【連載】『平成29年度卒業記念特集』第15回 三川莉奈/馬術

馬術

仲間の支えと共に

 「(馬術には)人と馬の掛け合わせみたいな部分がある」。そう三川莉奈(基理=東京・東農大一)は語った。たとえ選手の技術が高くても、馬の調子が悪いと結果は残せない。その一方、三川は自身の調子が悪いとき、担当馬のカプチーノAに助けられたこともあった。馬術は個人競技ではあるが、決して『1人』では成り立たない。そしてそれは馬術部主将として部を1年間けん引してきた三川にもいえることだ。

 三川が馬術と出会ったのは高校生の時だ。東農大一中時代に所属していたバトントワリング部が高校にはなく、悩んだ末に新しいことを始めようと思い、高校の部活としては珍しい馬術部に入部した。2年時までは大学で馬術を続けようとは考えていなかった。しかし、最高学年になりレギュラーで試合に出るようになって以降気持ちに変化が。馬術が楽しいと感じるようになり、引退試合の障害飛越競技の走行中に「もうちょっとやりたい」という思いが芽生える。馬術部の有無で大学を選んだわけではないが、早大に入学。迷うことなく入部を決意した。

馬場で演技をする三川とカプチーノA

 早大馬術部入部後、生じたのは『責任』だった。高校時代は一緒に練習していた東農大馬術部の選手が高校生の責任も全て負ってくれていたが、大学では自分の責任は自分で背負わなければならない。また、約20頭もの馬の命を預かるという重い責任もある。こうした責任を抱えながら、東伏見での朝早い練習の後に西早稲田キャンパスで授業を受ける生活は、肉体的にも精神的にもつらいものだった。そんな三川の支えとなったのは馬だ。「疲れているときに癒やされる」と語るように、馬は心に安らぎを与えてくれた。そして3年時にカプチーノAと出会う。元々担当していた先輩が引退し、新たに三川の相棒になったのだ。しかし、カプチーノAと組んでからの戦いは平たんな道のりではなかった。カプチーノAは実力のある馬だったが、3年時は三川が馬の調整をうまくできず、大会でなかなか結果が残せない日々が続いた。

 そんな中、三川は主将としてラストイヤーを迎える。部全体を見渡すようになり1番大変だったのは、さまざまな立場に気を使わなければならなかったことだ。同期、後輩、OB。それぞれに違った意見があり、それをまとめるのに苦労した。そんなとき三川の頼りになったのは4年間を共にした同期だ。早大馬術部は学生主体なため、多くの仕事を分担する必要があり、同期の協力はなくてはならない存在だった。特に主務の山田瑞月(創理=英国・立教英国学院)はいい相談相手で、互いに支え合いながら部を引っ張っていった。一人一人考え方が違うということを理解し、自分を見つめ直すようになったのは、主将としての1年間で遂げた成長だ。また、三川は4年生になり、選手としても成長する。普段からのカプチーノAの調整のこつをつかみ、試合で結果が残せるようになった。そして全日本学生馬術大会の馬場馬術競技(馬場)で決勝に進出。見事周囲からのプレッシャーに打ち勝ち、目標を達成した。

 「私の大学生活はほぼあそこにある」。三川が早大馬術部で過ごした4年間は、人生においてかけがえのないものになったに違いない。卒業後は大学院に進学する。先輩や後輩との付き合い方や事務作業、客との接し方。研究室で必要な多くのスキルは馬術部で身に付けてきた。人生の走行はまだ始まったばかりだ。馬術部での経験を胸に、三川は幾つもの障害を飛び越えていく。

(記事 宇根加菜葉、写真 佐藤詩織)