【連載】『平成29年度卒業記念特集』第37回 佐々木昇吾/航空

航空

エースとしての飛躍

 「自分1人では絶対にできる活動ではない。みんなで協力してひとつのことを成し遂げる競技だ」と4年間の航空部での活動を総括したのは佐々木昇吾主将(基幹4=愛媛・宇和島東)。敵を常に目の前に据えて競うわけではなく、孤高の戦いにも思える航空競技。主戦場である上空1000メートルの機体の中ではどのような思いを抱いて飛行していたのだろうか。

 「入部直後からエースになりたいと思っていた」佐々木は1年生の頃を振り返りこう語った。航空部は新歓期の体験搭乗などを経て入部を決意する部員がほとんどだ。しかし佐々木は、高校時代から早大航空部への憧れを胸に抱き入学と同時に入部した、航空部のなかでは「志願兵」と呼ばれる少数派。入部後1年以内に1人で飛行する「初ソロ」をこなすと、「いい思い出になっている」という2年生時の全日本学生新人大会では、個人で3位、団体では優勝という好成績を残す。また1年生の時から学年リーダーを任され、そのまま主将になることも自他共に想定内。佐々木の競技人生は順調に見えた。

自身最後の早慶戦でフライトする佐々木

  しかし3年生の時部にとって大きな出来事が起こる。大会中の事故により当時の主将であった明妻祐也さんを亡くしたのだ。それに伴い航空部は約半年間の活動停止を余儀なくされる。「それまでは楽しくやっていた」佐々木も次期主将として、足元を見直し、再スタートを踏み出す先陣を切る必要性に迫られた。部のなかで今まで当たり前だったことが正しいのかを一から見直し、またパイロットとして大事にするべき基本意識の変革も行なった。功を奏したのか、4年生にとって復帰戦となった昨年10月の関東学生競技会では、天候に恵まれないなか諦めない飛行を続け、見事全国大会への切符を手にした。

 一選手としてもこの出来事は転機になったのかという問いかけには意外にも「やるべきことは変わらなかった」と話す。事故前後ともに「同じマインドで打ち込むようにしているつもりだった」佐々木だが、同時期に主将に就任したこともあり、1つだけ自分の中での変化を認めた。それは、自分のことだけではなく部全体のことを考えるようになったということだ。個人競技が主である航空部において「自分が飛びたい」というのが1番だった3年間と、部員全員が安全に飛行できるか、いい成果を残せるかを常に考えるようになった最後の1年間。その変化に主将としての生き様が表れている。

 卒業を間近に控えるが佐々木の戦いはまだ終わっていない。2週間後に控える全日本学生選手権に向けては「優勝したい」と意気込む。競技生活の集大成となる次戦。昨年の大会は活動停止中により出場できなかったこともあり、そこにかける思いは一層強い。4年間航空部で培った自信とともに「紺碧の空」へと飛び立つ。

(記事 村上萌々子、写真 岡田静穂)