【連載】秋季早慶戦直前特集『雪辱』第5回 八木健太郎

野球

 最後のシーズン、八木健太郎(スポ4=東京・早実)が変わった。不調により途中交代を命じられた開幕の明大戦から一転し、スタメンに復帰した立大2回戦からは、別人のように鋭い打球を飛ばしている。課題だった不安定さを見せることもない。不振を乗り越え前を向いた八木の目に、今映るものとは。

※この取材は10月20日に行われたものです。

「どうせ最後だしと思って」

気さくに取材に応じる八木

――最近は寒くなっていますが、練習ははかどりませんか

 雨ばっかりなので、屋内での練習が多いですよね。外でやりたいですよね。実践的なことはあまりできていないですね。外でやりたいです(笑)。残りも少ないので。

――具体的にはどんなことをされていますか

 屋内で守備基礎をやって、バッティングをやって。スローボール打ちとか、ミドル打ちとか、あとはトレーニングですね。

――今季の八木選手は開幕の明大戦で不調からスタートしましたが、その理由は今振り返ってみて何だと感じますか

 なんで打てなかったんですかね、そこは今でもよく分からないです。

――落ち込みましたか

 落ち込みましたね。悔しかったです。ですけど、やりことは変わらず毎日コツコツやって。いつか監督が使ってくれるだろうと思って、使ってくれた時に今度こそチームに貢献しようと思っていました。

――前向きになった理由はそう考えたからですか

 はい、そうですね。

――八木選手は落ち込んでもチームメートの皆さんなどにはあまり相談されないタイプですか

 そうですね・・・。まだ始まったばっかだったので、本当に分からなくなったりしたら親とかには相談しますね。親は小学1年生の時からずっと自分の野球を見てくれているので。神宮にも毎週来てくれますし。その時は相談しますね。

――ご両親は毎試合球場にいらっしゃるのですか

 そうですね、祖父母もいますし。

――以前、小さい頃はお父様と練習されていたと伺いましたが、アドバイスを受けたりするのはお父様ですか

 そうですね。小学2年生から中学3年生まで毎朝5時半に起きて朝練をしていたので。それでずっと見てきてくれているので。

――一番信頼しているコーチのようにも感じていますか

 あ、そうですね。

――立大2回戦でスタメンに復帰してから「自分のスイングができている」とおっしゃっていましたが、その理由はなんだと感じますか

 難しいなあ・・・(笑)。なんで自分のスイングができたかっていう理由じゃないですけど、立大2回戦で内野安打でしたけど1本目が出て、当てに行くバッティングじゃなくて、三振してもいいやと思っていた中のスイングでヒットが出て気持ち的にも少し落ち着きました。そこで吹っ切れたという感じですね。

――結果を気にしすぎないという気持ち的な変化でしょうか

 そうですね。どうせ最後だしと思って。

――前週の法大戦はいかがでしたか

 悪くはなかったとは思います。(盗塁でも)隙があれば走れたので。三振もしましたけど・・・まあもう少し打ちたかったですね正直。

――最低でも毎試合1安打が出ていますが気持ちとしてはいかがですか

 悪くはないかなと思います。

――以前はよく口にしていた「逆方向へのバッティング」という言葉を今季はあまり聞いていません

 最近対戦したピッチャーはみんな速いので、真っ直ぐも150キロ近いので。(球の威力に)負けてしまうんですよ。練習では逆方向を意識していますけど、実践では(バットの)ヘッドを返してセンターに強いライナーを打つバッティングに変えてみました。そっちの方が球に負けなかったですね。

――まず逆方向を意識すると、威力に負けてしまうということでしょうか

 全部が逆方向、と意識すると逆にダメになりますね。

――盗塁の方は「全然ダメです」とおっしゃっていましたが

 数が少なかったので。

――現在4個で、開幕前に挙げられていた目標は8個でした

 きついなあ(笑)。それはきついなあ(笑)。でも、行けるときは行きます!早慶戦では。

――打率や盗塁の成績はかなり気にされる方ですか

 しますね。盗塁は負けたくないですね。でも盗塁するためにはまず出塁なので出塁率もまず上げないと。あとは打率ですね。3割超えたいですね、今2割台後半ですけど。

――数字を気にしすぎる、とらわれるということはありますか

 そうですね。気にしないようにはしているんですけど、バックスクリーンに映ってるじゃないですか(笑)。すぐ目に入っちゃうので(笑)。

――八木選手はインタビューで「チームに貢献」という言葉が必ず出てきますが、その意識はやはり強いですか

 自分のやるべきことをやれば、チームに貢献できると思っているので。出塁率を上げること、隙があれば走ること。それをやればチームに貢献しているということで、できていなければ全然貢献できていないということになります。だからまずは自分のやるべきことをやる、それでチームに貢献、ということですね。

