就任2年目を迎えた今年、元メジャーリーガー指揮官が真価を発揮し始めている。東京六大学春季リーグ戦(春季リーグ戦)では3勝2敗の3位となったが、黒星はいずれも延長タイブレークでのもの。確かな手応えを得ると、迎えた秋季リーグ戦でも5勝3分と好成績が続く。何と春秋通して、9回終了時点での敗戦が一度もないのだ。早慶戦でもその手腕に期待がかかる小宮山悟監督(平2教卒=千葉・芝浦工大柏)に、今季の振り返りや早慶戦への意気込みなど、ざっくばらんに伺った。
※この取材は10月30日に行われたものです。
「思い描いていたものに近い」
笑顔で取材に応じる小宮山監督
――今季の戦いをざっくりと振り返っていかがですか
引き分けの試合に関しては、「よくしのいだ」という試合もあれば「勝てたのにもったいないな」という試合もあるので、なかなか難しいとは思います。ただ負けていないので、これは評価したいなと思っています。首位の慶応と0.5ポイント差の位置にいるということで、0.5ポイントなんてあってないようなものなので、とにかく早慶戦で2つ取るというつもりでいます。ここまでは順調に、思い描いていたものに近いかたちでシーズンを戦えています。
――今お話にあった通り引き分けの試合も3試合ありましたが、「あの勝ち点は大きかった」、「あの引き分けは痛かった」など、いい意味、悪い意味でそれぞれ印象に残っている試合はありますか
展開で言うと、明治(2回戦)の引き分けに関しては、先制してそこから思うようにならなくて追い付かれてそこから完全に押され気味だったので、よく引き分けでしのげたなというのが感想。法政(2回戦)に関しては、先制して徳山(壮磨、スポ3=大阪桐蔭)があのようなかたちで打たれたのでかなりバタバタしましたが、結局もう一押しでひょっとしたらひっくり返せるというところまで押し返せたのが大きかったなと。立教(2回戦)の引き分けに関しては、打線が金縛りにあったような感じになっていました。立教戦の前に「残りの試合全部勝って優勝」「慶応をつかまえるには立教戦で2つ取らないと駄目なんだ」と選手に相当プレッシャーをかけて試合に臨んだ結果、プレッシャーに押しつぶされる状況になってしまったので、余計なことを言ってしまったかなというのはあります。伸び伸びとやらせていればひょっとしたらもう少し打線が機能したのかなという気はしました。ただどのみち早慶戦に勝たないという状況は最初から織り込み済みです。その優勝のかかった早慶戦を前に立教戦で必要以上のプレッシャーを彼らは経験したので、次の早慶戦では立教戦のように思うように体が動かないということはなく、普通にできると思います。
――投手陣について、早川隆久主将(スポ4=千葉・木更津総合)は申し分ない活躍を見せています。改めて投球を振り返っていかがですか
まああれくらい投げられて当然のピッチャーなので、特別驚きはないです。あれだけドラフト関係でいろんなところでいろんな人がコメントを出していて、「2年生までの状況ではこんなピッチャーになるとは思わなかった」みたいなことを口にしている方もいらっしゃいましたけど、毎日毎日彼の投げている姿を見れば能力が高いのは分かるので、試合の結果が出ていなかった理由はあるわけです。そこを何とかしてあげれば何とかなるだろうというのがありました。彼のアスリートとしての能力は桁違いなので、こちらの指示をしっかりと理解した上で、どうすればいいかも含めて完ぺきにこなした結果、あれだけのピッチングができるような素晴らしい投手になったということで、特別な驚きはないです。プロに行ってどの程度やれるかというのは、プロでまたいろいろな指導を受けるでしょうから、そこでしっかりと自分のものにできるかではないですかね。特別心配はしていないです。普通にやると思います、彼は。
――第2先発の徳山選手の状態についてはいかがでしょうか
