【連載】『令和3年度卒業記念特集』第42回 牧野倫太郎/バドミントン

バドミントン

かけがえのない4年間

 3年時には主務として、4年時には主将として早大バドミントン部を支えたのが牧野倫太郎(スポ=愛知・豊橋東)だ。牧野は強豪校出身のいわゆるバドミントンエリートではない。この4年間、試合の第一線で活躍することはなかった。それでも部員を陰でサポートし、選手の一勝に貢献したのは間違いなく牧野である。「バドミントンが好き」。その思いを原動力に、駆け抜けた4年間を振り返る。

 

  バドミントンとの出会いは小学4年生の時。地元のクラブチームに入っていたものの、当時は嫌々練習に行っていた。そんな気持ちだったからか、中学入学時には自然とバドミントンから離れていた。しかし高校入学と同時に再びバドミントンを始めることになる。きっかけは部活動だった。やったことのあるスポーツだから、再開の理由はいたってシンプルだ。だが日々仲間とともにプレーし、同じ目標に向かって努力する中で、「バドミントンが好き」という思いが牧野に芽生え始める。そして高校を卒業する頃には、「バドミントンが好きで大学でも続けたい」と思うほどに、バドミントンに心を奪われていた。

 

 「本当にその選択は間違っていなかった」。大学入学後、憧れの早大バドミントン部に入部した。しかし大学1年目は、下級生として部活の仕事をしなければならなかった。そのため自分自身がバドミントンと向き合い、シャトルを追う時間よりも部のために働いた。それでも思い出深く、部活を続けるモチベーションを見つけた1年目を過ごした。それは同期をはじめとする仲間の存在が大きかったからだという。牧野の同期の選手たちは皆、世代のトップを走り続けてきた選手たちばかり。自分以外の同期は試合に出場し、牧野は陰でサポートしていた。同期がコートで輝く姿は、牧野にとって誇らしく、自分が仕事を頑張るモチベーションとなっていた。また先輩の存在も牧野にとっては心強いものであった。先輩たちは、試合に出ていない牧野を気遣い、声をかけてくれた。そしてその年の大学選手権(インカレ)の団体戦、早大男子は団体優勝を遂げる。憧れの早稲田はやっぱり強い。これからも強い早稲田を継続していきたい。チームの一員としてそんな強い思いを抱いた、印象に残る1年目を過ごした。

 

 2年生になってからも変わらず部の仕事をこなし、3年生になると主務という更なる重責を背負った。コロナで思うように部活動ができない時期もあったが、主務としての自分の役割や業務を必死にこなした。そして4年生になった。牧野にとってバドミントン部で過ごす最後の年。いろいろな事情が重なり、途中から主将を任された。「試合に出てチームを引っ張ることができない分、他の役割を果たそう」。そう決心して日々の練習に取り組んだ。その中で特に心がけたのが試合に出ていない選手のケアだ。サポートがあるからこそ出場している選手も勝つことができるのだと、自分が先輩にしてもらったようにサポート役をする後輩を気にかけた。また試合に出ている選手に対しても、サポートがあるからこそ自分の試合に集中できるのだということを伝えた。これは入部から4年間、部を縁の下で支えていた牧野にしか伝えることのできない思いだっただろう。

 

 大好きなバドミントンと向き合うことができた4年間

 

 自分は試合には出られない。それでも1年生の時味わったあの感動をもう一度ーー。インカレで男子団体が栄冠を掴んだ瞬間は、ずっと牧野を突き動かすものとして、強く心に刻まれていた。主将として、早大バドミントン部の一員として、インカレ男女アベック優勝を掲げて鍛錬し続けた日々。自分の力で勝つことができないなら、自分より強い選手が気持ちよくプレーできる環境を作ろう。チームの勝利のため、自分なりにできることを模索し続けた。だからこそ、インカレ男子団体戦が3位で終わってしまった。この結果を悔いている。主将としてリード不足だったと。

 

 今までの裏方の仕事は決して楽ではなかった。主将として、インカレ団体優勝の思いを果たすことが出来ず、後悔もした。それでも思い返せば浮かぶのは、楽しかった思い出ばかりである。「バドミントンが好き」。ただそれだけの思いで入部を決めた4年前。その時の選択は間違いではなかった。好きなことを好きなだけできた4年間。先輩、同期、後輩と心強く尊敬できる仲間に出会えた4年間。強いチームに入り、初めて見た頂点。そのどれもが早大バドミントン部に入らなければ得られなかった財産である。

 

 牧野はこれから社会人として新たなステージで輝く。辛いことがあったとしても、どこかで活躍している仲間がまた牧野に勇気を与えてくれるはずだ。早大での経験と思い出が牧野を支える原動力となるはずだ。『その選択は間違いではなかった』、そう思えるような日々を、これからの人生を、歩んでいく。

(記事 山田彩愛、写真 渡邊彩織)