――ことしも一年ケガなく過ごされました。今までケガはありましたか

 大きなケガはないです。

――身体は強い方ですか

 ですかね・・・・。4年間ケガもしなかったですし、練習も休まなかったですし。

――1日も休まれていないのですか

 1回だけ腰が痛くて(練習)補助だけした日はありましたけど、多分それ以外は全部出てます。

――体調不良などで休まれたことはないのですね

 体調悪いな、本当にやばいな、という日もありますけど、絶対に練習は休んじゃいけないと思ってるので、毎回出るようにしています。

――身体のケアはどんなことをされていますか

 違和感があるなと思うときは痛む前に鍼灸院に行ったりとか治療してもらったりとかはしていますね。人一倍というほどではないと思いますけど。

「後輩は好きですね(笑)」

――ことしのチームはどんなチームだったと感じますか

 難しいな(笑)。個性豊かでしたね。みんな個性豊かです、4年生が。

――一緒に練習する方はいらっしゃいますか

 いや、決まっていないです。たまに小藤(翼、スポ2=東京・日大三)とか、加藤(雅樹、社2=東京・早実)とかとやったり、一人でやったりとか、マシンで打ったりとか。あとは暇な1年生を見つけてやりますね。

――下級生と練習することが多いですか

 下級生ですね。同級生とはしないですね。

――それは何故でしょうか

 みんな自分のリズムがあると思うので。4年生は例えば晋甫(佐藤晋甫主将、教4=広島・瀬戸内)とか宇都口(滉、人4=兵庫・滝川)とかも自分の練習があるし、自分もやりたいペースがあるし、という感じですね。

――改めて仲が良いと感じる選手はどなたになりますか

 大竹(耕太郎、スポ4=熊本・濟々黌)とかは仲良いですね。一緒に温泉行ったりとか。

――八木選手が普段の生活や練習を見ていて「推せる」と思う選手は誰になりますか

 ・・・長谷川寛(社4=宮城・仙台育英)じゃないですかね。一番練習していると思います、自分としては。

――下級生にしてあげたいと思うことはありますか

 してあげたいこと・・・もうないんじゃないですかね(笑)。まあご飯に連れて行ってあげたりとか飲みにいったりとかしてあげたいですね。

――「面倒見が良いタイプ」とお聞きしました

 そうですか(笑)?そうですね、後輩は好きですね(笑)。

――プライベートでもご飯に行かれたりされていますか

 いっぱいいますね。瀧澤(虎太朗、スポ1=山梨学院)、早川(隆久、スポ1=千葉・木更津総合)、小島(和哉、スポ3=埼玉・浦和学院)・・・。小島が一番多いのかな。一番ご飯行ってるんじゃないですかね

――部や野球の話もされますか

 そうですね、真面目な話もプライベートな話もします。

――今の4年生と比べてでも、下級生に感じる印象はありますか

 仲良いですね!特に2年生は仲良い学年だと思います。

――では、佐藤晋主将についてはどう感じますか

 優しい主将ですね。優しいキャプテンってあんま聞かないですよね。四年間の中で一番優しいんじゃないですかね。

――髙橋広監督(昭52教卒=愛媛・西条)についてはどう感じますか

 物静かな方ですね。熱い監督というわけではないです。自主性ですね、選手に任せる監督です。

――監督からの信頼を感じることはありますか

 あります。試合中に「頼むぞ」「いい感じだから頼むぞ」と言ってもらって。「ここで打たないとな」と思います。

――八木選手はどんな4年生になりたいと考えていましたか

 ・・・難しい質問だなあ(笑)。・・・ないですね、それは。

――以前は宇都口選手が「八木ははっきりものを言う人」とおっしゃっていました。チームメートの方々にはっきりと注意するようなことはありますか

 時間を守れなかったり、私生活の面で「ちょっと違うな」と思ったことは言いますね。気になったらぱっと言います。

「ワセダはいいですね、好きですね」

慣れ親しんだユニフォームを着るのも最後となる

――大学生活最後の試合が近づいています。改めてどんな4年間だったと感じますか

 1年生の時は上下関係もあり、(練習)補助もしましたし、朝の準備など1年生らしいこともして、本当にキツかったんですよ。メンバーにも入って、野球のこともやらなきゃいけないですし、1年生は1年生のやるべきこともあるから、整備や準備もありますし、遠征でも食器を準備するとか、体操で声を出さないといけないとか、大変だったですね1年生の時は。正直つらい時期でした。
 で2年生は、あまり使ってもらえずに、ずっとベンチにいて試合にもあまり出ていないですし、とても悔しい思いをした一年でした。
 3年生で試合に出て、そのうれしさであったり、悔しい思いをしたり。でも3年生なので、後輩もできて、気持ち的にも少し余裕ができて、3年生はすごい楽しい一年でしたね。
 4年は4年で・・・あっという間でしたね。良いところも悪いところも、結果が出た時も出なかった時もありましたし、本当に野球だけでした。順位も良くなくて、優勝もできなかったですけど、自分は早実からワセダに入って・・・ワセダに来て良かったなと思っています。ワセダはいいですね、好きですね(笑)。

