【野球】小宮山悟監督が退任会見「教えは『一球入魂』しかない」/記者会見全文

野球

 11月30日付で任期満了で早大野球部の監督を退任する小宮山悟監督(平2教卒=千葉・芝浦工大柏)が、8月31日午後、大隈会館で会見を行った。

 小宮山監督はまずリーグ戦が始まる前に退任の話題を出したことについて、「私(小宮山監督)が監督になる時も同様で、次誰だ、という話が学生たちにどれだけ影響があるかということを、メディアの皆さんがきちんと理解できていないのではないか」と述べ、学生への影響を考慮し「雑音をシャットアウトするという目的」でリーグ戦前に全てを公表することにした、と明かした。

 退任については「任期満了の以上でも、以下でもございません」と言い、最後となる秋のシーズンについて、「最後のシーズン、部員の力の全てを集結してですね、頑張ろうと。」と決意を言葉にした。

 会見の後半に行われた質疑応答では、知られていない選手が活躍することを「指導者冥利に尽きる」と言い、特に春の早慶戦で2本塁打を記録した霜結太(国教2=アメリカ・マクレーン)を挙げた。

 在学中からの早稲田の教えである「一球入魂」を学生に植え付けてきたという小宮山監督。「ちょっとやそっとじゃへこたれない連中」と語る部員を率い、小宮山監督にとっても4年生にとっても最後となる秋季リーグ戦で天皇杯奪還を実現したい。

◆小宮山悟(平2教卒=千葉・芝浦工大柏)

ーー8年間で最も印象に残っている試合、采配、シーズンは

 一番って言われるとちょっと困るんですけど、やっぱり3連覇ってなかなかできることじゃないので、3連覇を決めた優勝決定戦はそれなりに思い出がありますね。個人的にはやっぱり「樹(伊藤樹、令8スポ卒=現楽天)のノーヒットノーラン」ですかね。あの回、寺尾(拳聖副将、人4=長野・佐久長聖)のファインプレーでピンチを凌いで、裏の攻撃の時に「お前らこれで点取ったら、樹のノーヒットノーランもオマケについてくるんだから頑張れよ」ってハッパかけたら、サヨナラで勝てたので。試合で言うとその試合が一番印象に残ってますかね。采配で言うと、就任した一番最初の東大戦です。これは加藤主将(雅樹、令2社卒=現東京ガス)以下全員に「今日は俺は何もしないから、お前ら自分たちで考えて野球しろ」って言って、大勝した試合です。これはやっぱり采配で言うと「何もしなきゃ勝てるのかな」という感じで印象に残ってる試合です。

ーー天覧試合はどのような思い出だったのか

 天覧試合に関しては、これもリーグ戦の範疇を超えてると思ってます。本当に人生の中で、ああいう厳かな雰囲気の中で試合をすることは、そう何度もあるもんじゃないと思いますし、ましてや強い慶大に対してあまり思い通りにならなかった早大が最後、意地を見せて勝てたというところが、もちろん学生にとっても大きな試合でしたし、稲門の皆さんにとっても、「早稲田ここにあり」ということを示すことができた試合でもあります。とにかく陛下の試合中に我々に対する温かい眼差しと言いますか、そういうものを目の当たりにして、本当に身体が震えるような試合でした。エピソードで言うと、ずいぶん前から試合の進行も含めて我々に連絡がありまして。もちろん慶大側も承知してたと思うんですけど、試合中に整列してお出迎えをし、試合が終わった後も同様にマウンドの横で整列してお見送りをするという、このお迎えとお見送りのルールだったはずが、試合終了直後にダグアウト前に整列してる。その時はルールが急に変わるのはちょっと考えにくかったので、何が起きたのかなと思ったんですけど。よくよく考えると陛下が、勝った早稲田に一塁側を向いて一礼、で拍手。で、負けた慶応に一礼して「よくやりました」みたいな拍手をしてた。これを横一列に並ぶと出来なかったと考えた。双方に対してそういったお気持ちを表していただいたということですね。これは後々わかったことなんですけど。まあ、なかなかそんなことしてもらえるなんてのはないと思ってますので、今時の学生がそれをどう感じたか分からないですけど、個人的には何とも言えない、人生の中で数えるほどしかないありがたい思い出だったというようなことですかね。なのでリーグ戦とはちょっと違った感想ですので、天覧試合は別物という扱いです。

