歩みを止めなかった4年間
全日本ダートトライアル選手権で完全優勝を成し遂げた早大自動車部
「大学で車に乗ることができると思っていなかった」。令和4年度、全日本学生連盟年間総合杯(大学日本1)3連覇を成し遂げた早大自動車部の主将・神林崇亮(人4=埼玉・早大本庄)は、そう振り返った。自動車部に入部する以前は、自動車競技をやることすら考えていなかった。そんな神林が大学生活のほとんどの時間を費やした自動車部生活とはどのようなものだったのか。濃く、そして充実した4年間を振り返る。
神林が自動車に興味を持ったのは小学生の頃、『頭文字D』というアニメがきっかけだった。高校時代、神林が所属していたのは自動車部と1文字違いの自転車部。自転車部では主将も務め、大学でも自転車部に入るつもりだった。自動車部に入部し、競技を始めることになるとは全く考えていなかった。しかし、大学入学後にふと「自動車部で車に乗りたい」という思いが浮かんできたという。そして自動車部の見学に行き、「大学で車に乗れるんだ」と知り自動車競技についての知識はゼロのまま入部した。入部後、自動車部の説明を受け漠然とした「選手になりたい」という思いを抱いて、自動車部生活をスタートさせた。
1年時にいちばん印象に残っているのは全日本大会の鈴鹿南コース。大会のため鈴鹿に前乗りし、先輩たちや同期と楽しく過ごしたこともよく覚えているが、やはり覚えているのは先輩たちの真剣な姿。競技のことが何も分かっていない中、1本1本の走りを大切にする先輩たちの走りを見て「先輩たちすごいんだ」と感じたという。
2年生になってからは新型コロナウイルスにより部活が完全にストップした。コロナウイルスの影響で外出ができない、練習ができないという困難な状況により部員がいなくなってしまい、競技から退いてしまったり、部活自体が消滅してしまったりした大学もあったと言う。そのような状況の中でも神林は、そして早大自動車部は歩みを止めなかった。部活が活動開始されない中、社会人が出場するような大会に参加し技術を磨いた。部活があったらできなかったようなことに参加し、活動休止期間を有意義に過ごした。
迎えた3年生。神林は1年時から漠然と抱えていた「選手になりたい」という思いを実現することとなる。しかし簡単な道のりではなかった。2年時はコロナウイルスの影響で満足のいく活動ができたわけではない。1年生が突然上級生になってしまったような状態だった。「正直どう教えればいいか、どう叱ればいいか分からない」という状況だったと振り返った。神林が選手としていちばん思い出に残っているのは2021年、3年時の広島で行われた全日本学生ダートトライアル選手権。同期の最上佳樹(社4=東京・攻玉社)、中野龍太(法4=東京・小石川中教校)とともに選手として選ばれ出場した。同期3人でコースの攻略に関して話し合い、そして走った経験のないコースで新鮮な気持ちで走り切った。結果は5位。「多くの課題が残るものになった」と振り返ったが、男子団体の優勝に大きく貢献した。
選手に声をかける神林
最終学年では神林は主将を務めた。「チームワーク、部員を1年生から4年生まで取りこぼさない」ということをいちばんに意識した。最後の全日本学生運転競技選手権(全日本フィギュア)まで、部活を終えるまで絶対に取りこぼさないようにした。それと同時に「自分に自信がないと主将は務まらない」とも感じた。主将の神林を中心に大会ごとに自動車部の結束力は高まっていった。最後の全日本フィギュアでは多くの選手が、チームのまとまりが強かったことを口にした。神林が主将を務めた2022年度は男子団体、女子団体ともに多くの大会で好成績を残し、全日本学生連盟年間総合杯3連覇を成し遂げた。コロナウイルスの影響で大会が中止となった2021年を除き、4年間で早大は1度も王座を譲らなかった。
この4年間を振り返って神林は「もともと自分が飛び込んだ環境が強い所だった」と口にした。その中でも自分が、そしてチームが強くなるために努力を重ねてきたことが日本一3連覇という結果につながったのだろう。神林は今後も競技を続けていく。この4年間で培ったことを糧に、神林は歩みを止めずに進んでいく。
(記事、写真 堀内まさみ)