BIG BEARSが三菱電機杯第71回毎日甲子園ボウル(甲子園ボウル)への出場を決め日本一に挑む一方で、新たな舞台へ挑む選手がいた。K/P佐藤敏基(平28社卒=東京・早大学院)。所属する社会人チームを離れ、NFL挑戦に向けアメリカに渡ることを決めた、BIG BEARSのOBだ。昨年の甲子園ボウル、ドラマの中心にいた男は試合に臨む後輩にどのようなメッセージを送るのか。また、自身のNFL挑戦についても語っていただいた。
※この取材は12月11日に行われたものです。
「一生忘れることはない」
対談に応じる佐藤
――後輩が2年連続の甲子園ボウル出場を決めました。外から見たことしのチームの印象はいかがですか
やっぱり一つにまとまっていて、良い意味で僕らの代よりもすごく仲良くやっていると思います。きょねんは厳しくやろうというのを念頭に置いていたんですけど、それは後輩が怖がってしまうというリスクをはらんでいて。一方で、仲良くやるとそれはそれで全体的にぬるくなってしまうという可能性もあるんですけど、今の代は厳しくする部分は厳しくできているので、そこはうまくいっていると思います。
――仲良くやっているという良い点が挙げられましたが、逆にチーム全体で見た課題などはありますか
そんなに心配していることはないですね。
――キッカーについてはいかがですか
1年生なのに本当に良くやってくれていると思います。すごくプレッシャーもかかるはずなんですけど、ひょうひょうとやってくれているので。普段の取り組みの姿勢も真面目で、言ったことをちゃんとノートにまとめて、実直にやろうとしてくれているので、教える側としてもすごく教えやすいですね。
――やはり入ったころと比べると大きく伸びていますか
そうですね。ただそれは僕が教えたからということではなくて、長谷川(絢也、社1=東京・早実)が自分で頑張ってくれたからだと思います。
――続いてご自身の甲子園ボウルについての思い出をお伺いします。甲子園はやはり思い入れの深い場所ですか
そうですね…一生忘れることはないと思います(笑)。
――いま改めて振り返るとどんな思い出ですか
やっぱり最後の場面を思い出してしまうんですけど、人生の最後に、いろんなことを通して自分の失敗も「良い経験だったな」と思えるように頑張っていかないといけないなと思います。
「結果を出すということにこだわって」
大学時代は長距離砲として絶大な存在感を放った
――次にご自身の挑戦についてお伺いします。NFLにはどのようなステップで挑戦されるのですか
アメリカではNFLに人を送るコーチというものがビジネスとして成り立っていて、特にキッカーは特別な技術を持ったポジションなので、そういったものが多いんですね。キッカーを目指す人がコーチのもとに集まって、NFLに挑戦していくという団体が多くて。その中の一つの団体の創設者に元NFLプレイヤーのマイケル・ハステッドという人がいて、昔彼と一緒にNFLに挑戦した人がコネクションで彼を日本に呼んでくれたんです。そのコーチが日本人を教えるというキャンプに参加したときに、たまたま僕も声をかけてもらって、「仕事を辞めてNFLを目指してアメリカに来るならコーチをしてあげてもいい」と言ってくださったので、それなら挑戦してみようと思いました。NFLに入るために野球と同じようなドラフトがあって、ただ当然そこに漏れる人は結構いるので、そういう人は就職せずにフリーエージェントという形になります。フリーエージェントのキッカーをNFLに送り込むコーチがいて、マイケル・ハステッド氏はその中の一人です。他のポジションと違って、キッカーの場合はそういうプロコーチが測定会のようなものを開いて、ヤードや滞空時間を測るんですね。その場にNFLのスカウトが来たり、記録を見たりして、良いなと思った人をチームのキャンプに呼びます。キャンプに呼んでさらに良いなとなったらプレシーズン、野球でいうオープン戦のようなものに出させてもらえて、そこでも良ければプロになれるというような感じです。段階がたくさんあって、まずチームごとのキャンプに呼ばれる人も少ないので、かなり狭い門ではあります。フリーエージェントのキッカーは山ほどいて、そういった人たちはコネクションを見つけたり良いエージェントを見つけたりしないといけないので、非常に難しい挑戦ではありますね。
