関東大学リーグ戦(リーグ戦)で57年ぶりの優勝、全日本大学選手権(インカレ)では1974年以来の準優勝に輝いた早大。昨年は2部に所属した早大の歴史的快進撃は早稲田旋風と称され、大きな注目を集めた。その早稲田旋風の軸となったのは、近年の大学バスケで類を見ないほどの攻撃的なスタイル。今回は、早大がこの超攻撃的バスケットを生み出すまでの物語を紐解く。

きっかけは2つの変化
今年の早大は、前年から2つの大きな変化を経て新シーズンを迎えていた。
1つは倉石平HC(昭54教卒=東京・早実)のヘッドコーチ復帰だ。昨年の早大を率いた三原学現コーチ(平15スポ卒=東京・安田学園)はセットプレーを多用するスタイル。一方の倉石HCは流動的なオフェンスを重視しており、チームの攻め方は大きく変化した。
2つ目はビッグマンの卒業だ。昨年のスタメンを務めていた石坂悠月(令6スポ卒)を筆頭に、3人のセンターがチームを去った。ビッグマンと呼べる選手は身長195センチのC初宮嘉一(スポ4=東京・頴明館)以外におらず、次点は身長191センチのF松本秦(スポ1=京都・洛南)。早大は半強制的にスモールラインナップでの戦いを選ぶことになった。
しかし、春は今のようなスタイルで戦っていた訳ではない。3P成功数こそ大会トップであったが、当時のオフェンスはG岩屋頼(スポ4=京都・洛南)とF堀陽稀(スポ4=京都・東山)の2人が中心。その他の選手のペイントアタックは現在に比べると消極的であり、オフェンス停滞や単発的なシュートが目立った。5月の関東大学選手権では日体大と中大に破れ、7位フィニッシュ。一定の手応えは感じる一方で、関東一部との力の差を感じる大会でもあった。

当時は、ほとんどの試合でスタメンにF藤山拓翔(スポ2=新潟・開志国際)を5番として起用。対留学生のマッチアップやスクリーナーとしての役割など、一般的なセンターとしての働きを期待されていた。また、春は快進撃の立役者となったG下山瑛司(スポ3=愛知・中部第一)がベンチスタート。下山の高速ボールプッシュから速攻につなげる展開は今ほど多くはなかった。
チームが一転した夏
転機は夏に訪れた。「自分たちが得意なことを整理した」と倉石HC。選手全員が高い突破力とシュート能力を兼ね備える状況を生かし、今や早大の代名詞となった超攻撃的スタイルをつくり上げた。その3本柱となったのが、①個人技での打開②3Pシュート③速攻だ。
変革の上で、春のスタメンのうち3人が戦線を離脱したことも大きな要因となった。
G城戸賢心(スポ3=福岡第一)は6月の早慶戦前に膝を負傷。城戸のプレータイムは、春にほとんど出場機会のなかったシューターのG堀田尚秀(スポ4=京都・東山)やG高田和幸(スポ4=京都・洛南)に与えられた3Pシュートを積極的に放つスタイルへの変化につながった。
また、岩屋と堀も8月に3×3の世界大会でチームを離脱。メインガードを下山が務め、1対1を仕掛ける役割が他の選手に増えた。積極的に走り、3Pシュートを放つスタイルはこの時チームに残された選手たちにマッチ。倉石HCが「思いっきりいけるやんちゃな子たち」と評するメンバーが早稲田の攻撃的スタイルを確立した。

早大がこのスタイルに行き着いたことは、今となっては必然のように思える。全員が十分な個の力を持つオフェンス力を持ち、PGには速攻を量産するスピードスターの下山がいた。さらにはスモールラインナップの肝となるビッグウイングにも三浦、堀、松本といったタレントが集まり、シュート力も抜群。早稲田の超攻撃的バスケットはタレントと戦術がこれ以上ないほど合致した運命的なものだった。
オフェンス面に注目が集まることが多かった早大だが、ディフェンス面についても触れていきたい。今年のディフェンスシステムはほぼ常にオールスイッチ。相手にピックからの隙を与えず、スイッチ後の対ハンドラーでは機動力のあるウイングの松本や三浦が奮闘した。サイズのミスマッチを突かれると、積極的なダブルチームで対応。カードによるミスマッチをフォワードによるオフボールスイッチで緩和する流動的なディフェンスも光っていた。失点数はリーグ最多であったが、失点効率を示すディフェンスレーティングはリーグ5位。早大はディフェンスでも完成度の高いチームだった。
秋から始まった「早稲田旋風」
リーグ開幕戦は白鷗大に3P攻勢で快勝。この試合で勢いをつけた早大は勢いそのままに、1巡目を10勝1敗で終えた。当初は外のシュートに勝敗が左右されるギャンブルチームだと思われていたが、2Pのスコアリングも徐々に際立っていった。その筆頭となったのは三浦健一(スポ3=京都・洛南)た。リーグ前半戦はシュートスランプに陥ったものの、リムアタックやミドルシュートの技術が日に日に向上。外のシュートが入らずオフェンスが停滞する場面では、しぶとい得点でチームを支えた。
後半戦も早大は勝利を重ね、迎えた東海大との頂上決戦。勝てばマジック1、負ければゲーム差なしとなるこの試合、早大は今季最高のパフォーマンスを見せた。注目は身長206センチのムスタファ・ンバアイ(東海大2年)に対するディフェンスだ。高さで劣る早大は轟琉維(東海大2年)によるポストフィードをカットし続け、ムスタファにボールが渡った時はダブルチームを仕掛けてターンオーバーを誘発。オフェンスでは3Pシュートを高確率で沈め、110-90の大勝を収めた。翌日の明大戦でも早大は勝利を収め、57年ぶりのリーグ優勝を達成。追求し続けた攻撃的バスケットが最高のかたちで身を結んだ瞬間だった。

インカレは早稲田のスタイルを貫き決勝戦にまで上り詰めたが、勝負の一戦で白鷗大に敗戦。シュートタッチに苦しんだほか、相手のオフェンスリバウンドから数多くの失点を許した。「あれだけリバウンドを許すとうちの良さは出ない」と倉石HC。シンプルながら最大の弱点を最後の試合で露呈した。
それでも、今年の早大が成し遂げた偉業は色あせない。独創的なスタイルは大学バスケ界の常識に風穴を空け、見る者に大きな衝撃を与えた。倉石HCは「うちはガラスのチーム」と評するが、20勝2敗でのリーグ優勝、1974年以来のインカレ準優勝は立派な成績だ。
奇跡の110日間
「降格しないように頑張ります(笑)」。今年3月、チームスタッフの1人は笑顔で私に話しかけた。以前は誰もが想像できなかった頂点の景色。リーグ序盤は選手も早大の快進撃に懐疑的であった。それでも白星を重ねることで徐々に自信を持ち、勝つことを当たり前に感じるチームになっていった。インカレのインタビューで「絶対に優勝を取る」と語った松本。その姿は、リーグ戦前より遥かに堂々としたものだった。
今年の大学バスケ界に巻き起こった史上最大の早稲田旋風。早稲田のバスケットは人々を魅了し続け、歴史に新たな1ページを刻んだ。早大が歩んだ奇跡の110日間が、皆の心に残り続けることを願いたい。
(記事 石澤直幸)