「日本一」を目指して
「腐らないこと」――。恥ずかしそうにしながらも語ってくれた金子智哉(教=大阪・豊中)がフットボールをしていくなかで大事にしていたことだ。何度ケガをしようと、突然スタメンを外されようと、アメフトを続ける限り必ず来るしんどくなる時期をぐっと耐えることを意識していた。「憧れ」を持って入部したBIG BEARSでプレイヤーとして、また副将としてもがき続けた。そんな金子の4年間を振り返っていく。
金子とアメフトの出会いは高校時代にさかのぼる。日本の高校アメフトのルーツ校でもある大阪府立豊中高校に入学。最初は全くアメフト部に入る予定などなかったが、先輩たちの激しい勧誘もあり金子はアメフト部に入部した。アメフト部に入ってから徐々にフットボールへのめり込んでいったが、2016年の甲子園ボウルで運命の出会いを果たす。その試合は豊中高校出身の村橋洋祐主将(平28スポ卒=大阪・豊中)が率いていた早大が立命大に惜しくも1点差で敗れた試合であった。その試合を観戦していた金子はそこでBIG BEARSを初めて知り、「憧れ」を抱くようになった。そしていつしかBIG BEARSに入るため、早大を目指すことになった。
自分よりも大きな相手と最前線で当たることも多かった金子
浪人を経て見事早稲田大学に合格した金子は「憧れ」であったBIG BEARSに入部し、その一員となった。先に他大学へ進学した高校の同級生から、大学アメフトの話を聞いていた金子は大学のアメフト部は「きつくて大変な」所だというイメージがあり不安も抱いていた。BIG BEARSではもちろん楽なことばかりでなかったが、チーム自体は「すごくいいチーム」で少し拍子抜けしたという。しかし、入部してからの金子の大学アメフト生活は決して順風満帆なものではなかった。下級生であった1,2年生の間はケガの影響であまり試合に出ることができなかった。それでも金子は気持ちを切らせることなく、「自分がうまくなりたい」というモチベーションで練習やトレーニングを重ねた。さらにコロナ禍では練習がない期間も続いたが、当時の4年生たちと公園でのトレーニングや他所でのウエイトトレーニングを一緒にやることで、「日本一を目指す姿」を感じ取った。そんな先輩たちの最終戦であった東大戦を金子は忘れることができない。思うようにいかなかった日々の鬱憤を晴らすような先輩たちの姿に感動して涙があふれ出してきた。
3年生になるとK(キッキング)を中心に試合に出るようになる。実際に試合に出ることで、試合における「頭脳」の面が成長できたと語り、チームに貢献できたこともうれしかった。しかし、D(ディフェンス)のプレイヤーとしてはまだまだ力不足を感じ、シーズン最後の法大戦にもディフェンスとしては出場することができず、悔しい気持ちが残った。
上級生が引退し、新4年生である自分たちの代となると金子は副将に立候補した。仲の良い同期のことがとても好きだったのと、だからこそ優しい人が多い自分たちの代には意見を強く言える人間が幹部に必要ではないかと感じたからであった。金子は「日本一」を目指すチームは「全員が日本一レベル」でないといけないと考え、同期にはもちろん後輩にも「日本一」につながらない取り組みがあれば強く注意し、それらを「変わる」ことを心がけさせた。しかし、おのおのが積み重ねてきた違う個性のリーダーシップを持っていることに気づき、4年生の終盤になってからは自分のリーダーシップの発揮の仕方も変えた。「やってきたことに後悔はない」と金子は言うが、「それぞれの個性とか良い所をしっかり見てやっていれば、もっと(シーズン)序盤からそれらを引き出せたのかな」と少し悔しそうに振り返った。それでも副将になったことで自分と違う考えに出会えたことは「すごく勉強になった」と前向きに捉えた。チームの調子も試合を重ねるごとに乗っていき、8連勝でリーグ戦を突破。甲子園ボウルをかけた東北大との試合にも勝利し、3年ぶりの甲子園ボウル出場を決めた。甲子園ボウルでは前半はディフェンス陣の踏ん張りもあり、拮抗した勝負になったが、後半は関学大の猛攻にのみ込まれた。甲子園ボウルのビデオはあまり見れていないという金子は、「関西に勝つということは全てのレベルを上げるしかない」と感じたという。
甲子園でも決して腐らず強敵にくらいついた。
金子にとってBIG BEARSでの4年間は「当たり前」の日常であり、引退した今はもう「日本一」を目指せないと思うと寂しくなるという。卒業後はケガの影響もあってプレイヤーとしてはフットボールを引退する金子。しかし、好きなアメフト、そしてBIG BEARSに恩を返すため、社会人でコーチを経験し、指導者としてのスキルを高めていく。「時期が来て落ち着いたら、BIG BEARSにコーチとして携われたら」と語ってくれた。金子が指導者としてBIG BEARSに帰ってくる日が今から待ち遠しい。
(記事 田部井駿平、写真 田部井駿平、谷地星)