【連載】『令和4年度卒業記念特集』第18回 磯村時将/ボクシング

ボクシング

 「魂」ーー。これは磯村時将(創理=東京・攻玉社)にとっての早大ボクシング部を表す言葉だ。今季は主将も務めた磯村だが、ボクシングを始めたのは大学に入学してから。1年時は試合に出場することがかなわなかったが、2年目以降は着実に成長し、数多くの試合を経験してきた。そんな磯村の4年間の軌跡に迫る。

 高校まではサッカーをしており、ボクシングとは無縁の生活を送っていた磯村。だが、ボクシングに憧れがあったという理由から早大ボクシング部への入部を決意した。1年目は体力、技術ともに劣っていたため、夏合宿では先輩たちに圧倒的な差を見せつけられ悔しい思いをした。試合にも出場することができなかったが、生活面でも学ぶことが多かったと言い、自身でも「学びが多い1年目だった」と振り返る。

3年時の早慶戦ではトップバッターとして早大に勢いを与えた

 きっかけをつかみかけていた矢先にコロナ禍に見舞われた2年目。予定されていた大会もほとんどが中止となり、唯一開催された試合が早慶定期戦(早慶戦)だった。磯村にとっては大学入学後初となる公式戦。試合には敗れたものの、コロナ禍で試合ができる喜びを感じることができた。3年目は悔しさもうれしさも味わった。春の関東大学ボクシングトーナメント(トーナメント)では準決勝に進んだものの、準決勝で敗北を喫し、決勝進出はならず。「決勝に行きたかったので、悔しさが残った」一戦だった。一方で12月に行われた早慶戦では持てる力を存分に発揮。「トップバッターだったので何としても勝ちたかった」と強い気持ちで挑み、見事に勝利。早大は最終的に慶大に敗れたが、磯村の勝利は間違いなくチームに流れをもたらす1勝だった。

 迎えたラストシーズン。春のトーナメントでは惜しくも初戦敗退に終わったが、「3年時よりもボクシングらしい試合をすることができ、収穫も多くあった」と前向きに振り返る。夏には、コロナ禍でできていなかった合宿も3年ぶりに実施することができ、チーム一丸となって12月の早慶戦に向かうことができた。そして迎えた早慶戦。磯村ら4年生にとっては引退試合でもあるこの試合で、早大は初戦を落とし、苦しい立ち上がりに。しかし、磯村は最終学年、そして早大の主将としての意地を見せる。最終3Rまで磯村らしい試合運びを見せてRSC勝ちを収め、対戦成績を五分に戻した。だが、その後早大は、慶大に3連敗を喫すると、最後まで流れを取り戻すことができず、2ー5で敗北。またしても宿敵相手に勝利を挙げることはかなわなかった。「(チームとして)4年間早慶戦で負けてしまったことが唯一の心残りだった」が、試合後には敢闘賞も受賞。早慶戦はどれも印象に残っているというが、その中でも特に、最後の早慶戦は「RSC勝ちという最高のかたちで勝てた」と4年間の中で最も思い出深い試合に。競技生活ラストマッチで有終の美を飾った。

最後の早慶戦で果敢に攻める磯村。試合後には敢闘賞も受賞した

 早大で過ごした4年間は「先輩からも後輩からも多くの学びがあって、いい経験になった」と振り返る。そして、個人スポーツであるボクシングだからこそ得られた学びもあった。それは「どれだけ自分自身に厳しくできるか」ということ。「ボクシングはリングに上がったら、誰かが助けてくれるわけではない。練習も手を抜こうと思えばいくらでも抜けるが、全て結果で返ってくる」と語った磯村。常に己と厳しく向き合うことで、4年間を通して自分のボクシングに磨きをかけ、成長を遂げることができた。「大学生活のメインでもあり、今の自分を形成してくれた」と語る早大ボクシング部での4年間を経て、春からは新たなステップを踏み出す。

(記事 加藤志保 写真 栗田優大、加藤志保)