【連載】『平成29年度卒業記念特集』第31回 竹下昇輝/フェンシング

フェンシング

剣と共に歩んできた道

 「自分が進むべき道を決めるときには必ずあるもの」。竹下昇輝(スポ=静岡・袋井)は自分にとってフェンシングはどのような存在かという問いにこう答えた。小学生からいままで、フェンシングと共に道を歩んできた。自分の決めた道で努力を怠らない竹下だったが、この4年間は、なかなか、思うような結果を出すことができなかった。だが、フェンシングは、竹下自身をひと回りもふた回りも成長させた。歴史ある早大フェンシング部の主将を務めあげた竹下はこの春、卒業を迎える。

 小学生から始めたフェンシングと剣道。小中学校時代は剣道中心の生活だったが、高校に上がる時に、本格的にフェンシングを始めようと決意した。だが、家から通うことができる高校にはフェンシング部がなかった。そのため、土日に中京大で練習をし、平日は剣道という高校時代を送ることになる。そのまま中京大に進学するものだと思っていたという竹下。しかし、早大の監督に声を掛けてもらったのをきっかけに、早大フェンシング部の門をたたくことになった。

 高校で好成績を残し、早大に入学。順風満帆な大学生活が待っているかと思われたが、道のりは険しかった。2年生の時にスランプに陥る。思うような結果が出ない。そして試合に出ることすらできなかった。しかし、最終学年に上がる時に、竹下に転機が訪れる。主将を任されることになった。「重圧を感じなかった日はなかった」。それほど主将の重圧と責任は計り知れないものであった。竹下は、重圧に耐えながらも、主将としての責任を果たすために全力を尽くす。お互いの良いところを伸ばしていけるように声を掛けるなど、チームの雰囲気を良くすることを心掛けた。また、情報収集をし、周りの意見を積極的に取り入れていくようになり、一人で考え込まずに広い視野を持つようになった。

 早大の選手として挑んだ最後の試合である早慶対抗定期戦(早慶戦)。2勝2敗で迎えた男子サーブルの試合は、優勝するためには絶対に負けるわけにはいかない試合だった。早大は、後半は慶大に追い上げられるものの、見事勝利をつかむ。「この試合は、一番伸び伸びと戦え、何より試合を楽しむことができた」。当時の試合をこのように振り返る竹下の表情はすがすがしかった。早大は9連覇を達成し、竹下は主将としての役割を全うした。

早慶戦にて、有終の美を飾った竹下

 竹下は、苦しい4年間を乗り越えて、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を培った。そして、人との関わりの大切さを学んだ。卒業後は、地元静岡の企業に就職する。これまでのように本格的にフェンシングをすることはできないが、社会人としての新たな道を歩みだす。早大で得た経験は、これから歩む人生での糧となるだろう。

(記事 本野日向子、写真 藤岡小雪)