進化を止めない選手だ。1年時から着実に実力をつけ、大学ラストイヤーとなる今年は日本B代表に選出され、6月にはカナダオープンで準優勝。そして主将としてチームを引っ張る古賀穂(スポ4=福島・富岡)。昨年のインカレではシングルス優勝を果たし、小中高大と世代別タイトルを制覇した。さらに、先日行われた東日本学生選手権では団体優勝、シングルスは史上初の4連覇、ダブルスは3位入賞を果たし、関東大学秋季リーグ戦ではシングルス5戦5勝。インカレへの前哨戦は快調だ。大学最後、そして主将として臨むインカレへの意気込みを伺った。
※この取材は8月28日に行われたものです。
当たり前は当たり前じゃないと感じた
1年時の古賀
――バドミントンを始めたきっかけを教えてください
私の兄がバドミントンをやっていたのがきっかけです。兄が小学2年生で私がまだ小学校に入る前に、兄のついでにジュニアの練習会場に行っていたのですが、それはバドミントンをやっているというわけではなく遊びに行っているという感じでした。ちゃんと始めたのは小学1年生です。そこからはちゃんと練習に参加していました。
――小中高とタイトルを取ってきましたが、今振り返ると小中高時代はどのような選手でしたか
昔から小柄だったので、やっぱりよくコート内で動いて相手の球をしっかり拾って粘って勝っていくタイプでした。海外選手のように豪快なスマッシュで一発で決めるというよりかは、地味に拾って拾って、粘って粘ってというような選手でしたね。
――練習などはどうでしたか
練習は、小学生の頃は、兄と練習中でも競い合ったりとかしていて。すごく負けず嫌いでしたね。周りも全国的に強いジュニアだったので、それはすごいいい環境でバドミントンできていたと思います。
――中学から、福岡から福島県にバドミントン留学をされました。お兄さんの行っていた埼玉栄ではなく富岡を選んだ理由はなんだったのでしょうか
もともと自分は体が弱くて。埼玉栄高校は、大人数での部活運営だったので、自分が怪我や病気になった時に捨てられるっていうのが怖くて。その点、福島の富岡は少数精鋭で一人一人にかける時間や労力があったので、もし怪我や病気をしてもサポートしてくださる皆さんがいます。そういう意味ですごく心強くて、富岡にしたいと考えました。
――実際に入ってみて、どんな6年間でしたか
ちょうど自分が中学2年生の3月11日に東日本大震災があって、原発も10キロ圏内にあって、それで猪苗代町に避難生活を余儀なくされて、そこで避難生活をしながら活動をしていました。3月11日から5月までの2ヶ月間はバドミントンができなかったです。それまで親がいつも支えてくれることや先生方が運営とか支えてくださることが当たり前だと思っていたのですが、震災を経て、全国の多くの方々から物資や支援をしていただいて、当たり前が当たり前じゃない、極端に言えば生きていることさえも本当は当たり前じゃないんだなっていうのがすごくわかって。そういう、当たり前は当たり前じゃないというのをすごく感じましたね。
――今までで一番印象に残っている試合はなんですか
高校3年生のインターハイです。史上初のアベック優勝をしたのですが、アベック優勝というのは目標でしたが、個人戦もやっぱり勝ちたかったので、多くの方々に支えられて、やっと優勝できました。同級生の2人が日本代表で、その2人を倒しての優勝でした。ずっと格上だった選手に勝って優勝できたというのはすごく印象深かったです。
一番苦労したのは文武両道
――高校卒業後、実業団ではなく大学進学を選んだのはなぜですか
確かにそれまで、バドミントン留学や全国で活躍している経緯で、実業団に行った方々が多い中、今は代表の大会と教育実習が被ってしまったので断念したのですが、入学当時は教員免許も取りたかったですし、ユニバーシアードで優勝したいという思いがありました。あとは私が1年生の時にちょうど兄が4年生でいるということも理由で、大学進学を選びました。
――中高で被ることがなかったお兄さんと同じチームになってみていかがでしたか
中高時代はお互いライバル校だったので、実家に帰っても話さないくらいでした(笑)。一緒に居間にいても、テレビを見ていても、一言も喋らないみたいな(笑)。そのくらい疎遠だったんですけど、大学は1年と4年だったら、「はは〜っ」って感じじゃないですか。あっちが神様、みたいな(笑)。だからそういうところであっちも接しやすくて、俺もなんかそういう立場をわきまえているから接しやすいことはありました。そうしたらだんだんと話す機会とかもあって、大学一年間しかなかったんですけど、そこからは面倒見も良かったですし、いろんなところに遊びに行ったりしました。寮も一緒だったので、そこでようやく仲良くなったっていう感じですね(笑)。