夏の(春季)リーグ戦で好投して結果が出たと皆が捉えていると思いますが、2試合しか投げていないので、本物かどうかでいうと『?』でした。実はその前のオープン戦でも状態は良くなかったので。たまたま神宮で投げた時だけいいかたちで投げられただけだと考えると、その後の秋のリーグ戦に向けたオープン戦でも今一つ調子が上がってこなかったところがあって。本人も「肩の状態が心配だ」という口振りだったので、明治戦は先発を回避しました。その後調子が上がってきたということだったので(法大2回戦で)先発させたら、多少緊張感も手伝ってのことでしょうが、初回から思うような球を投げられていないということだったので、少し不安な感じはありました。ただ立教とのゲームでは持ち直してくれました。通常のリーグ戦だったら代打を出して代えるという状況ではないのでもっと長いイニングを投げられたのですが、点を取らなけらばならないということでやむなく代打ということでした。完全に復調したとは言い切れませんが、一時のひどい状態からは抜け出しているので、いいかたちで早慶戦を迎えられるだろうと思っています。
――徳山選手の特徴として低めへの制球力や直球のキレといったものがあると思いますが、そのあたりも本来の状態に戻ってきているということでしょうか
これはもうバッター相手に投げてみないとわかりません。投げている様を見ると良かった時の感じのピッチングです。彼はどちらかというと神経質なので、「何かおかしいな」と感じると、ああでもないこうでもないと投げながらぶつぶつやるタイプなのですが、そういったこともなく普通にブルペンでピッチング練習をしているので、大丈夫だと思います。
――救援陣についてはここまでいかがでしょうか
可もなく不可もなくという感じですかね。かたちとしてはそこまで点を取られていないのでまずまずという評価を与えていいと思うのですが、早川が長いイニングを投げてしまっているので、登板が思うようにできていないということでのストレスが溜まっているのかなという気がします。ただ、素晴らしい投球をしているピッチャーを代えてリリーフを出すということをする方が少し危険なので、いい状態のピッチャーをマウンドに置くというスタイルですね。
――ここからは野手陣についてです。1、2番の金子銀佑選手(教4=東京・早実)、吉澤一翔副将(スポ4=大阪桐蔭)について、打率こそ伸びていませんがそれぞれ犠打などで貢献は果たしているかと感じます。どう捉えていらっしゃいますか
吉澤が2番ということで、1番と3番のつなぎという仕事でいうとそれなりの貢献はあるのでしょうが、要求するものがもう少しレベルの高いものなので、合格点までは上げられないという感じです。金子に関しても、出塁こそすれど本来の思い切りのいいバッティングが影をひそめてしまっています。どうしても結果を求めるあまり考え込むきらいがあるので。泣いても笑っても最後なので、早慶戦にはそんな中途半端な思いではなくとにかく全てをぶつけろということで試合に臨ませるつもりでいますので、今までと違う活発な感じになってくれるだろうと思います。
――中軸の瀧澤虎太朗副将(スポ4=山梨学院)、岩本久重選手(スポ3=大阪桐蔭)、丸山壮史選手(スポ3=広島・広陵)についてはいかがでしょうか
序盤丸山が頑張ってくれていたのですが立教戦でブレーキになってしまったので、全体的に見るともう少し頑張っていてくれたらもっと楽な展開になったという感じはあります。ただ相手も中軸を抑えないと勝てないということを分かって投げてくるわけですから、そんなに易しいボールは来るわけがなくある程度苦戦するだろうというのはこちらも織り込み済みです。少ないチャンスをものにするというケースがいくつかあるので、そのおかげで今の位置にいるのだと思っています。
――1年生の熊田任洋選手(スポ=愛知・東邦)、野村健太選手(スポ=山梨学院)が打撃で活躍していますが、いかがでしょうか
いいかたちで打線の重要なところを担ってくれているなと思っています。欲を言えば、1年生だから仕方ないのでしょうが、もう少しデカい態度をとって野球をやってもいいのになと思っています。個人的にはね。
――福本翔選手(文構3=東京・早実)が勝負強い打撃を見せていますが、いかがですか
