【連載】『平成29年度卒業記念特集』第13回 小島由希子/女子バスケットボール

女子バスケットボール

チームのために

 「ベンチから良い流れをつくる」。その言葉通り笑顔とチームを大切に思う気持ちでチームを引っ張ってきた小島由希子(教=岩手・一関学院)。ケガやチームづくりに苦戦しながらも、チームのために駆け抜けたバスケットボール生活を振り返った。

 母や兄がやっていた影響で始めたバスケットボール。小学生の頃から膝のケガに悩まされ、高校では国体前に同じポジションの先輩と同時期に前十字靭帯を切り、1年生ながらに申し訳ない気持ちが大きかったという。大学進学にあたって、将来の夢のためにバスケットボールを続けるか悩んだが、大学でバスケットボールをやっていない自分が考えられず、縁もあって早大のバスケットボール部に挑戦する道を選んだ。

  早大バスケットボール部の門を叩いてから最初の1年はついていくのが精一杯で、しかし同時に自分を変える色々なきっかけに出会う年となる。高校までは恵まれた体格のおかげもあってか何となくでも通用してきたプレー。それが大学では通用しなくなり、監督に「頑張り方を知らない」と厳しい言葉をかけられる。初めはショックを受けたが、その言葉が練習方法など自分のやり方を変えるきっかけとなったという。また、全日本大学選手権(インカレ)で早大が優勝を果たしたこの年、小島にとって4年生の存在が大きかった。インカレ前にケガをしたある4年生がチームのために何ができるかを考える姿がとても魅力的に映り、後に小島もチームのために何ができるかを考えることが自分の原動力になった。しかし2年次は「4年生が日本一にならなければというプレッシャーのなかチームづくりに苦戦するのを見ながらあまり支えることができなかった」。3年次は「後輩へのアプローチを考えるようになったが結局は4年生に支えられていた」と小島は振り返る。

自分なりのチームの引っ張り方を模索し続けた小島

 最終学年は最も苦しんだ年となった。小、中、高とキャプテンを務めてきた小島は大学でもキャプテンを任されることになる。今まではプレーでチームを引っ張ってきたが、大学では試合に出る機会が少なく、どのようにチームをまとめたらいいのかわからなかった。しかし「それぞれいいところがある同期と積極的な後輩に支えられみんなでチームを作ることができた」と小島は語る。自分たちが経験させてもらった日本一のマインドを後輩にも経験させてあげたいという気持ちで掲げた『日本一』の目標。そのために日々練習を重ねた。迎えたインカレ、後輩の4年生を試合に出してあげたいという思いで2回戦目には4年生が全員出場。しかしその翌日、3回戦目にして『日本一』の目標は途絶えることとなった。「申し訳なさそうな顔でコートから戻ってくるチームメイトを見て、この悪い雰囲気をどう打開したらいいのかが難しかった」と振り返った。インカレ最終戦、結果は負けてしまったが早大は最後まであきらめず、チームみんなで声を出して楽しくワセダらしい試合を見せた。

 小島は「バスケットボールに人との関わりや頑張り方など色々なことを教わった。バスケットボールがあって今の自分がある」と話してくれた。小島の自分のことよりチームやチームメイトなど他人のことを一番に考える姿勢は次の舞台でもきっと自身を輝かせてくれるだろう。

(記事 阿部かれん、写真 下長根沙羅)