【連載】『平成29年度卒業記念特集』第57回 松本康平/バドミントン

バドミントン

プレッシャーの中で

 一年間主将としてチームを支え、24年ぶりの全日本学生選手権優勝に大きく貢献した男・松本康平(スポ=埼玉栄)が春から新たな門出を迎える。早大で過ごした4年間は彼にとってどのようなものだったのだろうか。

 バドミントン一家に生まれた松本は家族の影響で小学1年生のときにバドミントンをはじめる。日々ハードな練習をこなし着実に力をつけていき、小学4年生のときに全国小学生選手権(全小)のダブルスで優勝。また5、6年生のときには全小のシングルスで連覇を成し遂げるなど全国にその名をとどろかせた。「これらの優勝をきっかけに自分自身のプレーに自信を持つことができ、今後も本格的にバドミントンを続けていこうと思えた」と松本は当時を振り返り、大きな転換期であったことを明かした。中学校に進学後は地元の大阪を離れ、名門埼玉栄高校に進学。団体戦で勝つことがメインのチームであったことから高校2年生を境に、現在の形となっているシングルス専攻の選手となった。

1年間チームをけん引した松本

  松本は、高校の恩師の勧めで早大に入学を決めた。1年生のころから主力として活躍し、2年生のときには全日本学生選手権(インカレ)のシングルスでベスト16入りを果たすなど、成績を残していった。4年生になってからはチームの柱である主将に就任。練習時間を増やすなど、チーム力の向上に努めた。一方で、主将として団体戦で勝たなければいけないというプレッシャーが松本の中には存在していた。そのためなかなか勝つことができず悩んだ時期もあった。しかし、たくさんの試合をこなしていくうえで自分をコントロールできるようになり、インカレの団体戦の決勝戦ではチームにとって大きな白星を勝ち取ることができ、学生日本一に輝いた。

 「バドミントンは自分にとってなくてはならないもの」と語った松本はこれからも競技にまい進していく。そして、「オリンピック出場という目標に向けて結果を残していきたい」と今後の抱負を打ち明かした。一方で、後輩たちには自分たちの代で成し遂げることができなかったグランドスラムを達成してほしいという言葉を残していった。

(記事、写真 佐藤菜々)