雨のち晴れ
「いい思いもたくさんさせてもらったし、悪い思いもたくさんさせてもらったので、この経験をどんどん先に先につなげていけたらいいなと思います」。安雅人(スポ=茨城・水戸一)は早大での競技生活を終え、4年間をこう振り返った。チームを背負い、個人戦、団体戦ともに周囲の期待に応え続けた。全日本選手権でのメダル獲得を始め、早大で高い潜在能力を開花し、今や日本でトップクラスの実力を誇る。いちずにフェンシングに情熱を傾けた4年間。卒業を前に何を思うのか。
安が競技を始めたのは小学校2年生のとき。親に勧められ、片道1時間かけて練習場まで足を運んだ。決して好環境とは言えないが、「飽きたということは一度もなかった」。続けるにつれ、戦略や駆け引きといったフェンシングの奥深さに魅入られたのだ。そんな安が早大を志したきっかけは、同郷の先輩・鬼沢大真(平25社卒=茨城・常磐大高)への憧れ。中学時代から茨城のクラブチームと並行して早大に足を延ばすようになる。純然たる憧れは、いつしか早大への愛着へと変わっていく。大学を選ぶ際も迷うことはなかった。しかし入学して早々、試練が訪れる。大学生として初めての大会となった関東学生リーグ戦(リーグ戦)。ルーキーながら期待を背負い団体での出場を果たしたが、強敵の前に何もできず。すべての試合を終えた安は、悔しさのあまり涙を流したという。「こんなんじゃ勝てないんだな」と己の弱さを再認識された船出だった。
安は部の中でも『練習の虫』と言われている。部員主体のスタンスを掲げる早大フェンシング部。「やることがない、フェンシングが好き、練習する」。無類のフェンシング好きは、誰からの強制も受けない環境に溶け込み、練習に明け暮れた。日々の鍛錬によって、飛躍のための下地が作られたことは言うまでもない。体格でアドバンテージが生まれるエペにおいて、安は背丈が大きくないことを逆手に取り、剣を出すタイミングや相手との駆け引きといった技術を培った。そして努力が結実する。2年生の12月。全日本選手権で3位入賞を果たしたのだ。日本トップクラスのシニア選手、学生を相手に「勝ち方が分かってきた」と充実の内容、心理的にも今後の自信につながったと振り返る。高校時代はベスト8にとどまることが多かった中堅選手が、この時1つ上のステージへ駆け上がった。
上級生になって以降も試行錯誤は続く。3年生時には副将に就任。「陰の功労者になりたい」と、主将でないからこそ持てる視点で部を俯瞰し、裏からチームのサポートに徹した。選手としても結果を残したことで周囲の目も変わっていた。3年生時からは団体で最後周りを任されるように。「団体戦は勝ったらチームのおかげで、負けたら最後周り、チームのキャプテンのせい」と胸に刻み、リーグ入れ替え戦、全日本学生選手権(インカレ)団体決勝とプレッシャーが掛かる場面を戦った。迎えた最高学年は団体完全優勝である五冠に挑戦を掲げる。インカレで連勝は途切れるものの、早大61年ぶりの全日本学生王座決定戦での優勝を含め、3冠を達成。1つのタイトルも持ち帰ることができなかった前年と比較すれば、躍進を遂げたと言えるだろう。そして今年度を締めくくる全日本選手権団体でもチームの強さを見せ、決勝まで進んだ。しかし大舞台ではプレッシャーからいつも通りのプレーができず、中盤に連続失点を許すまさかの展開に。チームを日本一に導くことができず、安の目には涙が溢れた。
団体の要としてチームに貢献した安(左)
「自分をここまで育ててくれた早大に恩返しがしたい」。卒業後も競技人生を続ける予定だという安。「まだまだ努力のしがいがある」と楽しそうに話す目は、すでに未来に向けられていた。見据えるは五輪の表彰台。未熟と自覚していながら、さらに険しき競争の舞台に飛び込む。フェンシング好きはいつしか、自らのたゆまぬ努力によって、世界への挑戦を志す求道者となっていた。何度も負け、悔しさを味わった大学生活。止まない雨はないと信じて突き進んできた。悔いなく終えるその日まで、道は続く。
(記事 小原央、写真 大島悠希)