【連載】『平成27年度卒業記念特集』 第43回 中谷篤人/応援

応援

応援に魅せられて

 「選手が勝ったら自分たちも勝ち」。44あるワセダの体育会の内、唯一勝敗のつかない応援。そのことをどうとらえているのかと問うと、代表委員主将を務めていた中谷篤人(創理=静岡・掛川西)はそう答えた。選手が勝てばそれにつながる応援をした自分たちも勝ち、負ければ背中を押しきれなかった自分たちも負けである。2015年、多くの部が優勝や早慶戦勝利などの好成績を挙げた。本当にうれしかったと振り返る中谷から、一心同体となって選手と共に戦う応援への熱意が感じられた。

 応援を続けて7年。その始まりは、高校の文化祭だった。野球が好きで、選手としてプレーしていた経験も持つ中谷。高校でも体を動かしたいと思っていたが、これという部活が見つからなかった。そんな時、文化祭で応援団の演武を見て、その雄々しさに引き込まれ入部を決意。応援に熱を注ぐ日々が始まった。しかし、当時はまだ大学で応援を続けるつもりはなかった。転機となったのは高校2年生の秋。レベルの高い応援を学ぶため、部活動の一環として神宮球場へ早慶戦を観に行った。掛川西高がワセダに近い応援をしているため、ワセダ側で観戦。その華やかさや応援づくりの素晴らしさに感動し、ワセダの応援部を志すようになった。

指揮台から想いを届ける中谷

  「やるからには応援部に名を残すつもりでやってやろう」と意気込んで入部した。厳しい練習が続いたが、つらくてもいやだとか、やめたいと思ったことは一度もなかった。体育会の選手に頑張れと言うからには、自分たちも頑張らなくては応援する資格がない。また、一流の応援をするためにはそれなりの体力と技術も必要だ。何より、応援が好きだという気持ちが練習のつらさに勝っていた。「与える人が与えられる人」、それが中谷の座右の銘だ。自分がもらおうとするばかりでは、人から何も得ることはできない。反対に、自分が何か与えることを続けていれば返してくれる人もいる。応援をしていると、選手から喜びをもらうことがたくさんある。中谷にとって、この言葉はまさに応援そのものなのだ。

 下級生の頃からずっと就きたいと思っていた主将。努力が認められ任命された。部の一年間の方針も、主将のたった一言で変わってしまう恐れがある。自分の発言が全体に与える影響の大きさに気付き、一つ一つの言葉を意識して用いるようになった。「プロとして一流の応援を」。リーダーだけでなく、チアリーダーズや吹奏楽団も含めた部員全員が自分たちの応援にプロ意識を持ってほしいと、ストイックに応援のあるべき姿を追求し続けた。自分を成長させてくれたもの――、中谷にとってそれが応援である。170名の大所帯を先頭に立って率いたことで、自信もついた。卒業後も感謝の思いを胸に、ワセダの応援を見守り続ける。

(記事 中川歩美、写真 難波亮誠)