リーダー3パートのうち、唯一楽器を用いて応援を盛り上げる吹奏楽団。楽団の活躍なくして、選手に応援を届けたり、観客の注目を集めるようなステージを完成させたりすることは難しいだろう。今回は、春山尚輝吹奏楽団責任者、末高正規応援企画責任者、寺西萌学生誘導対策責任者に応援部吹奏楽団に入部してからこれまでの活動について伺った。
※この取材は10月23日に行われたものです。
本当に先輩のため後輩のために、誰かのために勝ちたいなって思って応援したのはその時が初めてだった(寺西)
微笑みながらはっきりとした口調で話す寺西
――お互いの応援の特徴、尊敬しているところと、第一印象を教えてください
春山 末高は応援企画責任者なんですけれども、この一年間応援をどうしていくかっていうのを中心になって考えてくれてた部門にいて。野球応援では特にパーカッションっていって打楽器を担当してくれてるんですけど、一番前でやっている分目立つんですね、吹奏楽団の後ろの席からも見えますし。その人たちがどれだけやっているかで後ろの人のテンションも変わってくると思うんですけども、パーカッションパートをけん引してくれてるなというのはすごい感じていて。一番前の列から吹奏楽団へ向けて、「こういう風にやっていこうよ」というのが演奏中にもすごい感じ取れるので。それで吹奏楽団の部員が一丸となれてやってこれた部分もあるのでありがたいと思いますし、素晴らしい部分だと思います。
末髙 ありがとうございます。恥ずかしいな(笑)。
春山 普段こんなこと言わないからね。
末髙 はい、じゃあ自分は寺西を。寺西の応援スタイルってところなんですけど、そもそも応援というより裏方の仕事をやってくださってまして。学生誘導対策責任者っていうところで、お客さんを呼ぶ役職の仕事についてくれてまして、 自分たち応援はするんですけどお客さんがいないとそもそも成り立たないと思ってますので、お客さんを呼んでくれる役割を担っていて、集客の部分でいろいろな取り組みをしてくださって。例えば、ちょっと前の東大戦とか。東大の際は集中応援っていうのを新たに設定してビラ配布を昼休みにしてくれていて。その面で裏方の仕事で沢山助かってます。で応援中なんですけど、結構前の方で。自分パーカッションで男子多いんですけど後ろ女子ということで。結構笑顔とかをしてくれて。辛い時もあるんですけど、辛い時でもずっと笑ってくれてて。元気になるというか、パワーは貰っているので、そういうところは非常にいいなと思います。…恥ずかしいね(笑)。
寺西 彼は本当に吹奏楽団の顔なので。対外的にもそうですし、やっぱり責任者として彼がいることですごいやっぱり部員全体も彼がいることで引き締まるしまとまるし、っていうところがあるので。本当に球場にいるかいないかというのは大きな差だなって思ってます。応援中だと、吹奏楽団の一部の男子は太鼓を叩くんですけど、春山はそれをやっているので。そういうところからも、太鼓を叩くと吹奏楽団とは違うところから吹奏楽団のことを見えたりするので、そういう点でも統率力がある人だと思います。
――ワセダの応援曲で好きなものを教えてください
春山 自分は『大進撃』が好きで。ワセダの攻撃がここから始まるぞという感じがしてすごい好きなんですけれども、『大進撃』は基本的にランナーが出た際に流れる曲で、最初の『F4』っていうファンファーレの部分からパンパーパパーンってなるんですけど、これから自分たちの野球をやっていくんだという掛け声に聞こえて自分はすごい好きですね。
末髙 自分は『F1』『コンバットマーチ』が一番好きでして。一番のチャンスで 『F1』『コンバットマーチ』を入れてるので、そこでどう盛り上がるかってところがあったり。自分自身全力でというのをモットーにしてまして、『コンバットマーチ』が流れていると自分も全力でやらないといけないなと思うので、そういった部分で、親近感がある…ではないですけど、好きだと思います。
