【連載】『令和4年度卒業記念特集』第39回 佐藤威吹/自転車

自転車

楽しむこと

 「本当に楽しかったし、思い出だらけの4年間だった」。早大での4年間をそう振り返ったのは昨年の自転車部主将・佐藤威吹(スポ=岩手・柴波総合)だ。しかし、その言葉とは裏腹に何度も壁にぶち当たってもきた4年間。佐藤がその壁をどう乗り越え、4年間何を考えていたのかに迫った。

 佐藤が自転車競技を始めたのは高校生の時。小、中と陸上競技に力を入れていた中、指導者がトライアスロンの経験者だったこともあり、そのつながりでスポーツバイクに出会った。元々、日頃から自転車に乗ることが好きだった佐藤。自転車に乗った時に味わう「スピード感」に魅力を感じ、楽しさを覚えた。高校に入ってからは競技スポーツとしての自転車に明け暮れる。インターハイのチームスプリントで高校の初優勝に貢献、国体でも個人で4位に入るなど結果もついてきた。その勢いのままに大学でも競技を続けることを決めたという佐藤。中野慎詞(令4スポ卒=岩手・柴波総合)といった高校の先輩が所属していた、憧れの早稲田大学に進学した。

高校は早大進学者も多い岩手・柴波総合高だった佐藤

 地元岩手からやってきた早稲田大学。しかし早大に来てからの競技生活は苦悩の連続だった。環境の変化に適応できず、「半年くらい風邪をひいていた」という1年時。1人暮らしでやることも増えたため、生活リズムが狂い、体調もなかなか良くはならなかった。10月頃から大会にも出始めるが、高校時代から成績もあまり伸びず、「自転車が楽しいと思わなくなってしまった」。2年生になると新型コロナウイルスがまん延していたこともあり、地元・岩手のトラックで競輪選手と練習していたという佐藤。その環境で練習も多く積むことができた。しかし「練習をやっていればいいと思い、質が低いまま続けていた」とタイムはなかなか伸びず、むしろ入学当初より落ちてしまう。来年には大学3年生になる中、全く結果が残せていない、「このままではダメだという焦りもあった」。

 そんな佐藤を支えてくれたのは、その時、その時の周囲の人の存在。1年時、慣れない環境に苦しんでいた時には、嫌なことも打ち明けられる同期が近くにいた。岩手に帰って練習をしたが結果がついてこない時期には、一緒に練習をしていた競輪選手にご飯に連れていってもらったという。競技に対して焦りが出てきた時には、トレーナーの方に相談し、ウエイトトレーニングや練習量の見直しも図った。3年生になってからは一個上の先輩、川副雷斗(令4スポ卒=熊本・九州学院)に練習メニューやフォームなど細かく教えてもらった。またレース前には、他の選手の状況などを伝えてもらい、「こうやって走れば大丈夫だから、楽しく走ろう」とアドバイスも受けたという。その甲斐もあってかタイムも上がり始め、3年時のインカレでは「自分の中では一番良い成績が残せた」そうだ。

レースに臨む佐藤

 それでも他校の選手と比べると自分はまだまだ納得のいく結果を残せていない。競技に対する焦りは拭いきれなかった。このまま自転車競技を続けていくのか、これからの進路も決めなければいけない時期でもあったからだ。佐藤は自転車競技を始めた頃から「競輪選手になる」という目標があった。しかしその目標に囚われすぎて、逆に練習やレースに集中できない日々。迷いに迷い、佐藤が出した答えは『競輪選手になることを諦める』。もちろん簡単な決断ではなかった。それでもいざ自分自身でその選択をした時に、「心のどこかで荷が下りた感じがした。自転車をこのプレッシャーのまま続けていくことは自分に合っていない」と感じたという。だからこそ、自身の競技人生の集大成にもなる4年目は「自転車をとにかく楽しむ、最初の感覚に戻ろう」と切り替えられた。

 そして迎えた4年目。佐藤は自転車部の主将に就任する。主将として佐藤が意識したのが、「みんが楽しくレースをしたり、合宿に参加できたりする雰囲気」をつくることだ。自身がこれまでの3年間、焦りを感じながら自転車競技を続けてきた、心から楽しめずに自転車を好きじゃなくなってしまった経験があるからこそ、そうならないような雰囲気を大切にした。個人としても結果を常に意識してレースに臨むことをやめ、自転車の本来の楽しさを取り戻す走りを心がけた。「レース内容や結果だけを見れば100点ではない、でもレースへの思いや気持ちの持ち様、部の雰囲気を含めたら100点だったと思う」。楽しさから始めた自転車競技、佐藤は競技生活最後の1年も心の底から楽しんだ。

卒業後は一般企業に就職するという佐藤。自転車競技とは離れるかたちとなる。自身の競技生活の集大成となった早大自転車部での後悔はない。壁にぶつかる度に周りの人とお互いに支え合った日々、主将として部の先頭に立ち引っ張ってきた経験、そして何より楽しんでやってきた競技生活は今後の佐藤の人生に生かされていくことだろう。

(記事 髙田凜太郎 写真 ご本人提供)