【連載】『令和元年度卒業記念特集』第66回 中田珠未/女子バスケットボール

女子バスケットボール

明るさと苦悩と奮闘と。

 「何事もポジティブに考えるタイプなので」。中田珠未(スポ=東京・明星学園)の特徴は自他ともに認める底抜けの明るさだ。そんな中田は昨年、大学生で唯一、東京五輪を見据えるバスケットボール女子日本のA代表候補に選ばれた。しかし、それは早大バスケットボール部との両立で苦労することと引き換えだった。「できるのなら、大学だけに集中した4年間を歩んでみたい」。高いレベルだからこそ得られた経験があった一方、全日本大学選手権(インカレ)制覇を目指すチームに専念できない葛藤。中田の早大、代表での生活を振り返る。

 早大を選んだ理由は、『全国制覇』をしているチームだったからだ。中田は経験できていない『日本一』をとるという高い目標を持ち入学する。1、2年時は「ついていくので必死だった」と言うが、2年時に初めてユニバーシアードに呼ばれたことで自信を得、早大でプレーするときの考え方に変化が生まれる。「通用した」と振り返る得意なドライブを武器にチームの中心となった。そして、B代表としてアジア大会も経験し、「強みが認められた」ことでさらに自信を深め、世代のトップ選手へと順風満帆な成長を見せる。高いレベルでの試合経験は、中田に新たな課題を見つけさせ、ステップアップする上で大きな励みとなった。自信のあるドライブは海外選手が相手でも手応えを得た一方、精度と大学レベルではスピードで対処できていたフィニッシュの部分で「スキルアップしなければならない」と感じた。代表で学んだことは早大にも生かされた。練習メニューを取り入れ、中田が代表を通じてプレーの幅を広げたことがチームに好影響をもたらす。昨年、ついにA代表候補の座をつかむ。最年少の部類のため、気を使い、仕事をする場面があったが、「日本中の大学生の中で自分しか経験できていない」と前向きに捉えた。そして、精度の高さ、プレーの質の高さに直接触れたことで「自分もそうなれる」と、また一つ成長する糧となる。

シュートを放つ中田

 しかし、A代表候補と早大との両立は「とても苦しかった」と振り返る。苦しめた要因に挙げられるのは時期の悪さだ。大学とプロのシーズンスケジュールは全く違う。だが、大学生である中田はプロに合わせなければならなかった。「トーナメント(関東大学女子選手権)に向けて仕上げていきたい時期に、代表の合宿では体づくり」を行い、ハードな筋力トレーニングで体を大きくする必要があった。肉体的に疲労がたまり、けがまで誘発してしまう。また、代表であるとともに早大バスケ部の一部員である。だからこそ、「チームのことを考えたら、ずっとチームにいて、(4年生として)チームを引っ張っていった方がいい」。そんな思いが中田を追い詰めた。そう思わせたのは、3年時の思いだ。チームの中心選手で、得点を稼ぐ上で自分が必要であるとわかっていた。しかし、「代表のためにチームから離れなくてはならず、そして最高のコンディションでインカレを迎えられなかった」ことがインカレで負けることにつながったのではないかと思い、「チームと一個上の先輩方に対して悔しさと申し訳なさを感じた」。だからこそ、4年生では、チームに対してもっと貢献したいという思いが強かったのだ。

 チームに専念しきれない葛藤は4年生になっても解消されず、A代表候補になったことでさらに深まってしまう。中田が目標としてきた『日本一』。そこを目指している早大の練習、合宿にもあまり参加できず、チームで行う苦しいランニングトレーニングも経験できなかった。そして、「チームスポーツは、苦しいことをみんなで乗り越えて固まるという面があるのに、それができなくて周りと自分には何か違っているのではないか」とまで思い詰めた。「自分は代表がきつかったし、しんどかったが、それは一人のこと」。『日本一』を目指しているからこそ思い悩んだのだ。4年の同期に対する申し訳なさは「本当に代表に行くことを快く思っているのかな」という感情まで起こさせる。それでも、同期の「いってらっしゃい、頑張ってね」という言葉に励まされたのも事実だ。その言葉を力に代表で粉骨砕身した。

 関東大学女子リーグ戦の途中にチームに再合流。インカレ制覇に向けて、ようやくチーム一体となって練習ができるようになった。代表の学びをチームに伝え、目指してきた『日本一』に挑む。だが、思い通りにはならなかった。けがだ。これまでチームに貢献しきれなかったからこそ、余計に申し訳なさが募る。不完全燃焼で早大バスケ部での生活を終えることになってしまった。

 早大で得られたことは「自立性」だという。毎日指導するコーチがいないからこそ、「やらされるのではなく、自分たちがアクションを起こさなければ何も始まらない世界だった」。だからこそ、それは「バスケだけでなく、人として成長できたし、学べることは多かった」。4年時は「やり直したい。もっとできたはず」と振り返るほどつらいものだった。誰よりも悩み、誰よりも質の高い経験をしたのだ。それでも、話す中田の表情は晴れやかだった。今後も中田は競技生活を続ける。インカレで負ったけがからの復帰を目指し現在トレーニング中だ。長く付き合っていくことになるけがだが、悲観していない。「(インカレで)燃え尽きることができなかったからこそ、次につなげたい」。大学で悩みながらも得た経験、自信、持ち前の明るさを持ってさらなる高みへ進み続ける。

(記事 永田悠人、写真 瀧上恵利)