彼をレギュラー練習に抜てきした時に、思い切りの良さが際立っていたんですね。それを常に持ち続けることができれば、身体能力の高い子なのである程度活躍してくれるのではないかという期待を込めて練習に参加させていました。偶然オープン戦で相手が左投手の時に出番があって使ったところ、こちらが思っている以上の働きをしてくれたので、(リーグ戦でも)ベンチ入りのメンバーとして、大事なところでの左投手用の代打、もしくは左投手が先発ならスタメンでも行けるだろうということで使いました。それで結果を残してくれているので、来年以降もかなり期待していいのかなと。ただ、皆さん承知していると思いますが、走塁でのミスが多すぎる。これを改善しないといけません。走塁のミスというのは野球を知っているかという部分なので、もちろん野球の強い早稲田実業の出身ですが、そこまで細かい勉強をしていないのではないかと思っています。この秋を終えた後きっちりと細かいところまでたたき込めば、おそらく社会人のチームから声のかかるレベルの選手だと思っていますので、野球を続けてさらに野球の奥深さ、おもしろさというのを発見してくれればなと思っています。
「やっぱり早稲田の10番はこうでなくっちゃ」
――早川選手がプロ野球ドラフト会議で4球団競合の末東北楽天ゴールデンイーグルスに1位指名されましたが、そのような気持ちでご覧になっていましたか
こちらからはどうすることもできないので、静観するという気持ちでした。事前のスカウトからの話ではもう少し競合するだろうというつもりで待っていたのですが、外した時のリスクを考えて手を引いた球団がありました。5分の1、6分の1、7分の1でも確率があるなら勝負に行くべきだろうとは思っていましたが。
――早川選手を「20年に一人のサウスポー」と称されていましたが、それについてはいかがですか
僕の預かり知らないところで、失礼承知で言うと「お前誰だよ」という評論家の人が和田(毅、平15人卒=現福岡ソフトバンクホークス)と比較してどうのこうのという話をしているのを目にしたので。たまたま『10年に一人の野手』(近大・佐藤輝明)がどうこうと騒いでやっているけれど、『10年に一人』も毎年いるから(笑)。毎年いるのに何で10年に一人なんだという話なんだけど、それがあったので、じゃあ和田は17、8年前の選手なので『20年に一人のサウスポー』だと。そういう話です。
――監督に就任して最初に早川選手を見た時の印象を教えてください
(以前の)仕事柄、実は彼が高校生の時に投げている姿を見ていたものですから、その時の彼の能力を分かった上で、2年間の体たらくを実際に安部球場でピッチングする姿を見てなるほどとわかったので、お前は2年間一体何をやっていたんだと少し辛辣にこき下ろしました。その言葉と合わせて、本来の力をもってすればこんなもんじゃないと。改善しなければならない点を明確にしてあげて、彼がそれをきちんと理解した上で、そこをどうすればどうなるということも考えながらピッチングフォームを見直したところ、 そんなに時間がかかることなくすぐに効果が表れました。それで彼も聞く耳を持ったのだろうと思います。もちろん聞く気持ちは大事なのですが、聞いた後になおかつどうすればいいのかというのをきちんと理解した上で思う通りに体を動かせるかどうかが重要になってくるので、それもできる能力を持っているということで、本当にとびぬけた才能を持ったアスリートだと思っています。こちらから指摘したことに関してはすべてクリアしてある程度の者は出来上がったので、そこから先は自分で。研究心旺盛な男なので、いろんなことを試してということなのではないですかね。
――指摘した部分というのはどこでしょうか
リリースの位置が自分よりで強くボールを投げようとし過ぎていたので、それをなるべくキャッチャー寄りに手を伸ばすようにしてボールに正しいスピンを与えるように投げなさいと。軸足のつま先からリリースポイントまでが一直線になるように力を加えられるように体を使えということです。
――指摘する前まではリリースが後ろ過ぎたと
胸を張り過ぎて空を向いて投げていましたから。なのであごを引いて胸が右足の太ももにつくくらい前傾姿勢で投げるようにして、手を出しなさいということです。
――その指導の結果、早めに結果が出たのですね