――数ある大学の中で、早稲田大学を選んだのはなぜですか
早大バドミントン部は、日頃の練習から学生が主体となって活動しています。そのぶん学生に責任があるわけですが、自分のやりたいこと、やらなければいけないことを自主的にできる環境っていうのは関東一部リーグではここしかありませんでした。厳しい道でしたけど、今後社会人になっても自分で考えて行動するっていうのは必要だったので、あえて自分を鍛えるために早稲田大学を選びました。
――高校と大学で環境は変わりましたが、大変なことはありましたか
一番苦労したのは、やっぱり文武両道でした。練習環境や生活環境に慣れなければいけない中で、勉強についていくのも精一杯でした。部活動でも、1年生なので準備片付けや荷物の運搬などいろいろあって、そういうところが高校とは全然違って苦労はしました。
――練習メニューは主将が決められるということですが、今年から主将になってメニューを決める立場にあると思います。メニューはどのように決めているのでしょうか
同じレベルの選手同士で切磋琢磨して、お互いがライバル心を持っていける練習メニューにしています。例えば、シングルでは自分が一番だと思っているので、2番目や3番目の人と一緒に練習や練習試合を心がけています。
精確さ、粘り強さが光る
――自分の持ち味はなんだと思いますか
昔から、しっかり粘って相手の四隅を狙うコントロールの精確さが一番の持ち味だと思います。
――プレーでの癖はありますか
そうですね…ポーカーフェイスです(笑)。あんまり感情を表に出さずに淡々とやる癖はあります。試合の勝負所では、自分を鼓舞するためにガッツポーズをしたりとか声を出したりすることもあるのですが、それ以外は頭は冷静で心は熱くっていう感じでやっています。昔からですね(笑)。
――では逆に、苦手な相手のプレーはありますか
スピードの緩急やショットの多彩さなど変幻自在なプレーをする相手には、対応が遅れてしまうのでゴテゴテになってしまいます。自分のプレーができずに負けてしまうのは今後の課題だと思っています。海外選手や、学生でも小野寺(雅之、スポ2=埼玉栄)も結構変わります。でも、トップになったらプレーの幅が広いので、そういう選手はやはりやりづらいです。
――団体戦では試合中にコーチング席に座り、よく後輩に声をかけていますね
選手一人一人の強みだったり、逆に相手の強み弱みだったりを言っています。言うことで、どういう時にポイントを取られて、逆にどういう時にポイントを取っているかというのを第三者的な目線で言うことによって、選手が次のプレーをどうしたらいいのかということを伝えています。
――初動負荷トレーニングを取り入れていらっしゃるそうですね
始めたきっかけは、親戚の方にこういうトレーニングがあるよと言われたことでした。もともと左足の捻挫癖があって離断性軟骨炎になっており、手術をしろと言われていたのですが、初動負荷トレーニングを取り入れることによって、離断性軟骨炎が治って手術をしなくてすみました。その影響もあって、それからずっと初動負荷トレーニングをやっています。あのトレーニングで、今の活動ができています。手術しなくなったのもそうですが、筋肉が柔らかくなることによって可動域が広がり、取れない球が取れるようになったりしました。あとはけがのリスクがすごく低くなりましたね。
「追い付いて追い越さなければいけない存在」
――意識している選手やライバルだと思う選手はいますか
全日本総合(全日本総合選手権)で優勝か準優勝したらオリンピックとかも狙えるA代表になれるのですが、私の目標が世界で活躍することで、それを考えた時にやはり今活躍している桃田選手(桃田賢斗、NTT東日本)や西本選手(西本拳太、トナミ運輸)、その下の常山選手(常山幹太、トナミ運輸)は、今後追い付いて追い越さなければいけない存在だなと思います。でも、上ばかり見ていたら足元をすくわれるので、しっかり学生の大会も、最後の年ですし、悔いなくやっていきたいなと思っています。
――学生の大会で、日本代表だというプレッシャーはありますか
