華の早慶戦、応援パネルで打倒慶大

応援

 目前にせまった東京六大学野球秋季リーグ早慶戦。1950(昭和25)年以来、東日本大震災から年4年間を除いて半世紀以上にわたり、毎年秋の早慶戦に見られるものがある。応援席の後ろに設置される大きなパネルだ。そのパネルの作成を、初代からずっと担当し続けているのが、早大の公認サークル・舞台美術研究会である。

 舞台美術研究会は、戦後間もない1946(昭和21)年に発足し、同じく早大の公認サークルである放送研究会と起源を一にしている。神宮球場一塁側応援席に飾られた初代のパネルは、勝利の女神「NIKE(ニケ)」をモチーフにしたもので、羽根が人力で動く大作だった。また外野には、戦前から戦後まで長年人気のあった横山隆一氏の漫画のキャラクター・「フクちゃん」の立体模型が置かれた。フクちゃんは横山氏の厚意により、応援パネル定番のキャラクターとして、以後約半世紀にわたり使用された。

パネルを作成している部屋の一角

 ワセダベアを経て、きょねんから登場しているのが応援部のマスコットキャラクター・「わーおくん」である。ことしのテーマは「祭」。神宮球場開門の9時から試合開始の13時まで、応援部はSHOCKERSやグリークラブなどの多くの早大サークルを招き、応援席を祭のように盛り上げる。それを受けてパネルも、法被を着ているわーおくんに、和太鼓やちょうちんなど、祭をしっかりと感じられるデザインに仕上げた。上方に入っている「吼えろ早稲田の獅子」という文字は、わーおくん誕生の元になった応援歌名だ。実はこの応援歌、大学創立85周年を記念して、早大OBであり、『こんにちは赤ちゃん』や『上を向いて歩こう』を世に排出した名コンビ・永六輔氏と中村八大氏により作られた名応援歌なのである。

 完成したパネルの大きさは、縦約7メートル×横約10メートルの巨大なもの。パーツごとに縮尺を測り下書きをして色を塗り、それを組み合わせて完成させる。光を取り入れるためにデザインに沿って板をカットし、べたりとした単調なものにならないようにと工夫も施した。製作期間は約1か月。少ない人数だが思いを込めて懸命に取り組んだ。「毎年違うパネルでもありますし、早慶戦ならではということで楽しみの一つになる」と応援部の鈴木崇正代表委員主将(教4=静岡・韮山)も言うように、応援席の観客の中にはその大きなパネルと記念撮影をして帰る人も多い。ぜひとも神宮球場に足を運ぶ皆さんも、秋の早慶戦ならではの応援パネルを楽しみの一つに加えてほしい。

(記事、写真 中川歩美)

コメント

鈴木崇正代表委員主将(教4=静岡・韮山)

――テーマが「祭」だと伺いました

早慶戦は9時の開門から13時の試合開始までの企画で祭をメインにしていて、たくさんのサークルにも参加いただいているのですが、そういったことからテーマをお祭にしています。

――どういった要望を出されましたか

応援部からいろんな案を出して、やはりお祭がメインなのでお祭感を出したいというのを舞台美術研究会の方と打ち合わせをしました。サイズの規格もあって使える使えないはあるので、そこを詰めていきました。

――「吠えろ早稲田の獅子」と入っていましたね

ちょうど神宮球場で5回に流れる私たちが作っている応援部のCMも、「吼えろ早稲田の獅子」というフレーズを使っています。「吼えろ早稲田の獅子」という応援歌があるのですが、わーおくんもそれを元に作られているのでそれを前面に押し出すためにその言葉を使っています。

――完成したのを見るのは早慶戦当日ですか

そうですね。しっかり大きく出来上がったものを見るのは早慶戦当日になります。

――パネルがもたらす効果をお聞かせください

向こう側からドンと見えますし、野球部の選手の方からも見えると思うので、盛り上がるパネルがあると効果的だと思います。毎年違うパネルでもありますし、早慶戦ならではということで楽しみの一つになると思います。