11月の11日にグラウンドに来て指導が始まって、2、3日後にブルペンで投げているのを見て、これは駄目だなというのでその後説明をしました。翌々週くらいに大学日本代表の選考合宿があり、そこで見違えるようなボールになっていたという話です。僕はその場には行っていないのですが、3年生の金の卵を追いかけて見に行っていたスカウト連中が、東伏見に来て「早川すごかったですね。どうしたんですか」と。こっちは何のことやらさっぱりわからなくて(笑)。聞いたらスカウト連中もうなるようなボールを投げていたということなので、「何をしたんだ」ということになったのですが、こちらとしては特別なことはしていないので。本人に正しい体の使い方はこうだよというのを教えただけですから、それを短期間でモノにして結果を出した(早川の)すごさです。なので、その報告を受けた時に「こいつはいける」となって、3、4年の2年間で大投手になるはずだとその時点で確信しました。
――早川選手はほかの選手と比べても飲み込みが早いのでしょうか
人それぞれ良いところと悪いところがありますよね。なのでこちらからとして指導する際は、悪いところを直すために良いところを失わないためにどうしたらいいかということを考えてアドバイスをしています。そこで思うように体を動かせる才能を持っている子と、そうでない子がいる。これは仕方のないことです。その才能の無い子が壁にぶち当たって、必死になって努力していることこそが最も尊いことなので、学生は自分が目指すべきところにたどり着くまで死に物狂いでもがくということを前提にブルペンで指導しています。その代わり要領のいい奴、言われたことにすぐ反応できてしまう奴。これはある程度のところまではたどり着くけれどもそこから先は自分の努力です。さらにレベルを上げるためにはどうしたらいいか考えながら日々努力できるかという話です。それでいうと、現状早稲田大学野球部には才能はあるけれどもセンスのない奴が大半です。
――センスがないというのは、自分で考えられないということですか
いや、一生懸命やっているけれども、こちらが意図していることと違うことをやってしまうということです。頭で理解できていても体が言うことを聞かないというような連中が山ほどいるということです。
――早川選手が主将になって変わった部分はありますか
本人が「10番の重み」ということを口にしているからそれなりに変わったのでしょうが、こちらとしてはグラウンドでピッチャーとしての練習をしっかりやっている姿だけで十分なので、特別変わったという感じではないですね。ただ、彼が10番は本当に重たいものだという気持ちでマウンドに上がっているので、3年生までの姿とは見違えるほど立派なピッチャーになったと思います。
――自覚や責任を感じる部分はありますか
それはもう、あれだけのピッチングを見せてくれていますから。やっぱり早稲田の10番はこうでなくっちゃという話です。
――ドラフト会議後の取材で早川選手に早大で学んだことをお伺いした時に、早稲田の歴史や部訓などの言葉の重みを挙げていました。そのようなことも小宮山監督から指導されたのでしょうか
細かな指示は出していないです。僕が彼に言ったのは、卒業して世の中に出た時に、早稲田大学野球部の偉大さを痛感すると。その時に、4年間お世話になった野球部のことについて何も理解していないようでは恥ずかしいぞと。それこそ1901年から脈々と受け継がれているもの、それを(理解した状態で)世の中に出て、「だから俺は早稲田の野球部を出ているんです」と胸を張って言えるかどうかなんです。それを胸を張って言えれば、おそらく周りからも認められる人物になっているんだろうと思っています。僕なんかも卒業してプロに行って、いろいろなところに行くと、全国に「私も早稲田です」という人は山ほどいるんですよ。その次に来るセリフが、「○○と同じ代です」と野球部のOBの名前が出てくるんです。そのOBとして名前が出てくる存在に、彼はキャプテンとしてなったわけです。なので、お前はこれから野球部だけの話ではなく、早稲田全体の、2020年度卒業の稲門のみんなの代表になるわけなんだと。「僕は早稲田を出ています。ちょうど早川の代です」という目印になるわけですから、それを自覚した上で野球部について学べという話です。たまたま僕が野球部のキャプテンだった時、ラグビー部のキャプテンは清宮(克幸氏、平2教卒)ですよ。清宮はキャプテンとして全国制覇しているんだけど、我々の平成2年卒の代で「誰と一緒」という話になると、清宮ではなく「小宮山と一緒」という話になるわけです。だからこそ、野球部員として、キャプテンとしてちゃんとしろということです。