ありますね。やっぱりよく見られるようにはなりました。もちろん、自分の最終目標が多くの方々に夢とか元気や勇気を発信するということで、見てもらえることはすごく大事です。しかし、日頃の練習からそんなに見られることがないので、いきなり試合になって、自分のところだけ観客席が埋まっていたり、相手の声援が大きかったりとか、そういうことが結構あって。見られているなと感じることはあります。
――今年から日本代表に選ばれましたが、選ばれた時の心境を教えてください
驚きました。まさか入るとは思っていませんでした。自分が考えている日本代表の選考が、全日本総合でベスト8以上だったので、自分がベスト8には入れず負けたので厳しいのかなと思っていました。でも、代表入りしたので、1年間の結果が評価されたのかなと思っています。あとは、今後の期待があっての代表入りかなと思ったので、驚きと共に今後海外選手と戦うこと、質の高い練習ができることへのワクワクドキドキがありましたね。
――周りからの反響はどのようなものでしたか
周りは喜んでくれましたし、いつも支えてくれる家族だったりとか、あとは初動負荷のコーチの方々はすごく「よかったね、次も頑張ってね」とか言ってくださいました。いつも支えてくれる方々が喜んでくれたりするのはすごいモチベーションになるし、そういう方々に恩返ししたいという思いはさらに強くなりました。
――実際に合宿や遠征を経験してみていかがですか
やっぱりレベルが高いです。今まで通じていた自分のショットやプレーが通じないっていうのが当たり前で、じゃあどうやったら通じるようになるかって考えた時に、一番に出た課題がフィジカル面の強化でした。今はすごいフィジカル面の強化をしています。
――カナダオープンで準優勝されましたね
カナダオープンは予選から参加させてもらったのですが、決勝まで8試合ありました。一つは棄権勝ちだったのですが、体力的にもきつかったんですけど、その前に代表の合宿で厳しい練習を乗り越えてきたので自信はありました。今まで戦ったことのない世界ランキング50位とか、元世界チャンピオンなどの海外選手とやって、その人たちに勝ったので、それはすごく自信になりましたし、今後の試合に弾みがつきました。
――今年に入って海外選手と試合をすることが増えましたが、海外選手と試合をしてみた率直な感想は
いろんな海外選手と試合をすることでいろんなプレーを経験できましたし、今後さらにレベルの高い選手、それこそ世界ランキング8位以内とかに入る人に今後勝っていきたいという欲があります。
アクション系の映画が好き
――今は寮生活ですか
今は寮に住んでいて、バドミントン部の同級生と同部屋です。代表とか合宿でほとんど寮にはいないです。
――リラックス方法はありますか
昨日映画見ました。ジュラシックワールド見ました(笑)。面白かったです。結構映画は見ますね。あと、きょうもこのあと温泉に行こうかなと思っています。
――学生生活についてお聞きします。あと半年で学生生活が終わりますが、どうですか
世界を舞台に活躍する夢があって、やっぱりナショナルに入らないと世界では戦えないので、1〜3年生はすごく苦労しました。今ももちろん苦労はしているのですが、高いレベルでできているのはすごくやりがいがありますし、充実しています。
――学業面はどうですか
テスト期間中に試合があったり、前の週も合宿があったりと、正直勉強は苦しいんですけど、これまでも単位を取れたりとか。授業の1週目に先生に理由を話して、課題やレポートを出してもらうよう事前に話しています。全然問題なくやれています。スポーツ科学部ではスポーツビジネスコースで、スポーツ組織論を学ぶゼミに入っています。リーダーシップであったりとか、組織文化、組織風土、あとはマネジメントであったりとかを学んでいます。
――オフの日の過ごし方は
結構色々あって。寮でグータラしている時もありますし、映画館に行くこともあります。絶対これをやる、っていうのはなくて、気分によって変わるって感じですね。映画はアクション系をよく見ます。
――趣味はなんですか
映画鑑賞、読書かな。読書だと、漫画とかも読みますし、逆に自己啓発本とかも読みます。大学生になって自己啓発本を読むようになりました。中村天風さんの自伝や考えが載っている本とか、あとは二宮金次郎さんの本です。色々な考え方がある中で、すごく参考になります。
――大学生活最後の夏休みはどのように過ごしましたか
もともと立てていた計画があって。海に行く、バーベキューする、ディズニーに行く、川に行くという4つのうちの、ディズニーと海は達成できたので、あとはバーベキューと川に行けば完璧です(笑)。
――好きなユニフォームの色はありますか