寺西 私は『F6~SUNRISE』って曲があるんですけどそれがすごく好きで。元々早大って結構全面に押していく曲が多い気がするんですけど。その中でも明るくて、演奏するとパッと華やかになるイメージがあるので好きです。あと、初めてこの秋に球場に来てくださったお客様がいて、その方がすごい『SUNRISE』が一番好きっていう風に言ってて、「フッフー」って曲中にやるんですけど、そこがすごい印象に残ったみたいで、そういう風に初めて来ていただいた方にも印象に残りやすい、良い曲なのかなと思います。
――東京六大学、他大ではいかがですか
春山 自分は東大の『不死鳥の如く』が好きですね。早大にはあまりないようなすごくかっこいい曲なんですよ。観客のテンションも上がりますし、チャンスの時に流れるので、野球部がやってくれそうな雰囲気になるというか、雰囲気をガラッと変えるような力がある曲だと思っていて、自分たちもそういう曲があったらなという風には思いますね。
末髙 自分は慶大の『朱雀』という曲なんですけれども、まず曲がかっこいい。また慶大の方針によって『朱雀』が流れれば間違いなく勝つぞというような感じにしているので、そういう重きをおいてる曲だなというのがあって、好きだなあと思います。
寺西 私は明大の『神風』って曲が好きで。『神風』っていう曲名自体がすごいじゃないですか。明大だなあってすごく思うし、曲自体も早大とは違う神聖な感じがして、演奏していて楽しいなという風に思います。
――これまでで印象に残っている応援を教えてください
春山 そうですね、自分は昨年の早慶戦の3回戦かな。劇的な勝利を早大がつかんだので、自分以外にもその試合が印象に残っている人はたくさんいると思うんですけど、本当に1勝1敗で秋の早慶戦3回戦を迎えて、でこの代でできる応援が今日しかないなという。優勝はなかったのでその試合が最後になるっていう状況で、やれるだけのことはやれたし、まあ勝利をつかむことができたので印象に残っています。
末髙 自分も春山と同じで秋の早慶戦3回戦なんですけど、それは自分が応援当番というのを務めさせていただいてまして。また、自分応援部の一個上の方が好きで。ほぼ引退試合。野球部も引退試合なんですけど応援部も引退試合っていうところで何としても勝利で終わらせたいなという気持ちで臨みました。結構試合展開最初劣勢時が続いたんですけど、終盤にかけて大逆転だっていう流れで。観客も部員も野球部も号泣の試合でしたので、思い出に残った試合です。
寺西 ごめんなさい私も一緒なんですけど、(昨年の秋の早慶戦3回戦が)本当に印象に残っていて。早慶戦って事前準備とかもすごい大変なんですよ。それを頑張ってくれている下級生がいて、当時の上級生最後の試合だしってことで。自分のために勝ちたいっていうよりも、本当に先輩のため後輩のために、誰かのために勝ちたいなって思って応援したのはその試合が初めてだったので、そういう意味でも印象深い試合だったなと思います。
――4年間で一番辛かった瞬間を教えてください
寺西 難しいですね…。私は入って最初の時が一番大変で。それまでそんなに厳しい環境でやってきていなくて。本当に自分の価値観になかったんですよ応援部のやり方、規則みたいなものが。最初にそれを目にして実際にやれと言われた時はどうしようかなと思って。それに慣れるというか、価値観に上手くはまれるようにするっていうのが、一番大変だったなという風に思ってます。
末髙 …辛かった時は、部員昇格してしばらく経った頃かなと。新人から部員に昇格するんですけど、新人の頃はミスとかしてもある程度許されていたんですけど、部員になると全く違ってミスは許されないという感じでして。また自分のミスは怒られるの当たり前なんですけど、同期がミスったら自分も怒られるという連帯責任もありまして。そういうところで最初自分は「なんで自分ミスってないのに他人のミスで怒られなくちゃいけないんだ」っていう風に思ってたんですけど、なんで怒られてたのかわからなかった時期が一番つらかったですね。
