【連載】『令和元年度卒業記念特集』第18回 蒔苗知紀/馬術

馬術

求め続けたもの

 90年近い歴史を誇る早大馬術部。その主将を務めた蒔苗知紀(国教=東京・玉川学園)に4年間を通して得たものを尋ねると、「馬術という未知の世界を知ることができたという以上に、活動を通して得た縦横の人間関係はとても大きな財産になった」という答えが返ってきた。そこには一部員として以上に1人の人間として真剣に早大馬術部と向き合った4年間があった。

 海外生活が長かった蒔苗。これからのために日本社会での礼儀や上下関係を学びたい。そんな思いで、入学当初から漠然と体育会には所属したいと考えていた。好きだった映画『もののけ姫』に登場するアシタカに憧れて、馬術部と弓道部に興味を持っていた蒔苗は、新歓の時期に前主将である山口ありさ(平31文構卒)からチラシを受け取ったことがきっかけとなり、馬術部への入部を決めた。入部当初は馬術の競技経験どころか乗馬経験すらなく、また体育会という社会に慣れることにも苦労したという。そんな中で海外生活の経験から培った「いい意味でのフランクさ」が役立った。

障害の蒔苗とタニノマティーニ

  約1年間の留学から帰ってくると、前主将の山口から次期主将の打診を受ける。自分より競技歴の長い同期がいる中での指名は予想外のことだった。しかし、歴史ある部の名を汚してはならないと、長い競技歴をもつ副将の石山晴茄(スポ=茨城・つくば秀英)や他の同期と協力しながら一つ一つの練習や試合を大切にすることを部員の中で意識づけてきた。そんな中で迎えた、新体制での初陣となる東京六大学大会。前年には2位という成績を収め、周りからも優勝を期待されていただけに、3位で終えたことは後に振り返っても「自分たちが部のトップだった試合の中でも1番悔やまれる結果」となる。大会までの準備は人馬ともに好調だった。何が原因だったのか。蒔苗は「自分が主将として最後にチームを鼓舞し切れなかった」ことが原因だと考えた。多くは語らずとも絶対的トップとして部をまとめていた山口の姿勢を参考にしつつ、自分なりの主将像を模索した。

 

 そんな中で他の部員に伝え続けていたことは、「主体的に自分で考えて行動すること」、そして「常に早稲田という1つのチームの中にいるという自覚を忘れないこと」。部員それぞれが一人の競技者である以前に早大馬術部という組織の中の一員であるという意識を持ってほしかったので、口出しすることはあまりしなかった。夏合宿あたりになって、部員たちの意識の変化が行動となって表れる。決して全てがうまくいったわけではない。だが、最後に蒔苗は「このチームで活動してこられてよかったと思う。」と一年間を振り返った。

 後輩たちに向けて「自分たちが見られなかった景色を見てほしい」と強く語った蒔苗。これからもOBとして部のサポートはしていく予定だが、あくまで優先するのは今の部員たちの意思だ。早大での4年間を経て、1人の人間として多くを得た蒔苗はこれからどのような景色を見るのだろうか。

(記事 伊藤可菜、写真 宇根加菜葉氏、日野遥)