【連載】『平成27年度卒業記念特集』 第42回 山根司/フェンシング

フェンシング

信頼が生んだ強さ

 圧巻の五冠。今や史上最強となった女子エペを一からつくり出したのは山根司(スポ=香川・三本松)だった。高校時代に出会った顧問の先生をきっかけに競技の魅力に目覚めた山根司は、大学でもフェンシングを続けることを決意。だが、入部した早大女子エペは当時関東学生リーグ戦(リーグ戦)で2部リーグ所属と今のように強いわけではなかった。そこから多くの苦難を乗り越え、歓喜を手にした彼女の4年間に迫る。

 入学当初の女子エペは2部リーグ。当時いた4年生とともにチームを作りあげ、一部昇格を果たした。その4年生が抜けた翌年、伊藤由佳(スポ3=栃木・宇都宮中央女)と山村彩和子(教育3=岡山・玉野光南)が入学し、3人で新チームを結成。山根司は2年生ながら、チームを引っ張る柱となった。しかし結成直後のリーグ戦では2部降格の危機に直面。自分のせいで負け、フェンシングを辞めたいと泣きながら帰った日もあったが、そんなとき支えてくれたのは後輩だった。「勝っても負けても先輩と楽しい試合がしたい」というメッセージでこんなにも支えてくれる後輩がいると気付かされたという。山根司は「楽しむことが一番」と再び前を向いた。

五冠を達成し、笑顔を見せた山根司

  チーム結成2年目。「まだお互いをわかっていなかった」という1年目を振り返り、細かいところまで話し合うようになった。何よりもチームの勝利を優先し「私も直すから一緒に頑張って」と強がることをやめ、後輩からも意見をもらうようにした。それが実を結んだのか、リーグ戦優勝、関東学生選手権優勝など、チームに安定した強さが加わっていく。最強女子エペと呼ばれるシンデレラストーリーの始まりだ。

 「最後回りでまくられる夢を1週間に1回は見た」。新たに才藤歩夢(スポ1=埼玉栄)をチームに迎えた昨春。実績を残すにつれて、チームの柱にはすさまじいプレッシャーがのしかかっていったが、やれることをやるしかないと考えていた。山根司の強さが一番光ったのは五冠のかかった全日本選手権の決勝だ。フェンシング人生で最後の試合である。一時は7点差のビハインドを背負うも、2点差まで詰め寄り流れを取り戻す。さらに同点で回ってきた最後回りでは、恐怖に打ち勝ち頂点に登りつめた。だからこそ、これは偉業と言えるのだ。

 山根司はいつも後輩のおかげで勝てたと謙虚に語る。一方で三人の後輩も「司先輩に回せば大丈夫、やってくれる」と口をそろえて言っていた。ここにチームの強さが表れている。四人が合わさることで生まれたパワーが五冠の原動力なっていたのだ。山根司が築いてきた女子エペ伝説。続きは、後輩に託された。

(記事 加藤佑紀乃、写真 松本理沙氏)