――早川選手のベンチワークや声出しなども目立っていますが、試合中の投球以外の部分についてはいかがですか
うるさい。
――えっ(笑)
(笑)、もともと野太くて通る声をしているので、ベンチの中央でひときわ怒鳴っているので、うるせえなあこいつと思って見ています(笑)。僕はどちらかというと黙って集中して野球を見る方なので。助監督(佐藤孝治助監督、昭60教卒=東京・早実)が横で試合中にミスが起きないようにコミュニケーションをしっかり取れ、きちんと会話をしろということを言っているんだけど、僕はそんな会話も必要ないくらいピーンと張りつめた集中した状況であれば何の問題もないだろうと思っています。今どきの学生がわいわいやるのはいいみたいなのでわいわいやらせていましたが、(早川の)投げていない時のやかましさ。夏の応援なしでやっていた時には際立っていたでしょう(笑)。ただこれはおそらくプロに行ったら静かになりますから(笑)、今のうちだけなので。
――確かに、応援がないこともあってすごく早川選手の声が通っていました
(まるで)あいつしか声出してないみたいな感じだったからね(笑)。
「一生の宝になるような2試合にしたい」
法大2回戦で救援登板する早川(左)にボールを渡す小宮山監督
――早慶戦に向けて、今どのような心境ですか
お互い優勝を懸けて戦うということで、今年は早慶6連戦から60周年の年で、当時指揮を執った両監督が同時に殿堂入りをして、こんな素晴らしいタイミングで早慶戦を行えることを喜ばしく思っています。さらには、一生でこんなにしびれる3時間を過ごすことはないと思うんですよ。その3時間を本当に集中して、一生の宝になるような2試合にしたいなと思っています。頭(1回戦)は早川でいきますから、早川で1つ取って、次の試合はしのいでしのいで継投で何とかというかたちで、最後に早川を投入して胴上げ投手というシナリオを描いていますので、そういうかたちにもっていけたらと思っています。
――今年の4年生のカラーはそう見ていらっしゃいますか
何て言ったらいいのかな、今どきの学生なので、僕らの時の学生とは違うので、まだ馴染めていないですよ。「ああそうなんだ、こんな感じなんだ」と。毎日助監督と顔を合わせて、「今どきの学生だよな(笑)」って喋っていますね。
――どのあたりでそう感じますか
下手すりゃね、監督のこと友達だと思っている奴がいますからね(笑)。我々の頃では考えられないです。
――距離の近さといったところでしょうか
距離の近さというのかな。威厳を保とうを言う気持ちはさらさらないですが、学生が大人を友達だと思っているのが解せない。その点が、自分の中で納得できるようになった頃には監督を辞めるんだろうなと思っています(笑)。
――先ほど早川選手の主将としてのお話を伺いましたが、吉澤選手、瀧澤選手のお2人については副将としていかがですか
野手のリーダーとして必死になっていろいろやってくれているのだろうなとは思いますが、最上級生なのでね。試合に出ている責任があるのでチームをまとめてということなのでしょうが、特別副将だからどうこうという感じではないですよ。4年生全員でチームをどうしていくかということを常にミーティングなどをしてやっていた連中なので。そういうことを後輩に引き継いで、今3年生たちも自分たちが最上級生になったらどうしようみたいなミーティングをしていますので、それがいい伝統になっているのだろうと思っています。なので、学年で『こうする』という部分についてはブレずにやってきた1年だったとに思いますね。
――先ほど早慶6連戦から60周年というお話がありました。先日、小宮山監督の在学中に安藤元博氏(昭37教卒、早慶6連戦で5完投の活躍を見せたエース右腕)がグラウンドに教えに来てくださったという話をされていましたが、その時のエピソードを教えていただけますか