ーーこの8年間、何を早大野球部に残せたのか

 在学中からですね、早大野球部の教えは「一球入魂」しかないと思ってます。それを今の学生に植え付けるのが仕事です。前会長の望月さん(故望月博氏、昭46卒)から監督を託された時に、「低迷してる野球部をなんとかしろ」と(言われました)。個人的にはとても低迷してるとは思ってなかったのですが。つい数年前には春秋連覇で選手権もとって、神宮大会準優勝という華々しい成績を残してた野球部ですから、その野球部を低迷してるという言い方をされるということの方が、ちょっとおかしな感覚だなという風に思ってたんですけど。ただ中に入ってみて、学生たちのその練習してる様を見た時にですね、「こりゃとんでもねえな」と。「なんとかしないと本当に早稲田の野球がダメになる」と痛感しましたので、そこを襟を正して、失礼承知で言うと勝った負けた度外視して、まずは早大の野球部員として世の中に対して恥ずかしくないような、そんな部員にしないといけないと感じました。そこから始めて8年で、ある程度のところまでたどり着いたという自負はありますが、所々まだ問題が見え隠れしてますので、おそらく何年たっても思うようにならないんだろうなという気はしてます。だからと言って匙を投げるのではなく、ちゃんとした指導をして、学生たちが世に出た時に「早稲田の野球部で学んだことは何なんだ」と周りに聞かれた時に胸を張って、「これこれこうです」ということが答えられるような、そんな部員にしないといけないと思い、毎日戦っております。

ーー昭和と今の学生野球の違いは

 比較する物差しが自分が学生時代どうだったかっていうところしかないので、これが合ってるかどうか分からないですけども、当時に比べると、今の学生の方がはるかに「学ぶ」ということはできていると思います。と言っても今はネット社会ですから、ワンクリックでいろんな情報が得られ、知りたいと思うものが簡単に手に入る時代ですから、それを手にして色々と考えながらやってるんでしょう。で、当時と比べて足りないのは我慢強さです。歯を食いしばるっていうことができない連中が多すぎるので、そこの部分をなんとかしてやろうとして指導に携わってきました。それがいいのかどうかとなると、なかなか難しいんですけど。独りよがりと言われればそれまでなのですが、早大の野球部っていうのはその辺の野球部と違うんだと。ましてや大学の中にあるサークルと同じようなことじゃダメなんだと。ヘラヘラ笑って楽しく野球したいんだったらここを去れと。志を持って神宮の舞台に早稲田のユニフォームを身にまとって早稲田のために頑張るという思いのあるやつは、歯を食いしばって頑張れば野球の神様がきちんとそれなりのことはしてくれるはずだと。その気持ちがない奴は居てもらっちゃ迷惑だから、俺の目の前から消えろというぐらいのことは彼らに言ってますので。なので、彼らに罵声を浴びせるようなことも多々ありましたけど、それも彼らにとっては真剣に神宮の舞台に立ちたいという思いがあるんだったら、そんなことにへこたれてる場合じゃないので。世の中的にそれがパワハラになるのかもしれないですけど、でも言葉をかけた連中にしたら、歯を食いしばり「今に見とけよ」っていう負けん気が培われる、そういう瞬間だと思ってますので。それで言うと、まあ7年半が終わって最後の1シーズン残ってますけど、ちょっとやそっとじゃへこたれないぐらいの連中になりつつあるとは思います。さすがに4年生はもう4年の付き合いになりますが、1年生はまだ半年しか付き合いがないのでそこまでまだ思考がたどり着いてないのかもしれないですけど。ただ早稲田の教えてっていうのはそういうもんだと入部した時に彼らには伝えてるので、ちょっとやそっとじゃへこたれないという前提で鍛えて教育してるつもりでやってました。

ーー7年半監督をする中での変化は

 特に変わったというつもりはないです。1年目から変わらず情熱を注いできたつもりではありますけど、1年1年やっぱり嫌でも年はとるので、同じようなことの繰り返しをしていると多少熱量が落ちてきたという感じは無きにしもあらず。さらに言うと、やっぱり3連覇って劇薬なので、余韻に浸るつもりはなかったですけど、心のどこかでやっぱりなかなか成し遂げられない3連覇を達成したということの満足感みたいなもの、さらに言うと過去に野村さん(故野村徹元監督、昭36卒)しかやってなかった4連覇目指して、っていうあの夏がおそらく指導者としての最も熱量の高かった時期かなと思いますね。その秋、優勝逃して、ちょっと全身の力が抜けた感じが自分の中にもありましたので、残念ではありました。