春山 自分は3年生の冬、始まりたての頃が辛くて。2年生の頃、さっき寺西から太鼓やってるって言われたと思うんですけど、2生の頃太鼓が自分上手くいかなくて。一時それが「君もう太鼓叩かなくていいよ」って言われたこともあったりして。2年生の最後の方になって復活はしたんですけどそれでもまだ周りには劣っている状態で3年生を迎えて。当時自分は下級生を代表する立場みたいな役職に就かせてもらったんですね、一個上の方から。そんな立場にいるのに自分がそういう状況にあるのはおかしいなと分かっていましたし、そこでどう頑張るかが問われているんだろうなと思っていて。本当に真剣に悩みましたし、自分が今までやってしまったことをどう取り返していけばいいかってことを真剣に考えて、取り返すためにはこういう風にしなくちゃいけないとか、代表する立場なんだから周りに影響も与えてますし、自分がミスしたらその方向になっちゃいますし、その責任感というのが重くのしかかってきて辛かったなと思います。
――では、その経験を乗り越えて4年間で身につけた最大のものは何だと思いますか
春山 自分は高校時代部活をやっていなくて。帰宅部だったんですよ。何かを頑張るっていう経験が正直なかったんですね。応援部いきなり入って、新人の頃は応援にも参加してましたし色んな活動にも参加してたので頑張ってなかったわけではないと思うんですけど、目の前のことに必死でした。それが、部員になってからは本当の意味で頑張るということが分かってきたというか。自分は気合とかそういうのをぶつけた経験がなかったんですけど、応援部の活動を通して気合だったり根性だったり。気概って言葉好きなんですけど、自分の応援したいって気持ちとか早大に勝ってほしいっていう気持ちを全力でぶつければ、やればやっただけの楽しさというか嬉しさは味わえるんだなというのは学べて、良かったなと思います。
末髙 自分は全力でっていうのをモットーにしているので、気持ちの部分は身についたなあという風に思っています。結構応援部って人に頑張れ頑張れって言うじゃないですか。言ってる割りには自分頑張ってなかったら周りには響かないと思っているので、人に頑張れっていうならまず自分自身。自分自身が全力になったうえで頑張れっていうのが筋だと思ったので、気持ちの部分は応援部で身につけたなあという風に思います。
寺西 私は責任感ですかね。応援部って上下関係厳しくて、たかが年齢でいったら1個とか2個とかしか変わらない人たちに「失礼します」とかを言うじゃないですか。やっぱり下級生の頃は自分のことしか分からなくて、何でこんな挨拶をしなくちゃいけないんだろうって思ったんですけど、上級生になったらここで自分がさぼったら下級生はどう思うんだろうというのが増えたので、自分は責任を持って、上級生だから挨拶されるから偉いんじゃなくて、そこは気を抜かないで 責任を持ってしっかりやらないといけないんだなって思ったところが一番、身についたことだと思います。
気迫を自分たちにぶつけてきてほしい(末髙)
思いを語る末髙(写真左)と春山(写真右)
――ステージとか演奏で使う方は自前ですか
春山 自分のを使っている人も多いですね。部のものを使っている人もいるんですけど。自分は演奏の時に使っているのは、最初自分は初心者で入ったので部の楽器をずっと使ってたんですけど、2年生の時にどうせやるなら自分の楽器で、いい楽器で部を続けたいなと思って購入したんですね。自分アルトサックスをやってるんですけど、その楽器を選んだ理由は2つ上に先輩にすごいアルトサックスが上手い先輩がいて、その先輩が使っている楽器と同じメーカーから買って、自分もそれくらい上手くなりたいなと思って買ったんですけど。その先輩には及ばない部分が全然まだまだあるんですけど、その人に近づけたらいいなという思いで買いました。
――応援、演奏活動で担当されている楽器を選んだきっかけを教えてください
末髙 自分パーカッションパートなんですけど、叩けば音が出るという理由で。
春山・寺西 サックス…(小声)。
末髙 あ、まあ最初はサックスパート希望してたんですけど(笑)。便宜上抽選外れたみたいな。感じで。第二希望のパーカッションに…。
春山 抽選というか希望出してて。入った段階で。
――入った段階で担当楽器の希望を出すんですね
春山 全員楽器初心者だったんですよ。楽器を全員持ってなくて。言ってしまえばどこにも入れられかねないというか。どこに入れられるか分からない状況で。
寺西 そのパートに移ってもらってもいい?みたいな電話掛かってきて。私は「いいですよ」みたいな感じで。でも彼は、
末髙 通ったの?