東伏見に移ってきて、石井連藏(昭30商卒=第9、14代早大野球部監督)が2度目の監督ということで、1度目の監督の時の教え子の方たちが、入れ代わり立ち代わり毎日教えに来てくれたんですよ。その時に安藤元博さんがグラウンドに来て、我々弱体投手陣にいろんな指導をしてくださりました。石井連藏のすごいところは、お出ましいただいたOBの方に、練習着ですがユニフォームを用意していて、それを着せてグラウンドに招き入れていろいろとアドバイスをしてもらうということです。もうお年を召しているので体なんか動くわけなくて、でも動かないんだけれども、ユニフォームを着ると嬉々として、学生と同じような目線でいろんなことを語りだしてアドバイスをしていただいて。それこそ、安藤さんご存じないでしょうから説明すると、朴訥(ぼくとつ)とした喋りでね、ぼそぼそっと喋るんだけど、当時の石井さんが怖かったっていう話ばっかりなんですよ。「今の学生はいいなあ」みたいなことでね。「我々が学生だった頃は(石井氏が)若かったから大変だったんだよみたいな話で。そんな中にも、自分が学生だった時を思い出しながらね、懐かしんでいる感じがこっちにも伝わるわけですよ。それを見た時に、相当苦しかった練習だったのにも関わらずそれをいい思い出として語れる素晴らしさというのを感じました。それを安藤さん含めいろいろなOBの方から聞かされた時が、早稲田の野球部の歴史を感じる瞬間でした。極端にいえば投げるボールがなくなったら魂を投げろということを教わったんだという話なんです。飛田先生(穂洲氏、大正2法卒、『学生野球の父』として知られる)が言うところの『一球入魂』というのはそういうことなんだと。石井さんが安藤さんに「困った時にお前は何を投げる」という話をした時に、アウトコース低めにとかインコース高めにとか、御託を並べてるんじゃねえと。とにかく手にしているボールに魂込めて、しっかり放れという説明だと。それを聞かされた時に、技術なんていうのは二の次三の次で、本当に大事なのは気持ちなんだなということですよ。実際に学生の時に言い聞かせながらね、相手のバッターを見ながら、「何を待っているんだろう、ここが得意であそこが苦手で…」といったことを一応頭に入れているけど、最終的には「打てるもんなら打ってみろ」という思いで、ボールに自分の魂を載せて、ミットめがけて投げるという話です。それを実践すると、気がついたらドラフト1位でプロに行けて、なおかつ長いこと野球をやれて、アメリカでも野球ができてしまったという話ですかね。早川も同じように、あわよくばアメリカで見たいな思いも持っているようだし、さらに言うと、高校野球の指導者になるというのがゴールだという設定をしているみたいです。彼が引退して体が動かなくなっても野球に関わって、高校野球の指導者として甲子園に帰ってというようなことが実現できたらこれ以上の喜びはないですね。教え子のそういう夢みたいなものが実現できたとなるとこれはこれでうれしい感じはしますよね。
――最後に改めて、早慶戦への意気込みを一言お願いします
立教戦でのふがいない打線が早慶戦までの間にきちんと整備されて、びっくりするくらいの見違えるような打線になって、胃が痛くなるような展開ではない、のんびりと野球が見られるような、そんな勝ち方で優勝したいと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 池田有輝、山崎航平、山田流之介)
◆小宮山悟(こみやま・さとる)
1965(昭40)年9月15日生まれ。千葉・芝浦工大柏高出身。1990(平2)年教育学部卒業。早大野球部第20代監督。現役時代のエピソードをお伺いした際には、当時のことを丁寧にお話してくださった小宮山監督。安藤元博氏らとの会話を通じて、「相当苦しかった練習をいい思い出として語れる素晴らしさを感じた」という話が印象的でした。今年の早大ナインも、新型コロナウイルスの影響もあってたくさん苦しい思いをしたと思います。いつかそれも思い出話として、仲間たちと楽しく語らうことのできる日が来るといいですね。