――アメフトを始めたころからの夢だったのでしょうか
いや、全然そんなことはなくて(笑)。キッカーも高校3年生の最後のほうから始めて、全然キッカーでNFLに行けるとは考えてなかったので。NFLとかじゃなくて、本当に国内で学生と社会人を倒して日本一になるということしか目指していなかったので、ずっと夢に見ていたというわけではないですね。
――キャンプで誘われたのがきっかけだったということでしょうか
4年生のときにNFLに挑戦したらどうなるんだろうと考えたこともあったんですけど、まずやっぱり自分で生きていけるようにしっかりと就職をして、親を安心させてあげるのが一番いい道だと思っていました。NFLに日本人が行くことってコネクションなんかがないと厳しくて、そんな中で行くよりも一旦就職をしたほうが良いと考えました。ただ今回、すごいコーチが教えてくれるということで、そういう機会を得られるのは今までの日本人の中でもあまりできることではなかったので、自分にとって良い環境で挑戦できる機会をいただいたということで真剣に考えました。
――NFLではキッカーとして、どのような強みを活かして戦っていきますか
国内ではキック力で勝負していたんですけど、外国人から見れば全然大したことはなくて。そこで何で勝負するかというと、メンタル面であったり丁寧にやること、細部にこだわることが外国人に比べて日本人ができることの一つだと思います。もちろんパワーで勝負もしたいですけど、それよりも細かい部分で戦っていくしかないのかなと思っています。
――逆にこれから伸ばしていかないといけないと感じる部分は
向こうのプロに比べて、キックオフの飛距離が圧倒的に足りないです。アメリカで面倒を見てくれるコーチにも、FGは良いけどキックオフの飛距離が足りないと言われたので、そこはまず大きな課題ですね。
――FGとキックオフとで結構違うものなんでしょうか
大分違いますね。蹴り方とかもそうですけど、FGが「狙う」のに対してキックオフは「飛ばす」ものなので、やっぱり蹴り方が違います。
――挑戦に向け、いまはどのように練習をしていますか
平日は自分でトレーニングをしたり、今所属しているIBMのストレングスコーチが開いているトレーニングのところに行ってやったり、あとは早稲田に来て長谷川を教えつつ自分も練習したりと、いろいろな場所で練習しています。
――少し話題が逸れるのですが、何か試合前のルーティンのようなものはありますか
大学生時代は試合前に赤飯のおにぎりを食べてました(笑)。
――それでは最後に、甲子園に挑む後輩へのメッセージとご自身の意気込みをお願いします
甲子園に行けることは幸せなことだと思うんですけど、やはりそこで勝たないと意味がないですし、負けたらめちゃくちゃ悔しいのでとにかく勝ってほしいです。ことしの4年生が率いるチームなら勝てると思います。自分も挑戦すると言うと、いろんな人がすごいと言ってくれるんですけど、やはり挑戦して結果を残さないと何もすごくはないと思います。いろんな人が応援してくれている分、結果を出すということにこだわって、日本人で初めてのNFLプレイヤーになれるよう頑張りたいと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 井上陽介、新津利征)
後輩に向け、力強い言葉を送ってくれました!
◆佐藤敏基(さとう・としき)
1993年(平5)9月30日生まれ。身長178センチ、体重75キロ。東京・早大学院高出身。2016年(平28)社会科学部卒業。大学時代は試合前に赤飯のおにぎりを食べることがルーティンだった話してくれた佐藤選手。NFLのことを良く知らない私たち記者にも、プロになるステップを丁寧に説明してくださったところに佐藤選手の率直な人柄が感じられました!