ーー今後のビジョンは

 基本的にはずっと野球をしてきて、そして野球で飯を食ってきた訳ですから、野球以外のことで飯を食おうという気持ちはさらさらないので、野球に関する何かをしようとは思ってます。具体的に今日の段階では、全く何もない状態です。ただ、周りで何か色々動いてる可能性はゼロではないので、それはどうなるかはまだ分かりません。さらに言うと最後のシーズン中に将来云々っていうことを公表するっていうのは、これも失礼な話なので。次何をやるのかが決まればその時改めてシーズンの終わった後、直近だと11月28、29日の甲子園のオール早慶戦が最後の指揮ということになりますので、大阪(※発言ママ)で公表できれば、と思ってます。常々口にしてますけど、オファーがあれば考えるというスタンスには変わりはないので。8年前監督に就任する際もですね、望月会長から「次お前やれ」と。全く何も決まってない状況だったと思います。その状況で二つ返事で「わかりました」という返事をした後で、そこからおそらく野球部のOBの中で意見をまとめて、当時の川口部長(川口浩、昭49政経卒)のところに「後任小宮山で」ということでお話を持っていって、管理委員会、理事会に諮って監督が決まるという流れだったと思います。改めて川口先生の方から呼ばれてお隣のリーガロイヤルで面談をしてですね、「監督をOB会の方から推薦されましたのでお引き受け願えますか」という質問があって、「喜んでお引き受けいたします」という話をさせてもらいましたので。今回も同様に、小宮山を必要としてくれるところがあれば、オファーしていただければその時に考えましょうというスタンスでおります。

ーー故石井連藏元監督(昭30卒)が存命だったら、報告の会話はどうだったと思うか

 石井さんの前で報告となると余計なことは多分言わないので、「11月30日をもって退任いたします」という報告のみだと思います。石井さんの返答は、「秋のシーズン残っているから頑張りなさい」と。おそらくそこで「もう勝たなくていいんじゃないかな」と(言われると思います)。なぜなら勝っちゃうと石井さんの優勝回数を抜いてしまうので(笑)。「同じくらいにしておいた方がいいんじゃないかな」くらい洒落のきいた返事をすると思います。

ーー今後、早大野球部や早大をどう見守っていくのか

 他のOBと同じように稲門倶楽部員として全力でバックアップするつもりです。迷惑にならない程度にね。

ーー早大のユニホームについてどう思うか

 選ばれし者しか身にまとうことができない早大のユニホームということで言うと、試合に出る者たちはそれ相応の覚悟を持って神宮の舞台に立つということなんでしょうけど、どちらかと言うと普段の上から下まで真っ白のユニホームというのが早稲田の伝統みたいなものです。その白いユニホームが泥で汚れてっていう時代と違って、今は人工芝になって、そこまで汚れなくなってしまったので寂しい感じはします。ただそうは言っても、下級生の連中の本当に必死になってくらいついてる姿であったり、4年生になって要領を得てある程度のことを難なくこなせるようになって、「1年生のときはとんでもなかったのにな」みたいなことを思い返すような日々が、ここ数日、退任が決まって考えるようになりました。

ーー監督冥利に尽きる瞬間は

 誰も知らないような選手を使って活躍してくれたときです。まあ、直近で言うと霜ですかね。早慶戦まで誰も知らなかったのに、いきなり使って、初打席で先頭打者ホームラン。そして翌日、代打ホームラン。しかも陛下の見てる中で天覧ホーマーです。その試合、德丸(快晴、スポ2=大阪桐蔭)も打ってるんですけど、德丸のときはまだ陛下がいらっしゃってなかったので(笑)。これは天覧ホーマーとして認めないということで本人に伝えてます。ということで言うと、霜みたいな選手(が活躍した時)ですね。この夏、神奈川連盟77周年の記念試合に招待されて、六大学連盟で行った時、德丸と寺尾はちょっと体調不良で試合出れないので外野手を補充しないといけないっていう時に、指揮を執る堀井監督(慶大監督)に確認をしたところ、「まあ、横浜だから阿部(葉太、スポ1=神奈川・横浜)で行こう」と。そして「霜でいいんじゃないか」と言ってくれたんですけど、霜に関しては早慶戦しか出てないので、他の4校は「誰だそれ?」って感じなんですよ(笑)。こんなインパクトを残してくれるような選手が、普段の練習を見てて、「なかなかこいつ良いもの持ってるな」って判断したときに抜擢してそれに応えてくれたときは指導者冥利という感じはします。