春山 絶対サックスじゃないと入りませんって言って(笑)。すごい頑固だったんです。で、(希望は)アルトサックスなんですけど、(先輩に)テナーサックスはどうって言われたんですけど。ちょっと(断りました)。
末髙 自分はそこでパーカッションを選んだんですけど、理由としては叩けば鳴るなというところで。初心者で一番純粋にやりやすいなっていうところで。今結構後悔してるんですけど。結構リズム刻むとか難しかったり、センスある必要だなって思ったんですけど、そういう安易な気持ちで入ったんですけどなんだかんだ4年間続けて。ある時上達して応援部の責任者という一番前のところで引っ張っていっていますので、結構パーカッションパート入ってよかったなとは思いますね。
寺西 私はクラリネットになったんですけど、最初は音も小さいし、球場とか行ったら みたいな感じだったんですけど。今、4年経って、本当にクラリネットでよかったなと思っています。理由は、小さいから。持ち運びが楽なので。
春山 え、そこ?(笑)
末髙 それ?(笑)
春山 …まじ?
寺西 でも楽だから、大学卒業して、ちょっと趣味とかで、特技披露でやる時に吹きやすいなって思いまして。
――そこまで考えられていたんですね
寺西 そうですね、そうなんですよ。
末髙 意外だね。
寺西 あと音もすごい綺麗で。メロディーとか。 綺麗な旋律を吹くこともできるので、そこもすごい良かったなって思います。
――下級生に期待していることを教えてください
春山 自分たちはもうあと1か月で引退が迫っていて。応援っていうものに関しては早慶戦が、野球応援は最後なんですよ。本当に下級生には、自分たちは来年こういう応援をしていくんだっていうパワーというか意志を見せてほしいなと思って。この人たちなら来年の応援部を任せていけるんだっていうぐらい自信をもって4年生として送り出してあげたいんですね、自分たちとしては。もちろん3年生はそのつもりでやってきてくれると思いますけど、下級生としての集大成を見せてくれたらなという風に思います。
末髙 結構似てくる部分なんですけど、やっぱり引退して、納得して受け渡したいなと思いまして。ちょっと今下級生総じて不安な部分が残っているんで。そういう部分を…。自分は結構精神論でいうんですけど、気持ちさえあればある程度何とかなるなって思っているので。気迫を自分たちにぶつけてきてほしいなと思います。そういうところを結構期待はしてます。
寺西 そうですね。私も、あと2か月とかしかないですけど、だからといって、 引退ムードにしようとは思ってないので、きちんと伝えるところは伝えて、厳しくするところは厳しくして、下級生にも本当についてきてほしいなって思います。そういう姿を見せてほしいです。
早慶戦の演奏の見どころは絶対内外合同ですね。あと校歌。(春山)
お互いの発言に笑う3人
――応援部入部のきっかけと、応援部に入っていなかったら何をしていると思うかを教えてください
春山入部したきっかけは、自分は楽器に少し興味があったんですけど、中高で楽器をやっていたわけじゃなかったので、初心者でも入れる音楽団体がここくらいしかなくて。というのが応援部にひかれた魅力の一つです。魅力は感じていたんですけど、スキーサークルに入ろうと思っていて(笑)。もう入るところも決めていたんですけど、(応援部の)ステージを見に行って。あ、これ全然いい話じゃないですよ(笑)。 ステージを見て感動したとかじゃなくて。