【連載】平成27年度卒業記念特集『覇者たちの球譜』 第2回 河原右京

野球

部全員で積み上げた勝利、成し遂げた日本一

 なぜ3冠を達成することができたのか――。その問いに河原右京主将(スポ=大阪桐蔭)は迷うことなく答える。「それは、4年生のメンバー外の選手たちの力だ」と。チームが一丸となり、春、秋と東京六大学リーグ戦を制し、春には大学日本一まで上り詰めた早大野球部。その裏には、河原の信頼され続ける抜群のキャプテンシーがあった。

 言わずと知れた野球の名門校・大阪桐蔭高が河原の出身校。大学でも野球を続けたいと満を持して早大に入学した。全国から集まる甲子園のスターたちについていけるか不安もある中、1年生の頃から毎日自主練習を欠かさなかった。そんな日々の努力が実り、代打として出場した1年秋の試合では本塁打を放つ。徐々につかんでいった木製バットでの打ち方にもおごらず、「バッティングは水物だから」と磨いた守備は、いまや河原の代名詞ともいえる。さらに2年春には出場機会を増やし、3年時にはレギュラーに。プレーで学年を引っ張っていく存在となっていった。

 野球部の主将は毎年秋の早慶戦後、部員による投票で決まる。周りが自らを推薦してくれている、そう知らされた河原は覚悟と決心を胸に、自分に一票を投じた。強者ぞろいの4年生が引退し、新しいチームは正直弱いのではないか。そう周りから心配される中、髙橋広監督(昭52教卒=愛媛・西条)が就任し、掲げられた目標はリーグ優勝と日本一。「負けたら全部自分がたたかれる」。そんなプレッシャーの中、第105代主将に就任した。

背番号『10』にかなう存在になるためプレーでもチームに貢献し続けた

 主将は、部員と向き合い、話し合うことを怠らなかった。河原はメンバー入りをしていた1年時から、先輩たちの姿を間近で見てきた。そこで感じたことは1軍のメンバーとメンバーを外れた4年生たちとの距離が次第に離れていくという現実。自らが主将になる際、その現実を同期に伝えた。そして、部員を大切にする主将に、選手たちも応える。「練習の中でも声を出して盛り上げてくれたり、ボールボーイしてくれたり、ピッチャーだったらバッティングピッチャーをメンバー外の4年生がやってくれたり。すごく練習手伝ってくれて盛り上げてくれて。とても感謝している」――。河原の思いは確実にチームメイトに伝わっていた。

 「全員が一つにならないと勝てない」と春秋リーグ優勝、そして全日本大学選手権を制した早大野球部の主将は一年を通して感じた。大学在学中の目標であったプロ入りは惜しくも果たせなかったが、チームの調子が良い時も悪い時も部全体を見つめてきた河原の目はもう次を見据え、「2年後ドラフトに掛かることができるように力をつけ、そして社会人1年目からレギュラーを取る」と意気込む。歴史を刻んだチームを率いた主将が、次はどのような伝説を残すのか。いまから楽しみで仕方がない。

河原選手にとって早大野球部とは『スタートライン』

(記事 中村朋子、写真 藤川友実子氏、新津利征)