【連載】『令和3年度卒業記念特集』第34回 山田龍/自動車部

自動車

『最強』のチーム

 「全て自動車部に染められていた」、山田龍(人=兵庫・仁川学院)は大学生活をささげた自動車部での日々をこう語った。自動車部では主にモータースポーツ競技に参加し、自動車のスピードや運転技術を高めるとともに車両の整備も学生自らで行う。日本で運転免許が取れるのは18歳になってから。そのため、大学の部活動であれば、全員が競技歴5年以下の世界だ。そんな自動車部での4年間、そして主将として過ごした1年間を振り返る。

 兵庫の高校から早大進学を目指したのは可能性を広げるため。大学卒業後、社会人になった時に選択肢が広いほうがいいと考えた。その中で自動車部を選んだのはほんの偶然。もちろん興味はあったものの、特段に自動車が好きというわけではなかった。大学生になったら乗りたいと思っていた自動車を使ったスポーツがあるということを知り、入部を決める。自動車部は18歳になって車に乗る機会が与えられて初めて成立するということで、敷居が低いことを魅力に思った。

 自動車部の第一印象は「自分の性格に合っている」。上下関係が厳しく、大変だという体育会部活動のイメージとは異なり、入りやすいと感じた。また、部員が個性豊かで変わっている人ばかりだったという。入部当初は作業が長引き、終電近くまでかかることが辛かったが、それも今思い返すと必要なことであったと分かる。さらに、自動車部ではOBや社会人が練習に顔を出すことも多く、目上の人との接し方もここで学んだ。

  2年時になると、後輩ができ、忙しいながらも楽しい日々を過ごした。この年に自動車部は男子団体で11年ぶりの全日本学生自動車連盟年間総合杯(全日本総合杯)獲得を達成。山田はダートトライアルのレースで女子車輌の整備を全面的に任され、そのやりがいが大きかったと語る。この年に引退をした杉本勇斗氏(令2商卒)は意見を抜かりなくまっすぐ言うことができ、その方から組織をまとめる上での姿勢を強く学んだそう。

 フィギュア競技では選手として参加した山田

  3年時になると、コロナウイルスの影響が大きく、なかなか身動きが取りづらい時期となった。しかし、自動車部はeスポーツの大会を主催するなど、新しいことに挑戦し続けた。練習ができない中でも部員に何かしらの役割を与え、成長することを部全体で意識してきた。山田はこの1年間を「新鮮な一年」であったと振り返る。車輌係を務めるとともに、誰とでも接することができるため、ドライバーとしては大成していないながらも主将補佐に就くこととなった。コロナウイルスによって実務的な仕事はなかったため、できることを探し出して全体に任せるということに注力した。
主将補佐がそのまま主将になるという流れをくんで、主将に就任。選手だけが速く、レースで勝てるというチームではなく、チーム全体で戦っている雰囲気をつくることを目標とした。下級生が「この仕事は自分しかできない」と自信を感じられるように、仕事に責任を持たせた。例年、自動車部では1年生の退部者が多い中で、今年度は部員があまり減っていない。このことについて山田のチームづくりによるものではないかと尋ねると、モチベーションを無くさないで楽しくできているのではないかと安心したような笑みをこぼした。

  山田にとって最後の年、早大自動車部は見事、全日本総合杯連覇、そして13年ぶりに全日本学生ジムカーナ選手権(全日本ジムカーナ)でも優勝を果たした。このことについて山田は「全員の努力のたまもの」だと述べた。何年も自動車部を見てきた方々から見ても『最強』の代だった。何が最強であったか、それはひとえに自分たちでつくりあげた『組織力』だと自信を見せた。跡を継ぐ後輩たちにも「龍さんたちを超えられる自信がない」と言われたという。そのように思ってくれているなら良かったという嬉しさとともに、下の代のチームを見るのが楽しみだと期待もにじませた。

 今年度全日本ジムカーナを優勝した早大自動車部

  「僕の大学生活4年間そのもの。」山田は、自動車部での日々をこのように表した。卒業後は、大学院に進学する山田。部の活動の中でも、周りを生かしどのように走らせるかを考えることが特に好きだったため、これからはレースに出ることは考えておらず、自動車は趣味として乗っていくという。共に過ごしてきた同期と後輩への思いを尋ねると、「このチームは僕だけの力ではない」と深い感謝を見せた。「早大自動車部に入って良かったと心から思っている。」

(記事 宮島真白 写真 部提供)