部員の方に話を聞いていて、「初心者でも始められるのはここだけだよ」と言われて、まあ確かにと思って。野球応援も楽しそうだなと思って。でも自分はスキーサークルに入りますってその人に言ったんですけど、その人が当時の吹奏楽団の責任者の方で、「応援部はスキー応援もあるから、スキー応援に行った時にスキーもやっていいよ」って言われて。いや、嘘だろみたいな(笑)。「あ、まじか、スキーもできるし楽器もできるならここでいいかな」って思ったんですよ。でもいざ入ってみたら、吹奏楽団はスキー応援には行かないっていう事実があって。ちょっと騙されたなって感じです(笑)。なので、入ってなかったらスキーサークルに入っていたと思います。
末髙 きっかけは、誰かのために全力で応援されている姿がかっこいいなって思って、自分もそうなりたいと思ったのがきっかけかなと思います。まず自分5年生なんですけど、1年間野球サークルとかフットサルサークルを転々としていて。でも春秋通して野球の応援だけはずっと行っていまして。しかも、4年前のリーグ優勝した時なんで盛り上がりもあって、ほんと楽しいなと思って。自分自身、今の自分と応援部の自分とを対照して、このままで学生生活いいのかと思って、そこで変わろうと思ったのがきっかけで応援部に入ろうと思いました。それで、リーダーではなくてなんで吹奏楽なのかってところなんですけど、誰かのためにやるんだったら伝わったら一番いいなと思って。声や手、拍手よりは楽器の音ほうが一番伝わるなと思ったので、自分は吹奏楽団を選びました。もし応援部に入っていなかったら、たぶん酒とか飲んで高田馬場のロータリーとかで寝たり(笑)。そのちょっと残念な、残念ではないと思うんですけど、もったいない学生生活を送っていたかなと思います(笑)。
春山 それはそれで楽しいと思うけど(笑)。
寺西 私はもともと早稲田が好きで、だから早稲田を感じられる団体に入りたいな、と思っていて。先に言ってしまうと、応援部とか早稲田祭運営スタッフをやりたくてすごく迷っていました。結局応援部にしたのは、何でもいいんですけど新しいことを始めてみたかったなというのがあって。別に楽器をやりたいとかはなかったんですけど、もともと高校でクワイヤーとか合唱部みたいなところに入っていたので、まあチアとかよりは(笑)。応援部のチアと吹奏楽団だったら吹奏楽団にしました。一番の理由は、やっぱり応援がしたかった、という感じかもしれないです。もともと斎藤佑樹投手(平23教卒=現北海道日本ハムファイターズ)がいた時の六大学野球も見に来たことがあったし、箱根駅伝とかも10年くらいずっと応援しに行っていたんですね。
末髙 まじか。
寺西 だからスポーツ観戦みたいな感じでできるのかな、と思って応援部に入りました(笑)。ちょっと違ったんですけど。
末髙 取材のほう、早スポとかはいかなかったんだ。
寺西 あ、早スポは考えてなかったです。
一同 (笑)。
寺西 入ってなかったら早稲田祭運営スタッフをやっていたかなと思います。
――オフの日は何をされていますか
末髙 ちょっと恥ずかしいんですけど、散歩をしていまして。今このフィットビットってやつ(腕時計)を付けているんですよ。内定先で配られて、内定先の企業が健康応援企業団体で。健康を応援する企業ということで、まず健康を応援する人は自分自身も健康じゃなきゃいけないよねというところで健康管理されているんです(笑)。一日一万歩歩かないといけないノルマがあって、それのために頑張って歩いています。
春山 今何歩になってる?