――1年生の時のきつい経験は現在の糧になっていると感じますか

 あんまり言いたくはないですけど、高校の時の方がきつかったですかね。実際大学1年生よりも高校1年生の方がきつかったです。上下関係も、朝起きる時間も、勉強もありますし。きつかったですね(笑)。

――選手として1年生の頃から期待されることが多かったと思いますが、ご自身ではどう感じていましたか

 LINEも色んな人から来ますし、地元の方から連絡も来ました。「見てくれてるんだな」と思いましたね。プレッシャーもあったんですけど、ありがたいというか、うれしかったです。

――それを苦しく思ったことはありましたか

 いや、それはないです。

――「期待に応えなければ」と思うことはありましたか

 それはありましたね。もちろんありました。どちらかというと「見てくれる人がいるので頑張らなきゃな」と思いました。両親や祖父母も見てくれているので。

――下級生の頃はどんな4年間を描いていましたか

 1年生でベンチ入りして、2年生でレギュラーを獲ってやろうという気持ちでやっていましたけど、思った以上に試合に出られなかったので。オープン戦も全然出られなくて、つらかったですね、2年生の時は。新人戦のみ(笑)。あとは見てるだけでした。

――つまづいたと感じましたか

 そうですね。・・・このままじゃダメだなと2年生の時に思って、石井さん(一成前主将、平29スポ卒=現北海道日本ハムファイターズ)が行ってるトレーニングジムに行ったりもしました。使ってもらえる気配もなかったので、2年の冬に、3年生で絶対出てやろうと思いました。

――それで練習量が増えましたか

 そうですね。2年生の途中くらいから。

――実際に3年生からレギュラーに定着してからの気持ちはいかがでしたか

 変わりましたね。でも毎日コツコツ積み重ねていく、ということです。

――油断、慢心が出そうになったことはありましたか

 なかったですね油断は。外野の層は厚かったので。危機感は持ってやっていました。

――周りの選手がいらっしゃったからということでしょうか

 みんなうまいので。甲子園に行ってるし、ポテンシャルが高いですし。油断にはならなかったです。

――レギュラー定着後は良い時、悪い時を繰り返したと思います。そんな中でどう成長したと感じますか

 とりあえず我慢をすること、ですね。良いことがあったらその次は悪いことなので(笑)。安易に喜ばずに、いかにキープできるかというか。悪いことがあったら次は良いことがあると思ってやっていました。失敗ばっかりでしたけどね。あまりうまくいかない4年間ではありましたけど、これから先も野球をするので、ワセダの野球部で学んだことは、これから先も頑張っていきたいです。

――社会人に進まれてからはどんな選手になりたいと考えていらっしゃいますか

 走攻守。社会人はレベルが高いので、できるところまで(自分の)レベルを上げたいと思います。

――目標やモデルにする選手はいらっしゃいますか

 目標ですか・・・内川(聖一、ソフトバンクホークス)選手とかすごいですね。右にも打てるし、甘いボールはホームラン。すごい選手だと思います。

――入学当初は、いずれはプロでやれる選手にとおっしゃっていましたが、現在はいかがですか

 プロに行けるなら行きたいですけど、まずは社会人で行けるところまで頑張って、その先で行けるのなら行きたいです。まずは社会人で頑張ります!

――最後に軽く早慶戦のことについてお伺いします

 頑張ります、2連勝できるように。最後はいい感じで勝って、ワセダの野球部を気持ちよく去りたいです。

――早慶戦への思い入れは強いですか

 そうですね。やっぱりすごいですもんね、応援部とか。とりあえず早慶戦は特別なので、ケイオーだけには負けたくないです。

――現在のケイオーを見ていかがですか

 バッティングいいですよね。めちゃくちゃいいです。勢いもあって、向こうは優勝かかってる試合だし、こっちはビリになりそうな試合なので、負けられないですよねお互いに。頑張ります!

――意気込みをお願いします

 (ケイオーの投手を)みんな打ちたいです!・・・頑張ります!

――ありがとうございました!

(取材・編集 喜田村廉人)

7年間にわたるワセダでの野球人生で『有終の美』を

◆八木健太郎(やぎ・けんたろう)

1994年(平6)6月29日生まれ。176センチ、80キロ。東京・早実高出身。スポーツ科学部4年。外野手。右投右打。インタビューの前には「最後の取材か・・・寂しいですね(笑)」とやや感慨深げに言ってくださった八木選手。今回は今までで一番饒舌に話してくださいました。特に仲良しで『野球一家』だというご家族については興味をそそられる話ばかり!最後の舞台で、親孝行、祖父母孝行も兼ねた大活躍を期待しましょう!