをしたという。寺門はそれを受け、杉浦を誘い教場へと向かった。本来なら何度か見学を重ねて入部を決めるところだろうが、ふたりは教場に行ったその日に内田敏朗監督(昭57法卒)へ入部の意を伝えたという。「今考えたらすごいなと思うんですけど」と笑顔を見せたふたりの、入部への決意が固まったことには部の雰囲気も大いに影響しているだろう。「本当に何も知らない状態で行ったんですけど、結構話しかけてくれたり、先輩後輩の仲がいいので馴染みやすかった」(寺門)というように、フェンシング部の温かい雰囲気が寺門と杉浦を後押しした。
マネジャーの仕事は多岐にわたる
普段は選手用のジャグをつくったり、選手の簡単な練習相手になったりなど、マネジャーとしての活動は多岐に渡る。中でも最も力を入れているのがSNSによる広報活動だ。「最低限の上下関係はありながらも本当にみんな仲が良くて、正直驚いた部分でもあるんですけど、そういうところを写真で(伝えたい)。それでも強さを保っているところも伝えていきたいと思っています」と、部のInstagramのフォロワー数1000人超えを目標に工夫を重ねている。また仕事をする中で競技自体にも興味を持ち、今年の前期にはマネジャー全員でフェンシングの授業を履修したと、高まる競技への愛も垣間見せた。入部当初はただ「観戦しているようで楽しかった」というが、今では技術の良し悪しもわかるようになり、早大のレベルの高さも再認識できたという。またもともとバドミントン部で選手として活動していたこともあり、それがマネジャーの仕事に生かされることも多いようだ。「選手とマネジャーは違う立場なので、どういう声かけをしたらいいのかとかは結構気にしますね。強い分いろんな気持ちもあると思うので、『私は(選手時代に)言われて嫌だったな』とか、逆に自分が良いと思っていたことでも誰がいいと思うかは人それぞれなので、すごいそういうところは気を遣ったりします」と話した。
今年は男子フルーレが団体で日本一に輝き、また個人でも全日本選手権大会の決勝に駒を進めるなど、早大フェンシング部は少人数ながら偉大な功績を残し続けている。今や寺門や杉浦を始めとするマネジャーの存在は必須であり、チームメイトの1人として切磋琢磨する彼女たちから今後も目が離せない。
(記事、写真 槌田花)