ーー「早稲田」を一言で表すと

 早稲田を意識して早稲田を目指したのが高校1、2年。そのぐらいから始まるんですけど、残念なことに受験に失敗して2年浪人して何とか入学して4年間過ごしてプロに行って。野球をしながら晩年、現役でユニホームを着ながら空いてる時間に学ぶ、という機会が増えて所沢のスポーツ科学学術院の方に修士を取りに3年在籍し、その後岡村監督の時に特別コーチに就任して3年。で監督で8年。61年の人生の中で20年近く早稲田と関わりを持っていると考えると、ほぼほぼ早稲田のことが言えると思います。「いいところだった」という感想です。この会場に早稲田の方がどれくらいいるかわからないんですけど、早稲田の一番悪いところだと思うんですよ。早稲田バカと称されるような、そういうところが。でも早稲田だけで集まった時は、俺が一番バカなんだっていうバカ自慢をするっていう、それが早稲田の良さだと思いますので。俺も早稲田バカだなって思っています。早稲田ってそういうところです。

ーー早稲田を離れることで寂しさを感じる瞬間は

 これは指揮を執ることの残されたわずかな時間ということではなくて、寮の監督室の荷物をどうしようと。入ったことある人は分かると思うのですが、びっくりするくらい荷物があるので、これをどう処分すべきか、ということで頭を悩ましております。

ーー選手に退任を伝えたタイミングや、選手にかけた言葉は

 選手に特別言葉をかけてはいないです。報告に関しては、日野先生(愛郎部長、平10政経卒=東京・早稲田)が全部員を前に経緯の説明を含めて「この秋で退任する」ということを伝えました。いなかった部員に関しては、改めて日野先生から報告していただいた、と聞いています。で、翌日以降学生たちとの関わりはどうなるかって言ったら何も変わることはないので、学生たちも心得ていると思っており、安心しています。

ーー8年間で印象に残っている選手は

 普通に一生懸命やっている奴は普通なんです。ところが、桁違いに「こいつバカじゃないの?」っていうくらい一生懸命やる奴っていうのは、やっぱり記憶に残るので。それで言うと、こっちの責任もあるんだけど、森田朝陽(令6社卒)だよね。キャプテンでプレッシャーを感じすぎて、病に倒れてっていうことがあったので、こっちはちょっと申し訳ないことをしたなと。ただ、それくらい真剣に考えていた。これは一番。もう1人、土佐塾高校から来た、森田(丈士、令8人卒)。彼はオール早慶戦で最初で最後の打席に立って、ヒットを打ってくれました。野球の神様っているんですね。こいつがやっぱり一番、8年間の中でバカでしたね(笑)。これくらい言われたことを愚直にやり続ける、信じて疑わずにやり続ける姿勢。これは、本当に嘘偽りないです。
(三冠王は別ですか?という質問に対して)
 三冠王、誰かいましたっけ?その程度ですよ、三冠王は。そんなのは、野球舐めんなって話なんです。彼は偶然目の前にチャンスが来て、それを掴んだだけで。必死さで言うと、森田の爪の垢を煎じて飲ませてあげたいと思います。ただ結果的に、三冠王ということで、彼の人生が開けていくだろうし。彼にとっては、一生の宝物になっていると思いますけどね。

※三冠王とは今井脩斗氏(令4スポ卒)のこと

ーー選手として着たユニホームと、監督として着たユニホームで重みに違いはあったか

 監督としての方が相当重たいですね。学生の人生を扱ったようなところがあるので。思うように、世に出せなかった連中が多々いますので、その連中に対して申し訳ないことしたなという気持ち半分と、「もうちょっとちゃんとやっておけよ」というね、その残念な気持ちと。その他に、もうちょっときつく厳しい指導をしたほうがよかったのかな、という反省もあります。常々口にしているのは、「自分の人生だから、てめえで何とかしろ」と。これも常々言ってますから。こちらとしては、良かれと思っていろんなことを教えてやる。その代わり、それが違うと思うんだったら聞かなくてもいい。その代わり自分の責任で、ある程度のところまでたどり着けるようにしないとダメだよ、というような指導をしています。