えんじとか赤系は好きですね。
――ツイッターにはどういう狙いがありますか
今スポーツコンサルティングをしている元マッキンゼーの方と奨学金関係で知り合いになって、そこからご飯に行くようになって。インプットも大事だけど、アウトプットすることによって自分の理解力も深まるし、自分のブランディングとかができる、というようなアウトプットの大事さを聞いたのがきっかけでツイッターをやっています。自分がインプットしたことや感じたことをアウトプットし、それをちょっとフォーマルな形で掲載しているという感じです。1日1ツイートしろって言われているんですけど、一時期ツイッターが使えなくなってしまって。完璧主義なところがあって、一回止まってしまうとやる気が失せてしまって(笑)。だから今は月一くらいのペースです(笑)。
新たな歴史を刻む
リーグ戦で勝利し、チームで喜びを噛みしめる
――夏合宿を終えてどうですか
ベトナムオープンからの途中参加だったのですが、すごくみんな活気があってきついトレーニングもこなしていて、代表でも走らないくらい走りました。なので、すごくフィジカル面が強化されたと思います。みんなが限界までいっていることもわかりましたし、その中でも声を出して頑張っていたので、充実感や達成感はすごく感じました。
――夏で強化したポイントは
今いろんな選手と試合をする機会があって、色々な経験をさせていただいている中で、自分のプレーを発揮するということがやっぱり第一に必要だなと思うんです。さらにそれに磨きをかけて、今強化しているフィジカル面が発揮されれば、きっと今後も活躍できてオリンピックに出られてメダルも獲れると思っています。今後東京、パリ、ロサンゼルスを目指して頑張ります。
――最後のインカレは、主将として臨みます。団体でチームが勝つにはどこがポイントでしょうか
団体は一日2試合、3試合という過酷なスケジュールで行われます。ある選手だけが戦うだけではなくて、チーム全体として、選手の人も選手じゃない人も優勝に向けて戦うことが重要だと感じています。
――チーム一丸となるためには何が必要なのでしょうか
今月一でディスカッションを行なっています。自分が主将になってからやっているのですが、当初はPDCAサイクルで、自分の目標と取り組みを発表したりとか、今は各学年で練習をよりよくするための議題を提示してもらってそれについて全員で話したりとかしています。より良い練習環境をみんなのために作って、インカレ優勝に向けてやっています。
――今年はディフェンディングチャンピオンとなりますが、インカレでの目標は
団体優勝、シングルス優勝、ダブルス3回戦突破です。
――インカレに向けての意気込みをお願いします
ディフェンディングチャンピオンと先ほど言ってもらいましたけど、挑戦者のつもりで新たな歴史を刻んでいこうかなと思っています。
――卒業後は
実業団に入ってバドミントンを続けようと考えています。今後、世界を舞台に戦える環境がある企業に行きたいなと考えています。
――バドミントンをしていく上での最終目標は
やっぱり最終目標は、世のため人のために活動することで、その一つとしてバドミントン選手として大会やオリンピックで結果を残すということですね。なので、最終目標である世のため人のためというのは今後もやっていきたいと思います。
――バドミントンとはどのような存在ですか
もともと自分はアトピーや喘息、アレルギーを持っている弱い体を持っていました。その時に、母親が食事から体質改善をしてくれたりとか、バドミントンですごく体力が向上してよくなりました。そういう意味で、バドミントンに助けられたな、と思います。恩人のようなものでもありますし、こうやって高いレベルで活動できているということは、自分にとって夢とか希望とかモチベーションを与えてくれて、人生をより豊かにしてくれるものでもあるので、自分にとっては欠かせない存在です。今後も高いレベルでやっていって、世のため人のためにやっていきたいです。
――ありがとうございました!
(取材・編集 石名遥)
色紙には迷うことなく「アベック優勝」と書いてくれました!12日に開幕するインカレでの活躍に期待がかかります!
◆古賀穂(こが・みのる)
1996(平8)9月30日生まれ。166センチ。福島県立富岡高校出身。スポーツ科学部4年。粘り強さと精確なショットで相手を翻弄するプレーは必見。インカレでは、団体とシングルスでの連覇を狙います!現在サインを練習中。牛乳を毎日飲むように心がけているそうです。