末髙 えっと1650…。
一同 (笑)。
末髙 8000歩くらい足りてないんでこの後ちょっと散歩してこようかな(笑)。
春山 絶対足りないじゃん(笑)。
一同 (笑)。
春山 そうですね。正直あまりオフがないんですよ、部活やってると。
末髙 間違いない。
春山 最近は本を読むのが好きですね。
寺西 意外。
末髙 まじか。
春山 いや、ほんとほんと(笑)。電車の中とかで結構読むんですよ。だとか、あとは自分理系なので最近は卒論がそろそろやばいな、という時期ですね。
末髙 おおー。
春山 研究進めないといけない時期になってきたので、ちょっとやりたくはないんですけど勉強をちょこっと、みたいな(笑)。
寺西 私は地元がすごい好きなんですよ。吉祥寺とかなんですけど。なので、そこのおいしいグルメみたいなのをインスタとかツイッターとかでゲットして。
末髙 女子や(笑)。
寺西 でもお金なくて、ほんとに(笑)。なかなか行けないんですけど、そのお店の前まで行ってほんとに食べる価値があるのかっていうのを5分くらい、こうメニューとかを外から様子見ながら見て。あ、ここだ、と思ったら入るし、高いしやめとこって思ったら別のところに行ったりするっていう。ほんとになんか、節約できるいいオフの過ごし方があったら教えてほしいです(笑)。
――先程皆さん大学から楽器を始められたとおっしゃっていました。高校時代は何をしていたのかと、大学から楽器を始めて大変だったことを教えてください
春山 高校時代は何もしてなくて(笑)。
末髙 帰宅部(笑)。
春山 帰宅部だったんですよ。それで、どっちかっていうと部活があまり盛んな高校ではなくて、まあ進学校だったので勉強を頑張ろうみたいな感じだったんですね。なんで高2高3くらいになったら勉強してましたけど、それまでは遊んでいましたね。ほとんど遊んでました。大学から始めて大変だったのは、サックスは指とかはリコーダーと一緒で、音も一番出しやすかったので、音を出したり指を覚えたりするのはそこまで苦じゃなかったんですけど、譜面が読めなかったのが一番つらかったですね。音階が読めないのとリズムがわからないのが一気に来て、全部わからないところは譜面に書き込んでましたし、リズムはもう先輩が吹いているのを必死に聞いて耳コピをして、というのがつらかったですね。
末髙 高校時代は卓球部に所属していました。ピンポンです(笑)。自分も春山と同じで進学校で、ほんと勉強勉強勉強っていう中、自分はスポーツ好きなので体動かしたくて卓球をやって、文武両道達成できたかなって思います。吹奏楽を始めてつらかったことは、やっぱり同期とか先輩パーカッション全員経験者でそれに必死で追いつかないといけないな、というのが一番つらかったところです。応援部って初心者大歓迎とか言ってるんですけどやっぱり吹奏楽団は演奏できないとあまり戦力にならないので、いかに戦力になるために努力し続けないといけないかっていうのが苦労したかな。
寺西 私はクワイヤーってわかりますか、礼拝堂でやる、合唱なんですけど、をやっていて。特に理由はなくて、中高一貫校だったので中学の時からずっとやっていたって感じで、好きだからやっていたというわけでもなかったです。高校時代はボランティアサークルみたいなのとか留学にも行っていたので、大学では応援部一本ですけど、高校の時にいろいろやったかなという感じです。初心者で始めてつらかったことは周りがみんな吹いてるのに自分だけ全然吹けないから、ただ椅子に座っているだけっていうのがつらかったです。何のためにこの2時間ここにいるんだろうって。私は、譜面は読めたんですけど、指とか全然わからなかったので、それもつらかったです。
春山 吹けなくても野球は絶対参加でしたね。
末髙 いちおう、声は使えるので。
寺西 練習とかもいなきゃいけない。
春山 もちろん先輩が教えてはくれるんですけど、合奏とかになるとみんなで吹くので、先輩も吹いてると教えられないじゃないですか。それはつらいですね、たしかに。
――早慶戦の練習はどのようにされていますか
寺西 内外と中継指揮だけで、とか。