ーー野球をやってきた中で、運はどれくらい重要か

 それは人それぞれじゃないですか。神様に頼っているようじゃダメなので。自分に自信を持てるようになるまでやれるかどうか、という話ですよ。ただ振り返った時に、「運がよかったな」っていうことは多々ありますよ。俺はどちらかというと、強運の持ち主だと思っているので。周りの人と比べたら、遥かに強運だと思っています。だから、振り返った時にところどころで運の強さっていうのが自分で確認できるようなことがたくさんありますから。優勝を4回もさせてもらった。おまけに怒涛(どとう)の5連勝なんてあり得ないですよ。ノーヒットノーランからですから。明大相手にノーヒットノーランなんて今までどこの大学もやったことないのに、それができちゃった。しかもサヨナラで勝ったからできたという、そういう試合ですからね。それで言うと選手に恵まれた(ということが運を持っている)、ということじゃないですかね。

ーー小宮山監督が理想としている指導者とは

 基本的に全員が良い指導者だと思ってくれることはあり得ないと思っているので。ただ、全員が納得してくれるような話はしているつもりではいます。文句を言うやつがいるなら俺の目の前へ来いって言ってますから(笑)。そういう指導をモットーにしています。責任持ってやろうと思ったらブレちゃダメだと思っているんですよ。「言ったことが違うじゃないか」となると、一番教わる側が困る。そういうことのないようにということは、常にやっていました。本当に一番分かりやすいのは「一球入魂」、今目の前にあるこのボールをどれだけ魂込めて扱えるかということだけなので。気の抜けたことしたやつは、そりゃもう烈火のごとく叱りつけるということは、変わらずやってますね。そのあたりのところは、選手も怒られたら怒られたで、「ああ、やっちゃったな」という反省として受け入れられる。へそを曲げる奴がいないのは、やっぱり(自分が)やっていることは正しいなと思います。

ーー負けが続いたりして辞めたいと思ったことはあるか

 ないですね。きつくないから。俺がやってる(試合に出てる)訳じゃないから(笑)。それぞれやってるのは選手で、勝った負けたは、監督の責任じゃないよ。やるのは選手だから「負けないように知恵を絞ってやる」と。その代わり、その考えにそぐわないようなプレイをしたら、それは無理だぜっていう。なので、全てこちらの考え通りにやって負けた試合なんて一つもないです。できないから負けてる。じゃあできるようにしようよと言って練習してるんです。だから、きついことなんて一回もなかったです。

ーー監督と学生間で起用等の意見が分かれることはあったか

 それは選手が「こうしたい」と言ってきたので、「分かりました。じゃあやってご覧なさい。上手くいくわけないよ」という考えです。野球に関わる時間で言えば、彼らと比べたらどれだけこっちの方が経験を積んでいるんだって話じゃないですか。その経験則で測って、「こうするべき、こう答えた方が良い」という判断をしたことに対して、若造が意見をしたところで、そりゃあ無理でしょう。でも無理を承知で、言ってきたことに「君らがそう考えているんだったらそうしな」と。でも「結果上手くいかないはずだから」ということも伝えてやらせます。で、大概上手くいかない。「こっちの言う通りじゃん」って。そりゃそうでしょう。それでもし上手くいっちゃったら、俺がダメじゃんってことだから。その時は「辞めます」って話です(笑)。

ーー今後千葉ロッテマリーンズの指導者などに就任する可能性は

 それこそ現役引退の時にマリーンズサポーターに、「近い将来、このユニフォームを…」という話をさせてもらったんですけど、もうあれから20年近く経っちゃっているので。もう近い将来どころか、俺がロッテの選手だったか知っているやつなんて誰もいないと思うんですよ、マリーンズサポーターで(笑)。プロスピの解説者だと思ってるから(笑)。って考えると、まあまあ、タイミングを逃している可能性はゼロではないです。ただ、まああの時に口にした手前、その可能性があるんであれば、そういう準備もしていかないといけないだろうなとは言ってますけど。でも会社も変わっちゃったしね。

(取材 森若葉、写真 大竹瞭)