【連載】『令和3年度卒業記念特集』第3回 今井脩斗/野球

野球

苦境から掴んだ三冠王

 2021年10月31日、長きにわたる東京六大学リーグ戦(リーグ戦)の歴史に今井脩斗(スポ=埼玉・早大本庄)は戦後15人目の三冠王として名を刻んだ。昨年の秋季リーグ戦、優勝争いを繰り広げた早大打線をけん引していたのは間違いなくこの男だっただろう。そんな今井も初スタメン、初安打はともに4年春。決して注目されていたわけではなく、度重なる故障にも悩まされるなど、順風満帆とは到底言い難い大学野球人生であった。そうした中ラストイヤーに飾った有終の美。そこには活躍を支えた仲間の存在、そして今井なりの考え方があった。

 今井が早大野球部と出会ったのは少年の時だった。テレビで早慶戦を見ていた今井は、学生野球ながら観客で埋め尽くされている神宮球場に驚愕したと同時に、この大舞台への憧れを抱いていった。この憧れを実現させるために、早稲田大学に行ける正統なルートだと逆算をして高校は早大本庄に進学。3年夏の埼玉県大会は3回戦敗退。しかしすでに照準は大学に合わせていた。

4年生の秋季リーグ戦で開花した今井

 早大本庄を卒業し早大野球部に入部した今井は同期のレベルの高さを痛感した。特に徳山壮磨(スポ=大阪桐蔭)や丸山壮史(スポ=広島・広陵)といった甲子園でプレーをしていた選手の総合力の高さに圧倒されたという。しかし、「総合力では敵わないが、打撃、特に飛ばす力なら戦える。そこを評価してもらえる選手になろう」。そう決心した今井は、自身の武器に磨きをかけるために打撃を中心とした練習やトレーニングをする。「トレーニングでフィジカルを鍛えるというのは最重点に置いていた。誰よりもトレーニングに時間を費やしてきた自信はある。」学年が上がるごとに体は大きくなり、徐々に飛距離も伸びてきた。また、トレーニングの産物としてスプリント力もついた。

 しかし、2年秋にリーグ戦デビューはしたものの目立った活躍はできなかった。また、「ほかの人と比べてけがが多かった」と語るように、故障にも悩まされた。特に、4年春のリーグ戦直前にしたけがは、初めてスタメンで試合に出ることができるかもしれない状況だったこともあり、大学生活で最も辛かった時期だったと語っている。ただ、今井はここで腐らなかった。この期間に自分の内面と徹底的に向き合い、自身の心理的な弱さを知った。また、怪我の遅れを取り戻すために、以前からともに自主練習をしていた占部晃太朗新人監督(教=早稲田佐賀)との実戦形式の打撃練習を始める。これらが功を奏してか、復帰後の4年春の早慶1回戦ではリーグ戦初安打、翌2回戦でも安打を放つなどの活躍を見せた。

継続的なトレーニングで飛距離は大きく伸びた

 そうして迎えたラストシーズン、今井は開幕カードの立教戦はベンチから外れた。また、チームは連敗と出鼻をくじかれる。それでも東大1回戦から8番、スタメンで出場するとリーグ戦初本塁打含む5安打8打点。さらに圧巻だったのが明大1回戦。今井は大学野球を始めた時からの目標であった4番に初めて座る。序盤からリードを許していた試合展開の中、相手エースから2打席連続本塁打、さらに8回には適時打を放つ。そして最終回、二死と追い込まれていた状況で逆転の適時打を放ちチームを劇的な勝利へと導いた。この勝利もあり、最終的に早大は優勝こそ逃したものの、慶大との熾烈な優勝争いを繰り広げることができた。今井はこれらの活躍もあり、打率4割7分1厘、3本塁打、14打点という圧倒的な数字を残し三冠王に輝いた。ラストシーズンについて今井は、「自分が今までやってきたことに自信を持てるくらい積み重ねてきた。それで打席に立って迷いなく降った結果だと思う」と語る。

 今井は4年間強みを伸ばし続けてレギュラー入り、そして4番という自身の目標を達成してきた。この目標達成のためにともに自主練習をしてきた占部新人監督には「彼との練習があったからこの成績が残せた。彼には感謝しかない」と話す。野球は大学で区切りをつける予定だった。しかし、昨秋の活躍があり社会人の名門、トヨタ自動車から異例のオファーが届き継続することになった。「社会人でも4番に座り、ホームランを打ちたい。」今井はこう語る。神宮を沸かせた大器は、新たな舞台でも迷いのないフルスイングでアーチを描いていくだろう。

 (記事 田中駿祐、写真 山崎航平)