思い出の馬たちとともに
早大馬術部の主将として過ごした1年間を、「非常に大変で頭を悩ますことも多かったんですが、振り返ってみると非常にやりがいのある仕事ばかり」で、人間的にも大きく成長することができたと振り返った牛尾哉太(人=兵庫・福崎)。馬歴は大学からで、次期主将に決定した後の取材では驚きとともに少し不安な部分もあると話していたが、競技及びチーム作りにどのように取り組んできたのか。コンビを組んできた馬匹への思いとともに、その軌跡を振り返る。
小学生の頃からの憧れがきっかけで、馬術部への入部を決意したという牛尾。主将に就任してからは、個人競技ゆえにモチベーションが個々人に依存しチーム内に温度差が生まれる傾向にあることから、チーム全体のモチベーションを高めることを意識していたという。そのために、オンライン上でそれぞれの目標を明記させ、各部員の目標を明確化するといった競争意識を高める取り組みを行うなど、実際の行動にもつなげていた。前主将からも筋の通っているところを評価されて主将の座を任されたとのことであったが、そうした面はチーム作りにも確実に現れていると言えるだろう。
馬術競技には、競技アリーナに設置された様々な色や形の障害物を決められた順番通りに飛越、走行する障害馬術競技、演技の正確さや美しさを競う馬場馬術競技、馬場馬術競技・クロスカントリー競技・障害馬術競技の3種目を同一人馬のコンビネーションで行う総合馬術競技の3つの種目がある。総合馬術競技が実施されるのは全日本学生大会や関東学生競技大会といった規模の大きな大会に限られるが、牛尾は障害馬術競技ではアイシングラー、馬場馬術競技では稲翼(とうよく)とコンビを組む機会が多かった。アイシングラーについては、1年生の頃から担当していたことに加え、早大馬術部に所属する馬匹の中でも最高齢の22歳と経験豊富であったことから、試合後の取材でも信頼の厚さを感じさせるコメントが多く聞かれた。一方、稲翼は3年生の頃から騎乗する機会が多くなったというが、複数の大会をこなしてきたこともあり屈腱炎が再発。昨年の前半はなかなか騎乗することができず、治療に専念していたと振り返った。完治することが難しい症状であることから、昨年1年間はかなり気を遣いながらの練習となったほか、コンビで臨む最後の試合直前にも屈腱炎が再発し出場が危ぶまれたというが、なんとか間に合わせることができたそうだ。両頭については「4年間で忘れることができない思い出の馬たち」と語っており、「正しく名馬」であるとも評するなど、深い思い入れをうかがうことができる。
牛尾とアイシングラー
また、牛尾は昨年1年間を印象に残った大会について、「早慶戦で始まり、早慶戦で終わったと言っても過言ではない」とも語っている。馬術部にとって全慶應対全早稲田定期戦(早慶戦)はその体制最後の試合であり、この試合を持って4年生は引退となる。牛尾が次期主将として臨んだ早慶戦では早大が5年ぶりに勝利し、彼自身もアイシングラーとコンビを組んで出場していた。しかし、同期や後輩が結果を残す中、自分だけが思い通りにいかずに悔しさの残る試合となっていた。この悔しさをバネに、1年間主将としても選手としても部活動に励み、その成果を示す場として今年度の早慶戦を位置付けていたという。その早慶戦では、稲翼と出場した馬場馬術競技ではコンビを組んできた中で最高得点を記録した一方で、アイシングラーと出場した障害馬術競技では、最終障害を落とし昨年の早慶戦と同じく減点4という結果となり、悔しさをにじませた。チームとしても僅差で敗北し、2年連続の勝利とはならなかった。
最後の早慶戦を終え、牛尾は後輩に対し「今までよりさらに上を目指していけると思うので、これからも頑張ってほしい」とコメントを残している。彼自身は社会人としての新たなステージに踏み出すが、馬術部での経験、特に早慶戦での悔しさをバネにしたいと先を見据えてもいた。
(記事・写真 齋藤すず)