春山 練習は早慶戦の前に必ず月曜日とかに3パートでの総合練習っていうのをやるので、大きな体育館を借りて内野、外野みたいな感じにわかれて座って、中継指揮もちゃんとつけて。ただ1回しかその3パートでという練習ができないので、予定が合わなくて。そこで何としても形にしないといけないプレッシャーはありますね。だからそこまでに中継指揮だったり指揮者の4年生と3年生はもう内外合同のためにめっちゃ練習しますし、内外合同をやる時は、普段は試合を見ちゃったりするんですけど、絶対に指揮者のことをずっと凝視して、何としても演奏をずらさないというのは他の指揮者以外の吹奏楽団の人たちもやっています。
寺西 でもやっぱり距離感とかが全然違うので、ほんとに、球場に行ったりすると。高揚感みたいなのもあって指揮見るってわかっていてはいても違う方見ちゃったりというのがあるので、ぶっつけ本番的なところが。
春山 早慶戦は前日金曜日に指揮者の人たちだけ実際のポジションに立って確認みたいなのはします。それくらいですね。
――最後に早慶戦、稲穂祭での演奏の見どころをお願いします
春山 稲穂祭か。
末髙 演奏の…。
寺西 稲穂祭…。
春山 早慶戦の演奏の見どころは絶対内外合同ですね。あと校歌。内外でそれぞれ指揮者がいて、その中間に中継指揮というのが4年生で一人いて、その指揮に合わせて内外の指揮者が合わせて、内外合同で演奏します。もちろん慶応もやっているんですけど。内野も外野も応援席を使う早慶戦ならではの一番大きい見どころだなと思っていて、春はちょっと失敗してしまった部分もあったんですけど、それがはまるとほんとに応援席の上のほうから見ると内外でチアのパネルとかダンスとかリーダーのテクとかがぴったり合っているんですね。それを見ると感動して鳥肌が立つくらい応援席が一体となった感じになるので、成功させられたら選手の後押しにもなると思うので、何としても成功させたいと思っています。稲穂祭は一つのステージで早慶のメドレーがどちらとも楽しめるんですね。慶応のメドレーもやりますし、慶応から何人か参加してもらって演奏もしてもらうので早慶のメドレーだったり、応援歌だったりのいいところがどちらも味わえる年に数回しかない貴重なステージかなと思っているので、両方の応援の良さっていうのをぶつけあっていいステージにしたいなと思っています。
末髙 しかも一緒に演奏するんで早稲田が早稲田の曲じゃなくて、早稲田の曲を早稲田と慶応が、慶応の曲も早稲田と慶応が一緒にという、吹奏楽団だけなんですけど一体となって演奏できるというのも見どころかなと思います。
寺西 稲穂祭はベストメドレー、慶応と早稲田の応援曲のいいとこ取りなすごい長いメドレーなんですけど、ほんとにいろんな応援曲がいっぱい出てくるのでそれを一気に聴けるというのも見どころかもしれないです。
――ありがとうございました!
(取材・編集 伊東穂高、鬼頭遥南、馬塲貴子)
早慶戦でどのような応援をしたいか書いていただきました!
◆春山尚輝(はるやま・なおき)
1997(平9)年5月10日生まれ。埼玉・江戸川取手高出身。基幹理工学部4年。役職は副将、吹奏楽団責任者。
マイブームは読書とアルバイト。球場でリーダーと一緒に太鼓を叩くことが多い春山さん。取材ではいつも、整然とした言葉で応援のルールや部の決まりについて説明してくださいました。下級生時代に苦労したという太鼓も、早慶戦では楽団責任者としての意地を見せてくれること間違いなしです!
◆末髙正規(すえたか・まさき)
1996(平8)年9月28日生まれ。奈良・西大和学園高出身。政治経済学部5年。役職は応援企画責任者、吹奏楽団会計。
マイブームは人間観察と散歩。神宮球場ではきりっとした表情で演奏している末高さんですが、対談では方言で同期に突っ込む一面も。愛用中の健康用のウォッチを嬉しそうに見せてくださいました。早慶戦、自らが中心となって作り上げた応援を楽団前方から届けます!
◆寺西萌(てらにし・めぐみ)
1997(平9)年8月1日生まれ。東京・立教女学院出身。政治経済学部4年。役職は学生誘導対策責任者。
マイブームはモンブランを食べること。役職では応援席への観客の呼び込みなどをされているという寺西さん。対談では、こちらを気づかいながら、はきはきとお話してくださいました。そんなゆったりとした印象とは対照的に、色紙には「圧力」の文字が。慶応に「圧力」のある音で迫ります!