【連載】『平成29年度卒業記念特集』第33回 櫻井康裕/応援

応援

表舞台に立つために

「紺碧の空、仰ぐ日輪…」。ワセダを応援する人々は、チーム奮い立たせるとき、得点を決めたとき、勝利したとき。隣の友人と、時には名前も知らない人と、肩を組んでこの歌を歌う。櫻井康裕(社4=群馬・中央中教校)は、応援部の一員として、この『紺碧の空』を何度歌ってきたのだろうか。どんなに暑くても、寒くても、風が吹いていても、学ランをピシっと着こなし、いつでも決まっているリーダーは、観客の視線を集めることも多い。応援席では笑顔とユーモアの溢れるリーダーだが、その裏には想像も出来ないほどの厳しい世界がある。櫻井も、代表委員主将となりセンターリーダーとしてテクを振るまでには、長い長い下積み時代があった。

 応援部に入ったきっかけは、春季東京六大学野球リーグ戦(春季リーグ戦)を見たことだった。応援部の主催する新入生向けの観戦ツアー、その試合は対法大2回戦だったという。終盤の逆転ホームランで盛り上がる応援席の雰囲気を身体で感じて、「4年間で何か一つのことを突き詰めてやってみよう」と思っていた櫻井は、入部することを決めた。しかし入部してからは、今まで経験したことのない厳しい世界に、驚きを隠しきれなかったという。応援席で見ていたあの応援を作り上げるためには、とてつもなく長い時間を費やして、準備をする必要があったのだ。凄まじい量の練習に加え、服装、挨拶、礼儀。生活の隅々まで応援部の規律が浸透し、時にはその苦しさに「どうして入ったのだろう」と弱気になることも。では何故、辞めずに続けてこれたのか。それは、本番の応援で、その部が勝ったとき、観客やその部員と喜びを分かち合えるからだった。「一割の喜びのために、八割、九割の苦労を乗り切っている」。下級生の間は、上級生のように前に立ってテクを振ることも出来ない。しかし、前に立つ先輩リーダーを見て、「自分もいつかああいう風になりたいな」と1人の新人は憧れを抱き、がむしゃらに自らを奮い立たせるのだった。

春季リーグ戦でセンターリーダーを務める櫻井

 3年時に様々な役職の補助に就き、その中で素質を見出された櫻井は12月に代表委員主将に任命された。なりたいと願っていた主将だったが、代替わりしてしばらくは実感があまり湧かなかったという。しかし、2017年5月27日、春季リーグ戦最終カード――早慶戦。「あそこに立ちたいと思っていたところに、自分が立っている」。それまでの試合と比べものにならないほどの大勢の観客を前に、センターリーダーとして神宮を見上げたとき、あぁ、自分こそが主将なんだと感じたのだ。幹部になる、すなわち最高学年になった櫻井は、同期と協力しながら部の改革に挑み始める。良い伝統は守りながら、今の時代にも合うものへ。3年間の下積みの経験を生かして、厳しい中でも、以前よりも風通しが良くなるよう工夫を凝らした。

 リーダーの同期は櫻井を入れて4人。同期のことをどう思っているか問えば、「友達といって良いのかはわからない」と言う。辞めていく者もいる中、良いところも悪いところもさらけ出しながら、一番長い時間を共に過ごした同期たち。オフの日は友達のように遊ぶこともあるが、部活ではなれあうことはほとんどなく、それぞれが一所懸命に活動してきた。「戦友って呼べるくらいの仲」。櫻井にとって同期は、4年間頑張ってきたからこそ手に入った、『友達』という言葉では補いきれないくらい欠けがえのない存在となった。それはきっと、他のリーダー達にとってもそうである。

 「人生楽ありゃ苦もあるさ」。櫻井の4年間を表した言葉だ。苦しいことがあっても、楽しいことのために頑張ってきた。応援部での4年間は、一般の大学生では経験できないことが沢山詰まっている。この部活でこれだけ頑張れたという「青春の時」の思い出は、これからの人生において、ずっと櫻井に自信を与え続けてくれることだろう。ワセダを卒業し、社会人になり、いつか壁にぶつかったとき。これからは櫻井が、自らの経験に応援される番になるのだ。

(記事 今山和々子、写真 平松史帆)